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zoom RSS 『チャタレイ夫人の恋人』 ロレンス

<<   作成日時 : 2009/08/21 00:00   >>

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読了して凄いなあ、と素直にため息が出た。

炭鉱を所有する貴族クリフォードは、戦争に参加して下半身不随となってイギリスに帰ってくる。彼と妻のコンスタンスとのあいだに性交渉はなくなる。由緒ある家柄の出であるクリフォードは跡継ぎを欲しがり、妻に、自分以外の男と寝て、子を宿しても咎めはしないという。夫にいわれるまでもなく、すでに彼女には愛人がいた。その人物は、クリフォードの領地の森番のメラーズという、30後半の男だった。彼とからだを重ねるにつけ、コンスタンスは夫とのあいだには感じたことのない、いや、かつて人生で感じたことのないほど強く激しい愛情を覚える。二人の関係はやがて周囲の知るところとなり、階級を越えた不倫は上層に位置する者たちからすれば非常な恥辱としてコンスタンスは非難されることになる。それでも彼女はメラーズを思い切れなかった。

かつて、性描写が猥褻だとして裁判沙汰になったいわくつきの翻訳小説だが、こんにちの目で見れば該当箇所はさほど過激とは思われない。巻末の「改訂版へのあとがき」で伊藤礼氏が述べているとおり、時代の流れ、変化のうちにわれわれ読者の精神が頑丈になったともいえるだろうし、感性が麻痺しているともいえるだろう。オンラインで世界中の猥褻なものにいくらでも辿りつける昨今、露骨に性器の俗称が書かれていたとて、誰が眉をひそめるだろう。

しかし上で指摘した性描写の場面は全体のごくごく一部に過ぎず、それを意識して読み始めると意外に思うだろう。性の問題は本書において重要な主題であるけれども、直接的な描写は少なく、なぜこの長編が猥褻な小説として人口に膾炙するようになったのか、イメージというものの威力を知らされる。有名なわりに実際に読んだ人間も少ないのではないだろうか。読んでみると性の問題以上に、階級社会といわれるイギリスの、階級格差について考えさせられる。世にあまたある姦通小説と本作をへだてるのは、男女の不倫が社会問題を背景にして描かれている点にあるだろう。

森番のメラーズは決して粗野な、野蛮な男ではない。戦争で中尉にまで昇進した過去をもち、高い知性と教養ももっている。彼には生まれついての品位が備わっており、ブルジョアであるコンスタンスよりも立派に振舞うこともできる。きれいな英語を話せるが、階級を意識してわざと方言混じりに話すという芸当もやってのける。クリフォードにせよ、コンスタンスたちが付き合うほかの男たちにせよ、彼ら上層階級の人間たちと比較しても、メラーズはなんら劣ってはいない。にも関わらず、人びとはメラーズを軽視し、彼と関係をもち、その子を妊娠したとして、コンスタンスは、開けた考えの持ち主である姉からも非難される。

支配階級と勤労階級とのあいだにある、決して越えられない溝。生粋の貴族であるクリフォードは、下層階級の人間がなんらかの手段で上層階級にわりこんでくる、そういう事態に深い嫌悪感をもっている。著者はその理由を明確にしないが、クリフォードのような生まれついての貴族は、そういう出世の努力を冷ややかに笑う余裕をもちながら、生まれが下の人間が自分たちの領域にわりこんでくることへの強い反感と、恐怖感とがあったのだろう。固定化した階級問題をやすやすと超える唯一の手段が、愛だった。

コンスタンスとてはじめからメラーズに惹かれたわけではない。メラーズのほうは注意深くこの「奥様」を避けていた。にも関わらず二人は結ばれ、もはや離れられなくなる。ロレンスの哲学は一言でいうならば「性の哲学」と呼べるものであって、この世界を人が生きるにあたって究極的に密接な関係は男と女の性交渉にこそある、と考えていたようだ。なるほど、二人の不倫の恋は階級問題を軽々と越え、空虚のうちに生きてきた二人の男女の魂を救済した。けれども、世間はそれを承知してはくれなかった。彼らの美しい愛は、猟園のなかの睦みに過ぎなかったのかもしれない。世の中と戦うのに、愛だけでは弱すぎるのだ。

著者はメラーズの口を借りて、当時の物質主義、金銭至上主義を厳しく批判する。消費がなくても豊かな暮らしを送ることはできる、という。なんだかいかにも今時過ぎて、かえって恥ずかしくなるくらいの主張で、こうした考えのもとでは社会は停滞してしまうだろう。吉田健一は、「戦争に反対する唯一の手段は、各人が己の生活を美しくし、それに固執することだ」と述べた。人間を幸せにする消費、市場経済もある。ロレンスの思想の限界を示すものだろう。

コンスタンスもメラーズも、お互いがお互いのなかに、自身によく似た哀しみを見出していたのだろう。裸になり、性器と性器を摩擦させることが生きていることの実感になる、そういう瞬間はたしかにある。けれども、対象への愛情が昂じると、性交ですら足らないと思える瞬間もたしかにある。この瞬間のもどかしさ、本当に対象と一体になりたいというあの身を切るような切望はどう取り扱ったらよいのか。
ときに愛には、性交では足りないと思える瞬間があるのだ。そんなとき、どうしたらいい。ぎゅっと相手の手を強く握ればよいのだろうか。あるいはそうかもしれない。


4102070125チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)
David Herbert Richards Lawrence
新潮社 1996-12

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ロレンスの思想の限界?

あんた、何様のつもりだよ。
偉そうに
2015/11/02 00:29

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