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zoom RSS 『エイジ・オブ・イノセンス』 イーディス・ウォートン

<<   作成日時 : 2009/10/15 00:00   >>

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恋愛が内包するジレンマをよくあらわした小説。

19世紀末の「古き良き」ニューヨーク。上流階級に属するニューランド・アーチャーには、若く美しいメイ・ウェランドという婚約者がいた。メイには、ヨーロッパで結婚生活を送っている従姉のエレンがいる。彼女が夫との不和のために離婚を決意してニューヨークへ戻ってきて、弁護士であるアーチャーは彼女の離婚訴訟に関わることになる。しかし、格式と伝統をなによりも重んじるニューヨーク社交界では、エレンの醜聞は理解されない。離婚は恥であり、それは彼女自身のみならず一族みなにも暗い影を落とすことになるのだ。ゆえにメイをふくめウェランド家の人々はこの離婚には反対する。一方でアーチャーはエレンに惹かれていき、彼女を得られるのならメイを捨ててもよいとまで思う。エレンもまた彼に心が傾く。けれどもこの恋は実らない。エレンは結局離婚を断念してヨーロッパへと帰り、アーチャーはメイと結婚して社会的には名士として生涯を送る。

タイトルにイノセンスとある。このイノセンスとは、無垢とは少し違ったニュアンスがあり、偽装された無垢を意味するという。上流社会の伝統のなかで息をし、その世界しか知らないメイがこのイノセンスを体現する。アーチャーもこの社会の一員ではあるが、多くの書物を読み、多くの人と関わり、自分はこの閉鎖的な社会の外の現実も知っていると自負する。実際、彼は知的な会話を好み、それができるのであれば下の階級にあたる人間とも好んで接触する。しかしメイは違う。メイは若く美しく貞淑で一見このうえなく理想的な花嫁に見えるが、彼女の価値観や判断基準は、すべて上流社会がよしとする物差しによって計られているに過ぎない。彼女の微笑、彼女のしぐさ、彼女の趣味嗜好、それらすべて、ニューヨークの上流社会が何十年にもわたって積み重ねてきた、上流社会のモラルのコピーに過ぎない。そこにメイ自身の個性はなく、アーチャーはその点に不満を感じている。

エレンはメイとは対照的に、ものごとをありのままに見る。自分がよしと思えば、上流社会の暗黙のルールなど無視してはばからない。住む場所も付き合う人々も、彼女の一族の人が眉をひそめたとしても、彼女は一向に意に介さない。上流社会のモラルに束縛されているアーチャーの目には、エレンの自由な振舞いが魅力的に映る。

二人の女のあいだで揺れ動き、エレンのほうに心が傾くのを抑えきれないアーチャー。エレンも、そんなアーチャーの気持を知っていたし、彼女もまたアーチャーに惹かれていた。けれども二人はキスを交わしこそすれ、それ以上の関係になることはなかった。そしてエレンは離婚を断念し、夫がいるヨーロッパへと帰っていく。
やがて時が経過し、すでに初老の人となったアーチャーの傍らにはメイの姿はない。彼女は亡くなり、アーチャーは息子とともにパリを訪れる。息子はエレンと偶然知り合い、父を連れてくると約束したのだった。直前になってそれを聞かされたアーチャーは複雑な気分になる。自分を彼女と同じ風景のなかに置くことに違和感を覚える。そして彼女が暮らす部屋を見上げたのち、会わずに去っていく。そのほうが現実的だ、と呟いて。

メイと結婚したのちも、アーチャーはエレンの面影を消し去れなかったのだ。そして彼のこころのなかで、エレンは次第に現実のエレンでなくなり、より理想の恋人としての輪郭を付与されていったのだろう。その大切な思い出、夢想はいまや現実と乖離していることをアーチャーは自覚していた。だから彼はエレンと会わずにその場から立ち去ったのだ。美しい恋の記憶に現実の色を着色することを恐れて。この決断には一抹の哀しみがつきまとう。恋ははかない、蝶の羽の色のように。失われたのちもずっと思い続け、自分だけの部屋にその面影を大切に保存し続けてきた女。長く思い続けてきたために、彼にとってはもはやその思い出だけがエレンとなっていたのだろう。恋は情熱を招く。けれども時の経過とともに当初の新鮮さや激しさは衰え、ついには倦怠が訪れる。祭事が日常と化してしまう。

成就すれば恋は死ぬ。恋愛が内包する皮肉なジレンマを、この小説は読む者に教えてくれる。メイを選んで、アーチャーは傍目には幸福な人生を送ったはずだ。しかし長い結婚生活のあいだに、もしエレンを選んでいたら、そう想像する夜もあったに違いない。ありえたかもしれない人生の可能性を思うとき、人はロマンチック・ノスタルジーに襲われる。


4102413014エイジ・オブ・イノセンス―汚れなき情事 (新潮文庫)
Edith Wharton
新潮社 1993-09

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この小説を、小谷野敦氏が『聖母のいない国』で取り上げていて(「禁忌なき時代、恋愛小説は死滅する」)、恋愛小説というジャンルにおいて比肩しうるもののない一級の作品と絶賛している。
4309409067聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)
河出書房新社 2008-06-04

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