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zoom RSS 『廃市・飛ぶ男』 福永武彦

<<   作成日時 : 2009/11/21 00:00   >>

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恋愛、孤独、死または虚無、芸術と人生といった福永得意の主題を扱う短編を6編収録。

「廃市」は運河に囲まれた幻想的な村を舞台に三角関係の恋愛が描かれる。若い夫婦がいて、夫は妻を愛しているのに、妻は夫の愛が信じられない。夫は自分の妹を愛しているのではないか、という疑念にとりつかれた妻は家を出る。失望する夫。妹はたしかに義兄に憧れる気持をもってはいたけれど、ふたりのあいだに恋愛はなかった。この意固地な、愚かしい妻の疑念はやがて悲劇を招き、小説は哀しく終わる。
この構図は「影の部分」や「未来都市」や「退屈な少年」といったほかの短編でもみられる。恋人たちは相互のすれ違いや無理解によって巴模様を描き、登場人物たちのこころを暗くする。

『風のかたみ』の記事のときにも書いたが福永は甘い作家だ。この甘さがこれでもかとみられる短編集になっている。愛の不可能に直面した登場人物が安易に死を選択するという筋には、しょうじき辟易した。人が絶望したとして、そんなに安易に死を選択してよいのだろうか。小説において死は便利な装置だと感じる。絶望といってもおのれの愛が成就しなかったことであって、そんなことは彼または彼女だけでなく多くの人が体験することではないか。退廃といえば聞こえはよいけれども、やはり読んでいて甘いといわざるをえない。いくらか滑稽にすら思える。かりにそれが絶望であったとしても、それを背負って生きていく姿に人を感動させるものがあるので、ナルシシズムの帰結としての死など読者をうんざりさせるだけだろう。「他人のこころは理解できない」という福永的な孤独の定義がある。どれほど想ってみても、他人同士が完全に理解し合えることなどない。この空隙はしかし絶望なのだろうか。他者は永遠に他者であるということは、これは希望ではないのか。
福永を好んでいるからこそ、彼のこの甘さに厳しくなる。その先にあるだろう諦念、あるいは虚無主義に立脚した希望を扱えなかったのが残念でならない(晩年の『死の島』にはそれがみられるが)。こんな批判をしても詮ないのだけれども。

ほかに「夜の寂しい顔」「飛ぶ男」「樹」「風花」を収録。内的独白をカタカナ表記で表現するのに、当時の前衛小説の面影をみてほほえましい気分になった、嫌味ではなしに。

4101115036廃市・飛ぶ男 (新潮文庫 草 115-3)
新潮社 1971-06

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