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zoom RSS 『モロイ』 サミュエル・ベケット

<<   作成日時 : 2009/11/29 00:00   >>

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おかしな、おかしな小説。

二部構成になっている。第一部は、モロイという記憶障害のある人物が、母親の住む町を目指す旅を回想形式で記述する。改行なしに、思い出すまま脈絡なく脱線を続けながら、記憶の糸をたどり、幾度も反復と否定を繰り返す冗長なモロイの報告。文字を追っているとやがて何について述べていたのだったか忘れてしまう、まるでモロイのように。「わからない」「らしい」といった曖昧な語りが読む者を翻弄する。難解なことを述べているわけではないのだけれど、どうでもよいようなことにこだわって細部を描写したがるモロイの報告には辟易する。窓から見える月のかたちだの、おしゃぶり用の石がどうしただの、これらはユーモアだとは思うのだが、ちょっと付き合うのは苦痛だ。フォークナーの長編に知的障害者の語りがあるが、あれとてこんなにとっつきにくくはなかった。

第二部は、このモロイを調査することになるモランの報告書の形式になる。モランはモロイ調査の命令を受け、ある町から息子を連れて旅立つ。道中は平穏ではない。父と子の反目があり、やがて子は父を置いて去っていく。ユーモアの観点からいえば第二部のほうがはるかに可笑しい。第一部のように叙述が錯綜することは少なく、通常の小説の形式で書かれているので読みやすいのもあるだろう。語り手のモランは父親の権威にこだわりたがる俗物で、彼が息子に対してとる態度がなんともいやらしくて笑いを誘う。

結局この長編が何を述べていたのかは最後まで読んでもよくわからない。モロイは母親の町に到着したのだが、どうやって到着したのかは述べられていない。ただ冒頭に「私は母の寝室にいる」とあるから、そこから遡行して到着したのだと推測できるのみだ。モランの場合はモロイの町にたどりつく前に命令を撤回され、すごすごと自宅に戻ることになる。小説の最後の一節は、そのまま読んだのでは意味が通らないおかしなもの。
そこで私は家へ入って、書いた、真夜中だ。雨が窓ガラスを打っている。真夜中ではなかった。雨は降っていなかった。

これはどう解釈したらよいのか。まったく逆のことが述べられている以上どちらかが間違っているのか。理解に苦しむ。もっと普通に書け、とついいいたくなる。

つまるところ、小説って何をどういうふうに書いてもいいものなのだな。


4560043469モロイ
Samuel Beckett
白水社 1995-08

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管理人は『モロイ』よりこちらのほうが楽しく読めた。
4560092222ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット)
安堂 信也
白水社 2008-12-26

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