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zoom RSS 『蒼ざめた馬』 ロープシン

<<   作成日時 : 2010/01/13 00:00   >>

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「……視よ、蒼ざめた馬あり、これに乗る者の名を死といい、黄泉これにしたがう……」
ヨハネ黙示録


20世紀初頭のモスクワを舞台に、政府要人暗殺を目論むテロリストたちの物語。
主人公である語り手の名は最後まで明らかにされない。彼は仮名で呼ばれる。素性を偽り都会に紛れ込み、彼をリーダーとするテロリスト集団は暗殺の機会をうかがう。失敗ののちに彼らの目論見は成功し、モスクワ総督は爆死する。同時に実行した同志をグループは失うことになる。ほかの同志たちが悲嘆に暮れるなか、語り手一人が冷然と事実を受け入れる。この姿勢には信仰の問題が絡む。死んだ同志はキリスト教を信仰し、彼独自の信仰をもっていた。彼は愛のために死ぬ覚悟ができていた。けれども語り手に信仰はない。二人はテロル実行の前に対話するが、結局は平行線のまま終わる。そして一人は死ぬ。語り手はそののち内省し、もしかすると彼が正しかったのかもしれないと思うが、いまとなっては過去の対話の続きを望んでも詮ない。

女性同志は語り手に想いを寄せている。けれども彼には別の想い人がいた。夫のある女で、いくら想ったところで彼女は彼のものにはならない。逢瀬を重ねたのち、二人は別れることになるだろう。この愛の不可能性は物語に抒情を与えるとともに、すべては空の空だと結論することになる語り手の心情と通じるモチーフになる。

ひとつのテロルが終われば、次の使命が委員会から与えられる。総督の次は法務大臣だ。要人を暗殺し、同志を失い、それで何が変わったのか。語り手は虚無感にとらわれ、人生を人形芝居のように感じはじめる。

大義のための殺人と、それを抑制する「殺すなかれ」という掟。この対立は著者と同じ国の作家であるドストエフスキーが抱えた思想問題だった。神がなければすべてが許される、それではスメルジャコフだ、と登場人物の一人は口にする。野蛮な暴力手段に訴えるしかないテロルという行為はしかし、宗教的な問題とは別にして悪とすることはできないのだろうか。犠牲者のことを思って、なおかつ是といえるのだろうか。

著者自身、社会革命党(エス・エル)のテロリストだった。ロープシンは仮名で、本名サヴィンコフ。テロリストの書いたテロルの物語。簡素な文体と抒情的な描写が印象深い。しかし読み終えて残るのは一切は虚しいという徒労感だ。誰の生も死も、人形芝居ではないか。人形使いは、誰か。
わたしは奴隷の祈りなど捧げたくもない……キリストには福音で世界に灯をともさせるがいい。おだやかな世界などわたしに用はない。愛で世界を救済させるがいい。わたしに愛は不要だ。わたしはひとりである。わたしはたいくつな芝居小屋から出ていこう。そのとき、天空に神殿の扉が開かれるだろうが、なおわたしは言うだろう。すべては虚偽であり、すべては空の空である、と。

付録として、訳者による評論「サヴィンコフ=ロープシン論」が付いている。


4006021097蒼ざめた馬 (岩波現代文庫)
川崎 浹
岩波書店 2006-11

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テロルに巻き込まれ、生命を失った多くの名もなき人々を思うために。
4755480086シャヒード、100の命―パレスチナで生きて死ぬこと
Adila La¨idi
「シャヒード、100の命」展実行委員会 2003-08

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