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zoom RSS 『眠れる美女』 川端康成

<<   作成日時 : 2010/01/31 00:00   >>

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官能と死のあわいで。

宿のような「秘密のくらぶ」の一間に美しい少女が眠っている。もはや男でなくなった老人たちはここの会員となって訪れ、一糸纏わず昏々と眠り続ける少女のかたわらで一晩を過ごす。ある老人は言う、それはまるで「秘仏と寝るようだ」と。67歳の江口老人はまだ男でなくなってはいないが、そうなるのはもう間もないだろうと自覚している。彼は知人の紹介でこのくらぶを訪れ、眠る少女に寄り添う。男としての死を間近に感じている江口は、猛った性欲をぶちまけてこのくらぶの禁忌を冒してやろうかと思いもするけれど、結局は思いとどまり、娘のかたわらで波の音を聞きながら眠りにつく。

少女を眠らせるのに強い薬を用いているため交代制にする必要があるからか、くらぶには幾人もの少女が所属している。訪れるたびに違う少女と添い寝しながら、江口のこころに去来するのは過去に自身と関わりのあった女たちだ。妻や娘、駆け落ちまでした恋人、不倫相手、そして母親。決して目を覚まさない美しい少女との添い寝には、性交の激しさとは異なる、静かな官能の慰めを彼にもたらすだろう。

これら眠る少女たちは、どんな素性の少女たちなのか。江口は美しい少女の声を聞いてみたいと願い、彼女を起こそうとするがかなわない。全裸で眠っているから、着ているものから素性を推測することもできない。彼女たちが起きるまで待っていようとしても、それはこのくらぶの禁忌だと案内役の女に断られる。まだ男である江口には納得できないかもしれないが、もはや男でなくなった老人たちにとってはこのほうがよいのだ。なぜなら、
娘が決して目をさまさないために、年寄りの客は老衰の劣等感に恥じることがなく、女についての妄想や追憶も限りなく自由にゆるされることなのだろう。

眠っている女は、そこにいるのにそこにいない。この隔てが、他人を所有するという不可能を可能にさせるだろう。己の妄想によって理想の女性像を目前の少女に投影し悦に入るもよし、眠る少女を触媒に過去の女たちの甘い、あるいは苦い思い出に身を任せるもよし。そう、彼女たちは老人たちの妄想と追憶のために捧げられた生贄なのだ。

プルーストの『失われた時を求めて』に、語り手が思いどおりにできない恋人の寝姿を見つめながら、彼女をようやくわがものとできた、と思う場面がある。目覚めて活動しているとき、他者はつねに他者であってこちらの思うとおりの人間であってくれない。けれども眠っているあいだだけは、彼女は彫刻のように物となってこちらの思いどおりの人間として想像することができ、所有できる。くらぶの少女たちも、素性がわからず、瞼を開くことも声を発することもないからこそ、秘仏のように老人たちに慰めをもたらすので、彼女たちが目覚めてしまえばその神秘性は失われ、どこにでもいる女の一人に成り下がってしまうだろう。実際に彼女たちの一人は、客のいないときには「いやなじじい」と陰口をきく、およそ仏性から遠く離れた生身の女なのだ。

素性を知らぬ他者を、己の想念のなかで弄び所有する。知らない他者は神秘のヴェールに覆われ、こちらの都合によい人格を付与される。生身を感じさせないからこそ、憧憬の対象となる。知ってしまえば、他者はどこまでも他者であるという冷厳な現実を突きつけられ落胆するだけだ。イメージする動物である人間の性を知っているから、くらぶでは目覚めた少女を決して客の目にふれさせない。

少女のあたたかく、やわらかな肌にふれて、死の近い老人たちは慰めを見出す。江口は、少女のからだが放つ「こいにおい」に誘われ、男を「魔界」にいざないゆくのは女体のようだ、と述べる。中上健次の「岬」に、男に抱かれたあとで女が男の性器にふれ、男のひとってしんどそう、こんなものにふりまわされて、と揶揄する場面がある。性欲に振り回され、そのための機能が失われたのちも官能に憧れて必死にしがみつこうとする。男ってどうしてこんなにも惨めで、滑稽で、そうしてかなしいのだろう。

少女と老人の組み合わせは、そのまま生と死の照応関係にある。しかし眠りを短い死とするなら少女は死の側にいるともいえ、逆に官能にしがみつく老人たちは生の側にいるともいえる。本来なら死の側にいるはずの老人の死と、本来なら生の側にいるはずの少女の死が描かれるのはそれをよくあらわしている。この生と死を結ぶ糸となるのが、曖昧で中途半端な性だ。退廃的、あまりに退廃的で、かなしい小説となっている。

併せて収録されている「片腕」や「散りぬるを」も読むと、川端康成という作家はおよそ倫理やら道徳やらと無縁だったのだろうと思われてくる。かなり特殊な感性をもった人だったのではないか。ちょっと、怖い。

4101001200眠れる美女 (新潮文庫)
新潮社 1967-11

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アルベルチーヌは本当に語り手を愛していたのか、さだかではない。彼女は結局何者だったのか、小説を読み終えても判然としない。われわれが現実に愛する女と同じように。
4087610284失われた時を求めて〈9〉第五篇 囚われの女1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
Marcel Proust
集英社 2007-01

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416720701X岬 (文春文庫 な 4-1)
文藝春秋 1978-01

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