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zoom RSS 『嘔吐』 J‐P・サルトル

<<   作成日時 : 2010/03/08 00:00   >>

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生きてあることの意味を考察する。

小説の語り手アントワーヌ・ロカンタンは30歳。食うのに困らないだけの金利収入があり、いまは港町ブーヴィルで18世紀の公爵ド・ロルボンについての書物を著すため図書館に足繁く通っている。彼には奇妙な持病があり、何かを注視してそれがそこにある、紛れもなく存在しているという現実が不快に思え、それを意識すると吐き気に襲われる。原因を探すとそれは外部の事象ではなくて、彼自身がこの吐き気そのものだった。文字を追い、その意味するところが見失われるときにも、彼は吐き気に襲われる。やがて彼が執筆していたド・ロルボン伝は頓挫する。

小説は哲学的考察に満ちたもので動的なドラマは殆ど皆無だ。ロカンタンの吐き気にまつわる考察が多くの部分を占め、その合間に、カフェのマダムとの空疎な情事、図書館でアルファベット順に本を読んでいる独学者、4年前に別れた恋人アニーとの再会といったエピソードが扱われる。神経症的なロカンタンの吐き気の症状は医学的な見地から見れば興味深いものがあるかもしれないが、管理人としてはこの症状を単なる情報としてすら咀嚼できず、ただ文字を追うだけの読書となったのは残念だった。「実存主義の聖書」と大層な呼ばれかたもする本書だが、実存といったところで机の角に足をぶつければ思わず悲鳴が出るほど痛い、そのことだろうくらいにしか考えていない人間にはその意味を探求すること、ことに小説の形式で探求することが適切なのか、それさえ判然としない。ロカンタンは孤独な人物だが、その孤独も切実さに欠ける。関わる人間が極端に少ないとはいえ、性交の相手がい、一応当面は打ち込める仕事をもつ人間が孤独を口にするというのは違う気がする。

不条理云々という箇所があるが、不条理といったって、自分は報告したのに聞き忘れた上司が自身を棚に上げて文句をつけてくる、そんな状況に慣れっこになっている雇われ者の身としては、何をいまさらという感が強い。不条理の世界に投げ出された寂しい存在、それが人間ではないか。サルトルはこれらの考察を、もっと小説という形式にふさわしい物語に託してくれたらよかった。たとえば終盤の恋人アニーとのつかのまの再会と別離のエピソードは、改めて振られた男の惨めさがでていてとてもよい。それに続く独学者の同性愛的行動と、書くことによって自らの実存を引き受けようと決意するラストなどはどこかで見たプルースト的なものでちょっと物足りない。

4409130196嘔吐
白井 浩司
人文書院 1994-11

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