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zoom RSS 『他者の苦痛へのまなざし』 スーザン・ソンタグ

<<   作成日時 : 2010/04/05 00:00   >>

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戦場写真を見ることがわれわれにリアルを伝えるとしても限界があるということを誠実に考察した写真論。

日々、メディアを通じてわれわれが見ることになる、戦場の悲惨を写した写真の数々。古くは100年以上遡って報道されてきたこれらの写真を通じてわれわれがリアルにふれたと仮定しても、地球上から戦争をなくすには程遠い現在から考えると、報道写真が現実を変える力をもつと無邪気には信じられない。破壊された市街、銃撃によって斃れた兵士、砲弾から逃げ惑う民間人――こうした光景を幾度も目にしながらも、われわれは戦争を地上から消し去ることはできなかった。報道写真は無力なのだろうか。報道写真を撮るという行為も。

写真には人間の記憶に強く残る力がある。人が過去を想起するとき、脳裏には一枚の画像がイメージされる。文学や音楽よりも直接的に人間のこころに焼きつく。その特性を知っていた歴史初期のカメラマンたちはだから、戦場の写真を撮影する際により劇的な効果を収めようと演出を試みた。ロジャー・フェントンが1854年に撮影したバラクラバの谷(死の谷とも呼ばれた)の写真といい、フェリーチェ・ベアトが1857年に撮影したシカンドラバール宮殿前の写真といい、どちらにも演出が施されている。前者では、谷に転がる砲弾を撮影者は配置し直したし、後者では撮影者は宮殿前に転がる死者の骨を掘り起こして配置したとされている。どちらも、ショッキングな写真が見る者に与える影響についてよく理解していた。
こうした行為を不誠実だと批判するのはたやすい。とはいえこの写真に収められたのはひとつの真実なのであって、多くの鑑賞者はこころを揺さぶられるだろう。撮影者の意図を推察し、写真を分析すること。これが「フォト・リテラシー」(今橋映子)能力とされる。何にせよ、生のリアルなどありえない。偶然カメラが撮影した「決定的瞬間」の写真であったとしても、眺める姿勢である以上はわれわれは当事者の感情からは遠く離れ、仮に現場に居合わせたとしても眺める立場であるのだから、やはり見る者は当事者から隔てられている。他者の苦痛を体験できるはずもなく、それは写真の限界であるのみならず人間存在の限界でもあるのだ。われわれはついに、孤独な一人でしかありえない。
映像は距離を置いた地点から苦しみを眺める方法であるという理由で非難を受けてきた。まるでそれ以外に眺める方法があるかのように。しかし近距離で、映像の介入なしに苦しみを眺めることも、眺めるという点では同じである。


著者は人間の限界について述べながら、また人間の嗜好にもふれる。人が暴力的な場面に魅惑を感じるのはそれがポルノ的な興奮とつながっているからだと指摘するのには同意する。暴力と性は、とても近い場所に位置している。

現場で眺めるにしても、写真を通じてふれるにしても、われわれはついに他者の苦痛を理解しえない。それはわれわれが他者と隔てられているから、つまりはわたしはわたしであってあなたではないからという自明の真理を告げるだろう。想像するという。その想像にすら限界がある。戦場は地獄だといっても、とりあえずは平和な国に暮らすわたしがイメージする地獄は、結局は何らかのメディアから刷り込まれた「戦場の地獄」というイメージでしかない。この断絶をしかし悲観したくはない。他者は永遠に他者であるということこそが、人が生きられる最初にして最後の希望であると、管理人は信じたいから。信じているから。
われわれは知らない。われわれはその体験がどのようなものであったか、本当には想像することができない。戦争がいかに恐ろしいか、どれほどの地獄であるか、その地獄がいかに平常となるか、想像できない。あなたたちは理解できない。あなたたちには想像できない。戦火のなかに身を置き、身近にいた人々を倒した死を幸運にも逃れた人々、そのような兵士、ジャーナリスト、救援活動者、個人の目撃者としてそう感じる。そのとおりだと、言わねばならない。


戦場写真を見ることで戦場を知った気になる、その傲慢を指摘する書。われわれが、と「われわれ」という言葉を安易に用いるのに躊躇を覚えるのでわたしと直すが――わたしが本当に知ることができることなど、何があるのだろう。真摯な著者の言葉が、さらに深くて暗い迷いの森に誘う。本書は絶望的なまでに希望の書だ。

4622070472他者の苦痛へのまなざし
Susan Sontag
みすず書房 2003-07

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本記事でふれた19世紀の戦場写真をこの本で見ることができる。ほかにも多くの歴史的瞬間の写真が多数掲載されているが、この本の告げる「世界」とはつまるところ欧米のことなのだ。
4863130503世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間
日経ナショナルジオグラフィック社 2008-10-24

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本書を知ったのはこちらの本のおかげ。報道写真を読む倫理のために、こちらも併せて読まれたい。
4121019466フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理 (中公新書)
中央公論新社 2008-05

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ご無沙汰しています。以前、マクベなどと名乗っていました。
映像の力は脅威的で、「私」と「他者」という区別さえ飲み込んでしまいますよね。しかし、真摯な映像を見ると、そこにいやらしさはありませんし、それが文字通り脅威ともなるわけです。
息の長い記事の掲載に敬意を表します。
さくらだしんじ
2010/05/18 21:42
>さくらだしんじさん

お久しぶりです。こちらはご覧のとおり惰性でブログを続けていました。
個人が個人である以上は、他人の痛みを追体験することは不可能で、そうしようと望むのは傲慢と紙一重の倫理なのだと思っています。他者は永遠に他者のままで、歴史は記録されたものの集積に過ぎない。存在は軽いです、耐えられないほどに。
epi
2010/05/21 07:46

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