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zoom RSS 『愛の続き』 イアン・マキューアン

<<   作成日時 : 2010/04/23 00:00   >>

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平穏な日常が狂気によって突如破られる。

語り手は中年の科学ライターで彼には洋々たる前途があり、年若く美しい恋人がいて、満たされた人生を送っていた。しかしある日突然彼の前に現れた一人の青年によって、この平穏は脆くも崩壊する。ことの発端はこう。恋人とピクニックに出かけた語り手は、草原で気球の落下事故を目撃する。周囲に居合わせた人々は気球に乗った少年を助けようと駆けつけ、少年は運よく助かるが、この救援の過程で一人の犠牲者が出る。救援には語り手を含め4人の成人男性が関わったが、このなかの一人である青年は事故発生直後から、自身は語り手に愛されていると強く思い込み、つきまといはじめる。

事故があった夜、語り手の家にかかってきた電話。「あなたが何を感じているかわかっている。僕も同じことを感じているから。愛してる」。不気味に思ったものの青年を放置する語り手。やがてつきまといはエスカレートしていき、大量の留守番電話があり、家の前での待ち伏せがあり、ついには語り手の命まで狙われるようになる。この過程で語り手の精神は著しく疲弊し、恋人との関係はこじれていく。彼女はいうだろう。あなたにつきまとっている青年なんていなくて、すべてあなたの思い込みに過ぎないのではないか、と。彼女に心配をかけたくないからと語り手が青年のつきまといを隠していた結果、皮肉にも彼女は真相を告白されたときに青年の実在を信じられないのだ。

素性も知らぬ相手から突然に自分はあなたから愛を感じたといわれ、この思い込みが病的に凝り固まり、こちらの生活が破綻するほどに干渉してきたら。いわゆるストーカーだが、著者はこの青年の「愛」をド・クレランボー症候群として扱う。ド・クレランボー症候群とは、患者が誰かから愛されていると妄想的に思い込む一種の精神病で、本作の青年はこの患者なのだ。自分はこんなにもあなたを愛しているし、あなたが本当には自分を愛していることもわかっている。なぜならそう感じるから。だから冷淡を装うのはやめてくれないか。こんなことを赤の他人からいわれたら絶句するしかない。そして恐怖を覚えるだろう。

この狂気が本作の「愛」となる。ソフトカバー版の表紙が象徴的だ。語り手、語り手の恋人、青年、この3人がいて、大きく口を開けた穴の淵に腰を下ろしている。語り手と恋人が視線を合わせていて、青年は語り手をじっと見ている。そしてこの3人の足元に広がる穴こそ、底なし沼のような「愛」なのだ。狂気によって追いつめられていく語り手の恐怖を読んでいくのはスリリングで、こういう小説を読むと娯楽性、文学性といった垣根が無意味に思えてくる。訳者あとがきによると、マキューアンは小説家として何よりも「物語ること」を優先する作家であるという。

アヴァンギャルドな小説を読んで苦痛と退屈しか覚えない読者としては、すぐれた物語作家の小説だけを読んでいたい。管理人にとってのすぐれた小説の基準とは、物語としておもしろい小説のこと。すぐれた物語作家が、そんなに数多くいるわけではない。

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りつこの読書メモ
2010/06/20 22:47

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お久しぶりです。
「愛の続き」とても面白かったです。
異常な出来事を介して、誰もの心の中にある不安や狂気を明るいところに出して見せておいて、最後はそれをきれいにしまいこむ。
静と動のバランスが絶妙で、やっぱりマキューアンは凄いなぁと思いました。

面白い小説しか読みたくない。
同感です。
時間は限られていますから。
りつこ
URL
2010/06/20 22:45
>りつこさん

ご無沙汰しております。嵩じれば愛情も錯乱です。語り手の話を信用しない恋人とのやりとりの部分をとくに面白く読みました。そうなのかもしれない、と読者に思わせるようにしてでも実は…という流れはうまいと思います。
epi
2010/06/23 00:59

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