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zoom RSS 『巨船ベラス・レトラス』 筒井康隆

<<   作成日時 : 2010/04/29 00:00   >>

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エンターテイメント性に溢れたメタフィクション。

自身の創作に自覚的な「革新的」作家たちや編集者たちが、文学の置かれた現状とこれからを議論する。タイトルのベラス・レトラスとは文学の意だそうで、この名を冠した船に乗って登場人物たちはいずこかへ運ばれていく。文学賞選考批判、一般大衆の文化的教養の低下、前衛性や実験性を追及して創作し続けることの困難、文化的ミームによる文化継承などの問題がおそらくは著者がモデルだろう初老のベテラン作家を中心に多声的に議論されるが、どの問題も決定的な回答は出ずに問題提起としてとどまるのは読者の側にその判断を委ねる意図からと思われる。章分けはなし、場面転換による空行もなし。小説家が多数登場し、彼らが執筆した作品は小説内小説として地の文と分けられずに挿入される。やがては小説内小説の登場人物が小説内登場人物と区別されずに登場するようになり、筒井康隆自身もこの小説に登場して、自身が被害に遭った著作権侵害事件について加害者を弾劾する。
虚構のなかに虚構があり、この虚構内虚構のなかにもさらに虚構はあって…と無限に続く合わせ鏡のような世界を連想させられ気持よい眩暈を覚える。ユーモアや毒がある会話は読んでいて飽きない。

作家である以上作品は読まれなければ意味はない。そのためには著者は自身の自由な発想を捨てて読者に媚びねばならないのか。誰にも読まれなくても自身がそうしたいと思う方法で文学を創造し続けたいとする人物がいて、この対立にも答えは出ない。出版社側とて余裕があるわけでもなく、登場する前衛的な作家たちが寄稿していた雑誌はろくに読まれないうちにあっさり廃刊が決定してしまう(とはいえ前衛的な文学を執筆しなくてはならないという縛りは作家たちにはプレッシャーになっていたのだが)。

ベストセラーリストの上位にあったり、なんとか賞を受賞した小説がすぐれた小説であるとは限らない。いまや多くの読者が当然に理解していることであるがではすぐれた小説とはなんであるのか。専門的な書籍を出版し、一見良心的に見えた出版社さえ長く続く不況の影響か、金のためには著作権侵害を犯して人気作家のゾッキ本を出すこの時代、読書のほかにさまざまな娯楽があり、一人ひとりの趣味が多様化していく一方のこの時代に文学に果たせる役割は何か、とうてい容易に答えは出ないだろう問いが軽やかに提出される。

文学をめぐる状況は変わったといわれる。むかしを知らないので安易なことは述べられないが、普通の主婦だった管理人の母親の本棚には川端康成や夏目漱石が山田風太郎と一緒に並んでいた。彼女はわりと読書するほうだったとは思うが、それでも翻訳小説は読めず、高校生のとき同級生に『カラマーゾフの兄弟』を強く勧められたがどうしても読めなかったらしい。いま30歳を過ぎ、結婚した友人の家にお邪魔して何より驚くのは、本棚のない家が多いことだ。本、とくに小説を読むことはあくまで趣味にしかすぎないと思ってはいるが、それにしてもよく文字にふれずに生きていられるものだと感心するよりは少し怖くなる。言葉で思考するのに文字にふれずにいて不安な気分にならないのか、と。友人たちはよくできた人たちだが、本棚がなくても生きていられるのは自分とは違う世界の住人なのかなと寂しい気持になるときがある。これを時代の変遷による教養の低下だとか大仰には思わないけれども、こうした層が多くになるにつれ作家たちはいよいよ困難に直面するのではないかと考える。ライトノベルやケータイ小説が人口に膾炙する時代になり、これから10年後、20年後、文学を取り巻く状況はどうなっているだろう。そのころには何を期待して自分は小説を手に取るようになっているだろう。

4163256903巨船ベラス・レトラス
文藝春秋 2007-03

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