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zoom RSS 『ナチュラル・ウーマン』 松浦理英子

<<   作成日時 : 2010/08/12 00:00   >>

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同性愛者の語り手と、彼女が関係する女の物語が連作形式で収録されている。

冒頭収録の「いちばん長い午後」では、国際線スチュワーデスの夕記子と語り手の関係が述べられる。二人とも互いへの恋愛感情はなく、ただ冷めた肉体関係のみでつながっている。語り手はかつて熱烈に恋した花世のことが別れてから5年を経たいまでも忘れられず、彼女との恋をひきずっている。夕記子はそれに気づいていて、語り手のこころを支配できず、むしろ逆に彼女に支配されていると感じ、その苛立ちを暴力にして語り手にぶつける。殴られて従う語り手の姿に夕記子はなお苛立つ。二人の性交はさまざまな道具を用い趣向を凝らすがそこに精神的な喜びはない。彼女たちの関係はもはや修復不可能になっており、惰性と妄執が関係を持続させている。
愛情の対義語は嫌悪ではなく無関心だという。まことにそうで、慕わしさではなく怒りから、嫉妬から、人は人を所有しようとする。もはや好きだという感情はない、相手からも望まない。それでも自分を拒否することは許せない、他人のものになるくらいなら殺してしまいたい――幼稚な感情だが、恋愛の欲望がつまるところは承認欲求である以上、自身を受けいれてくれない他者に執着する心理は理解できる。こちらを顧みない他者への怒りが募れば暴力のかたちをとることもあるだろう。

続く「微熱休暇」では、どうやら夕記子と別れたらしい語り手が、少し前にアルバイト先で知り合った由梨子と伊豆旅行に赴く。語り手は同性愛者だが、由梨子は違う。世のなかに冷たいまなざしを向け、負の感情を吐き散らす夕記子と違い、「強くなりたい」からと毎日腕立て伏せをし、自身のうちに感情を溜め込もうとしない快活な由梨子に、語り手はひそかに慕わしさを抱いていた。彼女と関係したいと望み、しかし同時に彼女を欲望の対象とすることに躊躇する語り手。いとしさが嵩じ、我慢しきれなくなった語り手は由梨子に接近するが、結局関係をもつことはできない。ふざけて誘ったのか、と詰問する由梨子に語り手は答える、「あんまり好きだとできないものなのよ」と。二人は並べられた布団に入るが眠れない。これまでよい友だち同士だった語り手と由梨子が新しい関係に入るのか、その予感を残して小説は終わる。

最後に収録されている「ナチュラル・ウーマン」は過去に遡り、語り手と花世とのなれそめが述べられる。漫画サークルに所属していた二人はそこで知り合い、互いに夢中になる。花世は魅力的な女なのでこれまでに多くの男と交際してきたが彼らとの関係に満足を覚えたことは一度もなかった。彼女はいうだろう、語り手を抱きしめたとき、はじめて自分が女であると実感できたのだ、と。ナチュラル・ウーマンになれたのだ、と。性交に慣れた花世は、不慣れな語り手をベッドでリードする。肉体的、精神的に二人は満足する。けれども、何がきっかけだったのか、時の経過とともに二人の関係に暗雲がたちこめる。いや、恋人たちがつねに明確なきっかけなどないままに日々の些細な釦の掛け違いから仲違いしていくように彼女たちの関係もひび割れたのだろう。会っていても苦しさは増すばかりで、それならば会わなくても大差ないではないか、そう結論した語り手は花世に別れを切りだす。すでに「いちばん長い午後」を読んでいる読者は、こののち彼女たちが再会するのを知っているのだが、彼女たちはそんな予感さえなく、ある寂れたビルの片隅で二人は離れる。
友だちのままでいられたら、こんなに辛い思いをせずにすんだのかもしれない――語り手はふと思って花世にそう言うが、彼女の答えは「今さら考えたってしかたがないわよ」。
あのときああしていたら――恋の終わりにそう思うことはある。けれども過去についてあれこれ思い悩んだとて詮無い。これでよかったのだ、悪かったとしてもこれでよかったのだ、と思うしかない。誰がいつかは別れることを前提に恋愛をはじめるだろう、つねに別れはつきまとうものであるにも関わらず。

「ナチュラル・ウーマン」の終わりが切ない。花世と別れたあと、ビルの屋上に一人残った語り手のもとに友人がやって来て声をかける。「神経を切り取られたみたい」と苦しさを吐露したあとで、語り手は友人に問う。花世と別れて辛いが、いつかは辛くなくなるだろうか、と。友人は答える、「辛いまま生きて行けばいいじゃない」。

恋人同士の物語である「いちばん長い午後」と「ナチュラル・ウーマン」では、執着心が暴力という形になって表現される。それを幼稚と思いながらも、執着心が嵩じれば何をしたとしても不思議ではない。恋は狂気だ。狂った人間が何をしでかそうとおかしくない。夕記子と語り手の関係は荒みきっており、腐れ縁としか見えない。別れる直前の花世との関係は冷え切っていて、彼女からの意地悪い仕打ちに語り手は黙って耐える。その姿勢がますます相手を苛立たせるのだとは知らずに。このあたりの感情のねじれ、好きだと思う気持の厄介さを説明調ではなく、登場人物たちの言動によって示すのには感心した。「微熱休暇」では、語り手が自分をありきたりの娘に見せかけて宿の調理人と話しこむ場面の切なさに涙が出そうになった。


もはや相手への愛情は憎悪に近くなって、なぜ執着するのかわからない。けれども離れられない。こちらがいなくても平然としている(ように見える)相手が憎らしくなる。再び振り向かせようと仕掛ければ好きだという。その言葉が嘘だとわかっているからムキになって否定する。否定されて相手は距離を置く。距離が遠ざかれば、相手がそばにいないことが物足りなくなる。寂しくなる。攻撃的になり、もはや自分が何を望んでいるのかわからず、暴言を吐いて傷つける。本作のなかで、恋人たちはお互いに好きだと口に出していながらその言葉を信じていないように、他人の真意などわかるはずがない。結局は、傷つけ合うのに疲れきって、人を一人殺すくらいの決意と徒労感とともに別れの言葉を切りだすことになる――。そうして、具体的には何がいけなかったのかわからずに、けれども結果がこうなった以上はやはり何かが間違っていたのだろうと漠然とした不全感を抱えて、一人途方に暮れる夜を過ごさねばならなくなる、自業自得だと自嘲しながら。

管理人はこの小説を読んで身体的な苦痛を感じた。

4309408478ナチュラル・ウーマン (河出文庫)
松浦 理英子
河出書房新社 2007-05

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
執着心、愛情、憎悪

これ、みんな人間が持ち合わせている感情ですね。
違う視点からみると、こんなに鮮明に見えてくるんだ・・・すごい・・・。
もうこんな感想しかありませんでした。いや、圧倒されましたよ。
最近発売された『奇貨』読みましたけど、これも濃いと思いました。
まぁこんなスゴイ世界を書くんだから、寡作にもなるかな・・・。

しかし着眼点がすごかったり、こんなに問題作(?)を
送り出せる松浦さんですが、
http://www.birthday-energy.co.jp
というサイトで、詳しく解説してるのを見つけました。

「哲学的で常識を軽く飛び越えてしまうような精神性」を
お持ちだそうで。
それだけでは済まないみたいで、イロイロ複雑な性格みたいです。
そろそろ量産しつつ、新境地を開いて行ってほしいですね。
貴俊
2012/12/02 12:43
>貴俊さん

コメントありがとうございます。
もうこの小説を読んでだいぶ経つので細かい部分に関してはよく覚えていませんが、とても痛い小説だったのは記憶しています。著者のほかの作品は読んでいないのでわたしには比較できませんが、興味が向けば読んでみたいと思っています。『葬儀の日』や『裏ヴァージョン』は面白そうです。
epi
2012/12/02 18:33

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