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zoom RSS 『愛の砂漠』 モーリアック

<<   作成日時 : 2010/08/21 00:00   >>

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人間の孤独を追求する。

35歳のレイモン・クーレージュは、パリの酒場で一人の女と再会する。彼女の名前はマリア・クロス、彼より9歳年上でいまでは44歳になるが未だ美しさを保っている。かつて18歳だったとき、レイモンは彼女に恋をした。地方都市ボルドーで、学校の帰り道に乗る午後6時の電車のなかで彼女の顔を見かけたときから彼女の虜になった。そのころマリアは27歳の未亡人で、町の有力者の囲われ者だった。マリアもまた、午後6時の電車で乗り合わせる少年に亡くした息子の面影を見、惹かれていった。不良生徒だったレイモンは自身が見初めた女の素性を知り、彼女を猛る欲望の標的に定める。一方でマリアにはそんな気はなく、ただ少年に漠然とした好意を抱いていたに過ぎなかった。
レイモンは知らなかったが、彼の父親でマリアの担当医のポール・クーレージュもまた、美しい未亡人に激しい恋心を抱いていた。マリアは退屈な人物だとして医師を退ける。高潔な人物である医師は決して表面には出さないものの、自らの恋が不可能であるのを悟り絶望している。忘れてしまおうと何度も思うのに、どうしてもそうできないのが苦しい。

父と子と、一人の女をめぐる恋のトライアングル。父子に思われた女は子のほうへとなびきかけるが、彼女の家で、少年が欲情して彼女に迫った瞬間に、その醜い動物的な姿を見た瞬間に、彼への思いは消滅してしまう。女から拒まれ家から追い出されるという屈辱を舐めたレイモンは、その後女漁りを繰り返す放蕩の人生を送ることになる。

小説はパリの酒場でのレイモンとマリアとの再会にはじまり、彼の18歳のころに時は遡る。息子レイモンは長く知らなかった父親ポールの秘めた恋の顛末も述べられる。三つ巴の恋の結末のあとで時は現在に戻り、レイモンとポールとマリアの三人が久しぶりに顔を合わせ、各人の胸のうちが述べられる。

三角関係の恋愛を扱うが、それによって浮かび上がるのは三人の男女の抱える孤独だ。ポールとレイモン父子の冷めた関係。誰にもいえない恋を一人抱える医師。一人の女に拒絶されたことから女たらしになり、多くの女を(マリア・クロスの身代わりとして)かなしませることになるレイモン(どれだけ女を漁っても、彼がいちばん欲しいと願った女はついに彼のものにならない。この手に入らないものだけが価値をもっていた)。そして子どもの死後、その墓を訪れるとき以外は滅多に外出せず、家に閉じこもっている囲われ者のマリア・クロス。彼女の人生も屈辱と辛酸に満ちたものだった。

これら孤独な人々は愛を希求し、しかし得られない。「砂漠」のタイトルのとおりに愛の不毛を読者に感じさせる。誰の恋愛も実を結ばなかった。女を聖女のように崇拝する医師の思いも、女を堕落した人間と見下し欲望の標的としたレイモンの思いも、医師を退け亡き息子の面影を宿す少年への淡い好意を抱いたマリア・クロスの思いも。そうして彼ら3人とも、本来あるべき場所に落ち着き人生を生きることになる。医師は実直な職業人として、レイモンは放蕩者として、マリア・クロスは町の有力者の妻となって。彼らの再会にも劇的なドラマはなく、愛憎劇さえなく、過去の感情の残滓としてのやりとりが交わされるに過ぎない。

愛情を求めて得られず、もはや愛情を感じるだけの力もない。日々のなかで感情は摩滅し、欲望は衰え、偽りのうちに欺瞞的に生き、それが生きることだと自らに言い聞かせる。この堕落。この怠惰。著者は孤独な人間たちの巴模様を描き出し、この模様が解かれて小説は終わる。救済はない。どこもまでも広がる砂漠のような荒涼さだけがある。われわれの人生とはかくも暗く、かくも惨めで、かくも寒々しいものか。恋愛を扱っていながら本作には恋愛の高揚がまったくない。読み終えてイングマール・ベルイマンの映画(たとえば『叫びとささやき』)を見たあととよく似た寂寥感が強く残る。


4061982052愛の砂漠 (講談社文芸文庫)
フランソワ・モ−リアック 遠藤 周作
講談社 2000-03-10

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