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zoom RSS 『初夜』 イアン・マキューアン

<<   作成日時 : 2010/10/15 00:00   >>

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ある夫婦の破局まで。

1962年の英国、海岸沿いに建つホテルの一室で若い男女が食事をとっている。エドワードとフローレンスは今日結婚式を挙げ夫婦となった。窓の外には夜の闇が迫りつつある。食事が済めば、二人は寝室ではじめてともに夜を過ごすことになる。60年代末の性革命直前のこの時期には、まだ婚前交渉の機会はなく、恋人たちは結婚を前提としなければ性交できなかった。エドワードとフローレンスの二人も例外ではなく、婚約期間中に互いの身体に触れる程度の接近しか経験せずに初夜を迎えた。

夫婦は互いを愛している。けれども、こと性交に関しては温度差があった。エドワードははやく彼女を抱きたくて我慢できない。一方でフローレンスは性交を恐れている、というよりも嫌悪感を抱いている。決して彼を嫌いなのではない、彼女は彼を深く愛している。しかし性交はしたくない。当時このことをうまく相手に伝える言葉などなかった。彼女は自分の気持を何と彼に伝えればいいのかわからなかったし、彼を愛しているのは本当だったから彼に対して媚びるような態度で接した。それを彼は彼女の同意だとみなしていた。フローレンスの言動はエドワードの誤解を招き、彼女は誤解が生じているのを承知しながらそれを訂正しようとしなかった。いつか伝えなくてはと思いつつその日を先延ばしているうちに、とうとう彼女は引き返せないこの夜を迎えてしまう。

互いの裸を相手の前にはじめて晒すことになる新婚初夜のいま、男は興奮し、女は脅えている。エドワードは不器用に妻の身体を愛撫し、フローレンスは婚約中に読んだセックスの手引書の知識を思い出そうとする。そして彼女は努力して彼の期待に応えようとする。
ただ彼を喜ばせること、今夜をすてきな夜にすること以外、彼女にはどんな欲望もなかった。彼のペニスの先端――不思議なほど冷たかった――が何度となく自分の尿道のあたりを突いたりたたいたりするのを感じたが、ただそれだけだった。パニックや嫌悪感はコントロールできているようだった。彼女はエドワードを愛しており、彼がこんなにも欲しがっているものを手に入れさせ、ますます自分を愛するようにさせたかった。


自らの恐怖心を克服し、健気にも手引書の内容に従って相手を迎え入れようと彼女が彼の股間に手をのばしたとき、あることが起きる。性交はうまくいかなかった。そして二人はこれまで話せなかった本音を、怒りに任せて互いにぶつけることになる。もはややり直せないまでに互いを傷つけてしまう。

喜ばしい新婚の記念すべき一夜を過ごすはずが一転、夫婦はあっさり破局を迎える。離れ離れになった二人はその後再会することなく、長い年月が経過する。エドワードもフローレンスも、それなりに幸福といえる人生を送ることになる。そうしてときどき、60代になったエドワードはフローレンスのことを思い出した、甘い悔恨とともに。
彼女のことを考えると、このバイオリンを持った娘を手放してしまったのは、われながら驚きだった。いまでは、もちろん、自分を消し去ろうとするような彼女の申し出はまったくの筋違いだったと思われた。彼女が必要としていたのは彼の愛の確かさであり、人生はこれからなのだから、すこしも急ぐことはないと彼が請合ってやることだった。愛と忍耐があれば――ふたりは最後までいっしょにいられたにちがいなかった。


男だけではない。女のほうでもまた、彼を忘れてしまったわけではなかった。一流のヴァイオリニストとなったフローレンスはデビュー・コンサートでひとつの席をじっと見つめて演奏する。その席は、かつて彼女が彼とモーツァルトを聞いた思い出の席だったのだ。

性交が失敗に終わったあと、彼女は海岸に飛び出し、彼は彼女のあとを追う。互いを傷つける本音を吐露したあとで
女は去っていった。あのとき、もし彼が彼女を引き止めるために何か一言声をかけていたら。二人のあいだの齟齬を時間をかけて取り除くために努力を惜しまない、二人で協力して生きていきたい、そう言って去ろうとする彼女の腕を強くつかんだなら、あるいは彼らは互いを失わずにすんだかもしれなかった。いまとなっては詮無い、if に過ぎないけれども。

新婚夫婦の夕食後から初夜の性交の顛末までのわずか数時間を主軸として、もう一方で彼らの出会いと、別れたのち数十年の人生を射程におさめ、二人の男女の長い人生(の要約)を読者に見せる。マキューアンはすぐれたストーリーテラー。物語の面白さ、力強さにひかれて小説を読み進め、読み終えると感動が深く胸に残る。こんなにも戦慄的でこんなにも切ない恋愛小説をひさしぶりに読んだ。

410590079X初夜 (新潮クレスト・ブックス)
イアン・マキューアン 村松 潔
新潮社 2009-11-27

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