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zoom RSS 『ツァラトゥストラ』 ニーチェ

<<   作成日時 : 2011/02/12 00:00   >>

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聖書のパロディ。

「神の死」、「超人」、「永遠回帰」といったフレーズが特徴的なニーチェのこの主著は、哲学書というよりは思想詩といったほうがよいだろう。4部にわかれて物語としての結構をもっている。原題は「こう言ったのがツァラトゥストラである」となるそうで、そのとおりの、山上の賢者ツァラトゥストラの説教集となっている。その内容はキリスト教的道徳の批判。信仰心をせせら笑い、宗教に頼ることのない克己を勧め、人生を重く暗く捉えず軽く陽気に生きるよう促す。4部は当初べつの作品にする予定があったらしくそれまでとはやや毛色の違う展開となっているが、とくに1部と2部に関しては世俗の多様な問題についてツァラトゥストラ(=著者)が言及して、彼なりの価値観を人々に述べる内容になっており、本書を通読したのちに、モラリストによるアフォリズム集として拾い読みしても多くの発見があるだろう。モラリストは人間に関わる問題すべてに関心をもつ。

君たちは、自分をほめたくなると、証人を招待する。証人を誘導して、君たちをほめさせれば、君たちは自分でも、自分をほめるようになる。

「隣人愛について」


愛の発作にも注意が必要だ! 孤独な人間は、たまたま出会った相手に、あまりにも早く握手しようと手を差しだす。

「創造する者の道について」


心理学者を自認していた著者は人間心理をよく分析して短い文章で的確に述べる。

来世をたのまず現世の喜びを追求することを至上とするツァラトゥストラはキリスト教と正面から対立する。彼は古い価値観、古い道徳を破壊しようとする。しかし彼の説教を聞く人々はまだ彼と同じ高さにはいたっていない。どのような高級な人間であってもまだ彼には届かない。
彼は説くだろう、「人間は克服されるべき存在だ」と。いまある自己より更に高い自己へいたれ――そのとき、その人物は「超人」と呼ばれる。この「超人」と対極にあるのが「最後の人間」たちだ。ツァラトゥストラはいわばディストピアを幻視し、そこで生きる、怠惰で無気力で、何をしようという意志ももたずただ健康と長生きだけがとりえの終末の人間像を描きだして読者の嫌悪を誘う。人は「最後の人間」になってはならない、「超人」を目指せと。

「喜びは、相続人をほしがらない。子どもをほしがらない。――喜びは、自分自身をほしがる。永遠をほしがる。回帰をほしがる」。「永遠回帰」とはいまある事象がかつてもあったのであり、これからも永遠に繰り返されるという思想だ。著者は本書のなかで明確に「永遠回帰」について説明していないので、さまざまな言及箇所から推測するしかない。引用があることからおそらく本書はゲーテの『ファウスト』の影響を受けているだろうが、『ファウスト』は悪魔メフィストフェレスと契約したファウスト博士が人生の快楽を極めつくしたあとで感極まって「時間よ止まれ」と世界に呼びかけるクライマックスが用意されている。この言葉をいった瞬間に博士の魂は悪魔に奪われる。本書においても似たようなクライマックスがある。4部の終わり近くの「夢遊病者の歌」でツァラトゥストラは高らかに歌う、
君たちは、なにかひとつの喜びにたいしてイエスと言ったことがあるか? おお、友よ、だったら、すべての嘆きにたいしてもイエスと言ったわけだ。すべてのものごとは鎖でつながれ、糸で結ばれ、愛しあっているのだ。――
――これまでに、もう一度と思ったことがあるなら、これまでに「お前のことが気に入ったぞ、幸せよ! つかの間よ! 瞬間よ!」と言ったことがあるなら、君たちはすべてのものに戻ってもらいたかったのだ!


著者は運命愛ということをべつの書物で述べている。
運命愛、これこそが私の道徳であろう。やむをえざる必然的なものを手厚く大事に扱っておやり。そしてそれを、そのいまわしい由来から引き上げて、君自身にまで高めてやることだ。

『生成の無垢』

意志することで運命から自由になり、すべては自身が望んだこととして肯定せよと著者は述べる。そのとき偶然は必然となり、あなた自身が運命になると。「永遠回帰」は究極的な肯定の哲学として構想されたものなのだろうと管理人は考える。

キリスト教を批判するが、自身が新たなる立法者として信仰されるのはツァラトゥストラ(=著者)の本意ではない。多くの否定と新たなる価値の創造をする者が足をとられるこの陥穽を著者は用心深く回避する。
弟子たちよ、俺はひとりで行く! お前たちも行け、それもひとりで! そうしてくれ。
じっさい、忠告しておくが、さっさと俺から離れろ! 俺に抵抗しろ! いや、もっといいのは、ツァラトゥストラのことを恥ずかしいと思え! もしかしたらお前たちは欺かれたのかもしれないのだ。
(略)
師にたいして、ずっと弟子のままでいるのは、まずい報い方だ。どうしてお前たちは俺の花冠をむしり取ろうとしないのだ?
お前たちは俺を尊敬している。だが、ある日、その尊敬の念が倒れたら、どうする? 彫像の下敷きになって死なないよう、用心することだ!
ツァラトゥストラを信じているのです、と言うのか? だがツァラトゥストラに何の価値がある? お前たちは俺の信者だ。だが信者に何の価値がある?
お前たちは自分を探したことがなかった。そこで俺を見つけた。そんなものさ、信者なんて。だから信仰なんて、大したものじゃない。
さあ、命令するぞ。俺のことは忘れろ。自分を見つけろ。お前たち全員が、俺のことなんか知らない、と言えるようになったら、お前たちのところに戻ってきてやる。
じっさい、兄弟よ、俺はそのとき別の目で、俺の迷える羊たちを探すだろう。俺はそのとき別の愛で、お前たちを愛するだろう。


一般読者である管理人は、本書を哲学書としてよりは(訳者が述べているように)人生論的に読んだ。

4334752179ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)
フリードリヒ ニーチェ Friedrich Nietzsche
光文社 2010-11-11

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4334752225ツァラトゥストラ〈下〉 (光文社古典新訳文庫)
フリードリヒ ニーチェ Friedrich Nietzsche
光文社 2011-01-12

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