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zoom RSS 『きことわ』 朝吹真理子

<<   作成日時 : 2011/02/16 00:00   >>

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時間と記憶をめぐる物語。

永遠子(とわこ)と貴子(きこ)は従姉妹で、7つ歳が離れていた。二人は少女のころ、葉山の別荘で会っては仲良く遊んだ。海辺に出かけたり、一緒に本を読んだり黒糖饅頭を食べたり。一緒に寝ると二人の長い髪はよくからまって、親たちはそれを微笑ましく見ていた。
けれども時が経ち、二人を結ぶ人が亡くなって、やがて彼女たちは疎遠になった。現在40歳の永遠子は取り壊すことに決まった別荘の手配のために数十年ぶりに貴子と再会することになって、いまさら貴子の苗字を知ったのだった。

小説は少女時代の二人の日常からはじまり、彼女たちを取り巻く大人たちの人物が描かれ、やがて時制は現在にいたり、取り壊すことになった別荘で数十年ぶりに再会した永遠子と貴子がそれぞれの記憶を頼りに過去を回想する、きわめて静的な内容となっている。少女のころの何気ない日常。ありふれたもののように思えた、夏の雨降りの一日。片方がよく覚えていることが、片方の記憶には残っていない。同じものを見たはずなのに、違うものを記憶している。曖昧な記憶をもちよって、二人は思い出の別荘――いまとなっては廃屋に近い家――で語りあう。現在はほとんど話題にのぼらない。のぼるのはもっぱら二人が共有した過去の日々だ。

同じ時間を過ごした者同士が集うことで、過去の想起はより豊穣になる。ふと振り返ればそこに過去の自分がいて、過去の従姉がいて、二人を取り巻く大人たちの笑顔があるような気がする。
そしてひとつまたひとつと面影がたつ。身のうちのどこにおさめていたのか、置きどころも知れずにいたというのに、凝っていた記憶が、視線をなげるごとに、なにかしら浮かんでは消えた。追想というのが甘美さから逃れがたい性質を持つものであるとしても、さして甘やかにも感じられず、むしろ逆巻くようで騒々しかった。記憶のひとのすがたが立ちのぼり、横切る。あるいは通り抜けてゆく。現実を食い破ろうなどという気はないらしい。ひとまずあらわれて、退く。なにも幽霊がでたというのでも、いきすだまがとびまわるというのでもなかった。それらをみる目の持ち主である貴子自身の記憶がゆすりうごかされているのに違いはないのだった。

なつかしい過去はやさしく微笑み、回想する者を抱くように包むだろう。

永遠子は夢をみる。
貴子は夢をみない。

そうはじまるこの小説を最後まで読むと、全編がひとつの夢物語だったかのような気がしてくる。たしかなものなど本当にはなにもないのかもしれない。ある(と思える)この時間、このいまを、本当に醒めて過ごしているのだと断言できるかと自問すれば心許ない。自分という存在も誰かの夢なのかもしれない。そうしていつかその誰かが目覚めたとき自分は消えてしまうのかもしれない。自分は誰かの夢の切れ端だった、そのことを悟る暇もなく。

時間と記憶をめぐる、美しい小説。

4103284625きことわ
朝吹 真理子
新潮社 2011-01-26

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