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zoom RSS 『南回帰線』 ヘンリー・ミラー

<<   作成日時 : 2011/03/07 00:00   >>

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シュルレアリスティックな私小説。

1920年代。イギリスを抜いて世界一の工業国となったアメリカは未曾有の経済繁栄を迎えていた。自動車産業や家電産業がそれを牽引し、広告産業の発展が市民の購買意欲を大いに煽り、それに伴いローン販売が普及し、大量生産、大量消費という現代に続く経済の流れを準備した。そんな「富と幸福」に彩られた「黄金の20年代」に豊かさから疎外されて、孤独に、窮乏して都会を彷徨する一人の男がいた。小説の語り手すなわち著者ヘンリー・ミラーだ。この小説は語り手に著者の名が与えられた一人称による自伝小説となっている(あくまで小説であって事実と虚構が混在しているが)。

語り手は額に汗してあくせく働く同時代人たちを軽蔑し、徹底した労働嫌悪の人物として登場する。経済発展は競争のうえに成立し、それは弱肉強食の社会を意味し、そこでは人間性は合理性や効率性のために奪われるだろう。人間は金と引き換えに自らを差し出し、時間や自由を犠牲にせねばならないだろう。語り手が電信会社の雇用主任に就職するところから小説ははじまり、職場での連日の雇用解雇の風景が戯画的に述べられる。求職者たちを一人ひとり面接し、あるいは雇用しあるいは断り、現場で問題が起きれば対策を講じる。朝出勤して席につけば目の回る忙しさで一日が過ぎていく。「食べ物と家賃」のためとはいえ、このような非人間的な、自動機械的な生きかたには耐えられない語り手。彼には「労働意欲とか、立派な社会の一員になりたいとかいう意欲はこれっぽちもない」。せっかく語り手にほれ込み、彼を雇ってくれる人物のもとで働くことになったのに、彼は就業中にニーチェに関するエッセイを書いていたのを見つかり解雇されてしまう。その際に、きみは「どんな勤めにも向いていない」といわれてしまう。まさしくそうなので、自由気ままに生きることを第一義とし、金がなくなれば友人たちに無心すればよいと考える語り手のような人物はおよそ会社員など勤まらないだろう。しかし勤勉な労働者こそがすぐれた人間であるという思い込みは思い込みでしかなく、それは産業社会が都合よい労働力を求める口実としてでっちあげたものかもしれないのだ。

ぼくとしてはできるだけ多くの人に、食っていくためにあれもしなければならない、これもしなければならない、といったふりをするのをやめさせたいと思っている。そんなことはウソだからだ。飢え死にしたってかまわないじゃないか――そのほうがよっぽどましというものだ。


世のなかのどこへいっても金、金、金。語り手はそのことにうんざりしている。このような労働嫌悪は、訳者が巻末の解説で指摘するように生きるための仕事を求めても得られない人が多数いる現代の日本ではいい気なものに思えてしまう一面もあるだろうが、しかし同時に読む者の共感を誘いもしないだろうか。社会からのドロップアウトに憧憬を感じはしないか。

時間を自在に前後させながら、小説は1920年代の著者の人生を回顧し総括する。ブルックリンでの会社員時代、恋人との出会い、多くの女たちとの性交(本作は大胆な性描写のため英米では発禁となっていた時期があった)。巻末に、小説の背景となった時代の著者の簡略な伝記が付いていて、ここを読むと人名の変更はあるものの小説は著者の人生をありのままになぞっているのがわかる。とはいえ文学である以上は事実と虚構の問題など二義的問題に過ぎないだろう。そしてこの小説の特徴は私小説にシュルレアリスティックなテクストが挿入される点にある。「間奏曲」と題された部分はその最たるものでイメージが奔流となる。

労働嫌悪の部分もさることながら、管理人がもっとも惹かれたのは前半で唐突に挿入される、語り手が自らの少年時代を回想する部分だ。当時の時代背景として移民の増加があり、著者の一家は新移民の増加による生活環境の変化のため親しんだ故郷を離れて引っ越した過去がある。この体験は著者に喪失感を抱かせた。その過去が小説中で述べられる。
今いささかの郷愁と哀惜の念をまじえて思うのだが、この幼年期の徹底的に範囲の狭い生活こそ、無限に広がる宇宙であり、そのあとにつづく人生、つまりおとなの人生は、たえず縮んでいく王国のようなものだった。学校に入れられたその日から、ぼくらは道に迷い、首に縄をつけられたような気分になる。人生から味わいが消えていくように、パンからも味わいは消えていく。パンを得るほうが、パンを食べるより重要になる。あらゆるものが数量化され、そして値段がつけられる。

友人たちとの広場での集いや初恋の少女への淡い想いが述べられる、少年時代の回想場面の美しさ。
人生の驚異と神秘――これこそ、ぼくらが責任ある社会の成員となるにつれ、心のなかで圧殺されてしまうものだ!社会のなかへ働きに出されるまで、世界はきわめて小さく、ぼくらはその縁に、いわば未知なるものと接する境界地帯に住んでいた。それは小さなギリシャ的世界であったが、それにもかかわらず、あらゆる種類の変化、あらゆる種類の冒険や思索を生みだすほどの深さがあった。それに、無限の可能性が秘められていたので、それほど小さいわけでもなかった。ぼくは自分の世界を広げたことで得たものなど何ひとつない、それどころか、失ってばかりいた。


本作は語り手の死と再生をテーマとしている。過去との決別、そして再生への決意で小説は終わる。卵巣や子宮といった語が反復されてテーマを強調する。12月26日生まれの遅れてきたキリストである語り手。商業主義社会の都会に磔刑にされる救世主。このような大胆な自画像こそこの小説の魅力だろう。

4891765100南回帰線 (ヘンリー・ミラー・コレクション)
ヘンリー ミラー Henry Miller
水声社 2004-02

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
中身のない文章ですね
あしだ
2012/01/04 00:40

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