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zoom RSS 『サトラップの息子』 アンリ・トロワイヤ

<<   作成日時 : 2011/04/07 00:00   >>

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自伝的に。

ロシア革命を逃れて家族とともにフランスへ命からがら亡命したリューリク少年は、パリで2歳年長の友人ニキータと再会する。同じ亡命者同士とはいえ、リューリクとニキータの境遇は大いに異なっていた。革命の際に財産の大半を失い、いまは貧窮にあえぐリューリクの一家。要領よく立ち回ってひと財産築いて裕福に暮らすニキータの一家。リューリクの父親はニキータの父親をよく思っておらず、家族の前で彼をぺてん師呼ばわりする。けれどもリューリクの友人へ寄せる好意は翳らない。二人は再会したのち、ふと共同で小説を執筆することを思いつき、「サトラップの息子」というタイトルをその小説につける。サトラップとは古代ペルシアの太守のこと。

二人の性質の相違は顕著で、リューリクは小説を心理的な方向へもっていこうとする。一方でニキータは波乱万丈な筋の展開を重視する。二人は日曜日ごとに小説の原稿をもちよって討議するが、なかなか進展しない。ニキータの嫂はいうだろう、あなたたちぐらいの年齢の男の子なら小説よりもダンスやスポーツに興味をもつべきではないか、と。官能的なこの嫂は少年たちの性を目覚めさせるだろう。地味で内向的な(幼い)創作欲求と、身体の生来の欲求の相克。少年たちのこころは揺れる。

私たちは頓挫している原稿を前に置いて、もういちど机に向かう。そして自分たちの若さゆえの無力について、しみじみ考える。ペンは宙に浮き、視線は空に迷う状態で、私は自分の内部で繰り広げられている戦いに何の反応も示さず、ただぼんやりとそれを眺めている。戦っているのは、私たちがひねり出した人物たちと、実在する日常の人物たちだ。虚構と実人生、小説とダンス、サトラップの息子とリリーだ。どちらが勝つのだろう。それは皆目わからない。私はもうそんなことには関心がない。今の私を幻惑するのは、何も書かれていない一枚の白紙だ。いざというとき、私がかねてからの熱烈な希望通り作家になるのか、それとも前々からの恐怖の的だった浮浪者になるのか、どちらかに決めるのはこの白紙なのだという奇妙な予感がする。


作家志望者が作家になるまで。リューリクはのちにゴンクール賞を受賞することになるが、少年のこのときはまだ海のものとも山のものともつかない。ただ物語ることの欲求を抑えられず、詩の魅力に憑かれた一人の、どこにでもいるだろう文学少年にすぎない。本作はこの少年の「性に目覚める頃」をよく描いている教養小説の一面ももつ。

リューリクとニキータの別れは突然訪れる。「サトラップの息子」は頓挫する。そして二度目の再会は訪れない。リューリクはフランスに帰化したのち作家として地位を確立するが、処女作出版の際に実名ではロシア人作家による翻訳小説と思われて売り上げに影響する恐れがあるといわれてアンリ・トロワイヤの筆名を用いる。このとき、リューリクは帰化と続けて二重の祖国喪失の感情に襲われる。そして、遠いどこかの書店でニキータが著書を見かけたとしても、トロワイヤとはかつて一緒に「サトラップの息子」を執筆したリューリクだとは気づかないだろうと思いを馳せる。幻影の友人へ向けて呼びかける声はいつか届くだろうか。小説の終わりではその顛末が述べられるだろう。

リューリクはトロワイヤの分身で小説は自伝の趣があるが、訳者によるとニキータとの出来事については創作であるらしいとのこと。何が虚構で何が現実か、それを問うのは野暮だろう。ただあるがままに物語の声に耳を澄ませればよい。

4794212836サトラップの息子
アンリ・トロワイヤ 小笠原 豊樹
草思社 2004-02-21

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