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zoom RSS 『眩暈』 エリアス・カネッティ

<<   作成日時 : 2011/04/12 00:00   >>

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錯乱と狂気の小説世界。

ペーター・キーンは当代随一の中国学者で、読んだ書物の内容をすべて記憶できる博覧強記の人だ。大学には勤めず親の遺産によって在野の学者として生き、万巻の書物で四方を埋め尽くした部屋で研究に明け暮れる。独身であり世事に煩わされることも少ない。朝は一時間の散歩、それから研究。身の周りの用事は家政婦が世話する。規則正しい生活にキーンは満足していたが、家政婦を理想の主婦と勘違いして結婚してしまったことから破滅を招いてしまう。

キーンが家政婦を見初めたのは、彼女が蔵書を大事に扱っているのを目撃したからだ。キーンにとって書物は命にも等しい大事なもので、それを大事に扱える女こそ理想の主婦だった。家政婦はキーンより一回り以上年長の56歳だが本人は30代にしか見えないと思い込んでいる。キーンの思い込みと家政婦の妄想。ともに現実認識の能力に欠けた夫婦はともに暮らすことでますます現実遊離の傾向を強める。もはや目の前にあるのは幻に過ぎず、頭脳のなかに世界があるかのように己の妄想と現実の区別がつかなくなっていく。キーンは妻から逃れて以前の独り身に戻り学究生活を送ることを夢見、妻は夫が死んで遺産をわがものとしたのち家具屋の店員と店を開くことを夢見る。どちらもが己が妄想の深みに嵌ってその度を強めていく。この狂気の過程は誇張して滑稽に述べられており、訳者のそっけない訳文が読む者の笑いを誘う。

この夫婦にさらに二人の人物が絡むことで事態はいよいよ混迷していく。家族を殴ることを生き甲斐にする退職警官と、チェス世界名人を夢見るごろつきと。どちらもがキーン夫妻と同じく迷妄に陥っており、狂ったレンズでものを見るためにやり取りはちぐはぐになり、しかし誰もが己が異常を自覚しないから状況は混沌そのものとなる。妄想は狂気へたやすく至り、ついには殺人も起きるだろう。徹頭徹尾、人間の醜悪さがこれでもかと描かれる。この醜悪と錯乱のカーニバルには言葉を失うほどに圧倒される。ここまで人間を愚劣な、醜悪な、不気味な怪物として取り扱った文学はそうないだろう。背筋が冷たくなるほどの残酷な物語。しかし全編にわたって著者の哄笑がこだましている。ムージルやブロッホと並んで20世紀ドイツ語文学の代表作とされるのに納得する。

狂気の観点から人間をこれほどまでに怪物的に扱った小説というと、管理人にはアルベール・コーエンの『選ばれた女』しか思い浮かばない。どちらもがその濃密さに読んでいて頭痛と吐き気を催した。第一級の傑作と思うがこれを読了するには体力が要る。

4588120166眩暈(めまい)
エリアス カネッティ Elias Canetti
法政大学出版局 2004-12

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4336047553選ばれた女〈1〉 (文学の冒険シリーズ)
アルベール コーエン Albert Cohen
国書刊行会 2006-09

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この小説の狂気の描写も尋常ではなかった。
4101185034聖;栖 (新潮文庫)
古井 由吉
新潮社 1986-02

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
内容と関係とないハナシですが、
この本、大型古書店で¥105で購入できてしまいました。
シャレではないですか、それを手にした時、眩暈を覚えました。
こんなの(安く買えて)・・いいのかなぁ?
この作品、著者の26歳の時の作品であるとか・・天才!
そりゃノーヴェル賞もとりますわなぁ・・
「選ばれた女」アルベール コーエン 、
ぜひ読みたいと思います。
(かなりな歯応えありそう・・)
国書刊行会の本はどれもご馳走。
nao
2011/04/12 08:56

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