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zoom RSS 『フェルディドゥルケ』 W.ゴンブローヴィッチ

<<   作成日時 : 2011/04/29 00:00   >>

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永遠の未成熟のために。

30歳の語り手が、ある日突然中学生に「縮小」して騒動を巻き起こす(巻き込まれる)。冒頭から自意識に縛られた饒舌なモノローグがえんえん続き、登場する人物みな個性豊かで騒々しい。小説は多く主題を扱うが、主要となるのは「未成熟」の問題だ。著者は本作執筆以前に短篇集を出版していてこれが未熟だと批判されたため、今度はこの評を逆手にとってとことん未成熟とは何かについて問う長編を執筆することになる。そして未成熟というと若さが連想されるが、本作に登場するのは老いも若きも等しく未成熟な人たちばかりだ。

小説は大きく3部に分かれる。
1部の舞台は語り手が通う学校。2部の舞台は語り手が住む下宿。3部の舞台は語り手の親戚の住む田舎地主の屋敷。この3部とも筋の展開は共通していて、はじめに相反する二項の対立があり、これがせめぎあい、最後は劣る側からの反撃によって事態が逆転し、最後は乱闘による混乱で幕を閉じる。奇怪な設定のうちには諷刺も多く含まれているだろう。著者はポーランド出身の亡命作家だ。

この3部の合間に本筋とは無関係な二篇の短篇とその前書きが挿入される。前書き部分は著者による文学論となっており興味深い。著者は芸術の価値に懐疑的で、ここで作品の価値がいかに作品とは別の要素によって左右されるかを述べる。ある音楽家の演奏に感動したといったとき、その場の雰囲気やイメージが鑑賞にどれほど大きな影響を与えているか知れたものではない。権威の批評につられて自身の率直な印象を修正する場合がないとはいえない。この前書き部分で指摘されていることを、われわれは日常で意識的あるいは無意識に行ってはいないか。

本書には目をみはるような奇抜さがある。登場する人物たちのなんという滑稽さ、グロテスクさ。不良ぶっていながら作男に憧れる男子学生。厳格な教師であるかのように振舞ってはいるがその実女生徒に懸想する教師。あらゆる成熟を拒否して未成熟であることを志向する女学生。現代的であることを至上とする女学生の母親。こうした奇矯な人物たちが過剰なまでに自己を主張し対立しドタバタを繰り広げる。未成熟を青年の問題とするのは安直であるけれども本書はアンチ青春文学とも呼べるだろう内容になっている。語り手が下宿先の女学生に恋をするくだりとこの女学生をめぐる男たちの騒動は読んでいて笑いを抑えられない。

未成熟の問題、社会諷刺のほかにも、自己が他者といるときにどんな態度でいるか、どんな仮面(つら)をして相互に割り振られた役柄を演技しているか、という関係性の問題も扱っている。それらが堅苦しくなくすんなりと小説の筋に溶け込んでいるのが見事だ。抜群に面白い。

458276522Xフェルディドゥルケ (平凡社ライブラリー)
ヴィトルド ゴンブローヴィッチ Witold Gombrowicz
平凡社 2004-12

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