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zoom RSS 『タンナー兄弟姉妹』 ローベルト・ヴァルザー

<<   作成日時 : 2011/05/23 00:00   >>

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テクストの快楽。

20歳のジーモン・タンナー青年は現代でいうフリーターだ。小説は彼が書店主にここで働かせてほしい、と頼む場面からはじまる。けれどもすぐに職場に嫌気が差して去ってしまう。彼はそのあと銀行の見習い、弁護士事務所の助手、住み込みの家事手伝いの職を転々とするがどれも長続きしない。季節はめぐり小説の終盤では1年が経過しているが最後までジーモンは定職に就かず、その日その日をアルバイトで凌ぐ生活を送ることになる。

ジーモンには4人の兄姉がおり、彼は末弟にあたる。タイトルのとおり小説には彼らも登場する。けれども学者である長兄を除いては、ほかのきょうだいたちの多くはジーモンとさほど変わらないモラトリアム的な生活を送っている。次男は絵描きとしてパリで暮らし、姉は小学校教師を辞めてしまい、もう一人の兄は精神病院に入院している(もう一人兄がいるが話のなかで言及されるのみで登場はしない)。ジーモンはときに彼らと同居しながら、ときに将来への不安を抱きつつ、憂いと浄福感のあわいを揺れる暮らしを続ける。タンナー兄弟姉妹には著者とその兄弟姉妹がモデルとしてある。著者も職を転々としながら精神病院に入るまでひたすら執筆を続けた。

「お日さまが出ている一日はあまりに美しくて、それを労働で穢してしまうような思い上がった真似はとてもできなかったのです」


一人の青年の人生(の一時期)を追いながら、しかしいわゆる教養小説とはなっていない。ジーモンは小説の最初から最後まで成長していない。というよりもはじめから未熟なままで完成した人間として登場する。そして読み終えたあとで読者は、彼がこのあといかなる人生を送るにせよ、彼は依然として変化せずに生きていくのだろうと想像するだろう。小説内で彼が積む経験は彼が自身の信念を強めるためにしか機能しない。この小説はアンチ教養小説となっているのだ。筋らしい筋もあるようでなく、ただ時の経過とともに状況が変化し、出会う人たちがいて別れる人たちがいて、その何人かとは再会し、あるいはせず、四季がうつろうようにジーモンを取り巻く状況もうつろう、それだけのこと。にも関わらず読者を夢中になって小説に没頭させるのは著者の言語の独自性にある。この小説は物語によってではなく言葉によって読者を前へと駆り立てるというペーター・ビクセルの評は正鵠で、こんなにも読者を幸福感で包むテクストもそうはないだろう(訳者の功績も大きいと思われる)。

発表当初(1907年)から内容の単調さを指摘されつつも同時に著者の言語の優雅さ、繊細さ、音楽性、叙情性については賛辞が寄せられた。著者の文体の魅力については巻末の訳者後書きで詳しくふれられている。四つの公用語をもつ多言語国家スイスに生まれた著者がスイスドイツ語を書き言葉として駆使した結果としての「どんどん累積されていく形容詞、言語そのものの不十分さをめぐるさりげないコメント」等この著者独特の言語、文体をめぐる考察は理解の助けとなるが、そういった考察だけでは腑に落ちない、読者を陶酔させるこの文体には直接ふれるのに越したことはない。散歩を趣味としたこの作家が観察した自然の美しさを述べる箇所などは圧倒的に見事だ。

とはいえ著者のテクストは恍惚のテクストであるだけではない。なにかしら不気味なものを孕んでいる。それはカフカ的な、空白や欠如が不安を誘う類のものとは異なり、幸福感の裏に隠された不穏さだ。この小説で登場人物たちは多く会話を交わすが、そのどれもがモノローグ的なのが理由の一端としてあると思われる。憑かれたようにえんえんと自説を披露する登場人物たちの不気味さ。病癒えた病者の語りのようなこのモノローグが、いかにその内容はときとして宗教的なまでの浄福に満ちているとはいえ読者に気味悪さを感じさせるのは謎めいている。著者の資質に帰してしまうのは安直に過ぎるだろう。

言葉もなく、ぼくはみんなからはずれた所にいる。

「みんなからはずれた所に」 
『ヴァルザーの詩と小品』収録


本邦ではそれほど有名ではない作家だが、同時代から現在にいたるまで多くの書き手たちがヴァルザーについて語っている。1950年代末以降、代表作のほとんどがヨーロッパ諸語で読めるようになっているという。カフカ、ムージル、ベンヤミン、カネッティ、ソンタグ、ゼーバルト、クッツェー。巻末には彼らによるヴァルザー評が掲載されている。内容よりも文体、言語に多くを負っているこの作家が5巻本の作品集として出版されることになったのを寿ぎたい。とくに晩年の、散文を解体していよいよ散漫化していくというテクストに興味がある。兄カールによってデザインされたという初版本を再現してほしかったというのは贅沢すぎるだろうか。

4862652514ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹
ローベルト・ヴァルザー 新本 史斉
鳥影社・ロゴス企画部 2010-07-30

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4622080427ヴァルザーの詩と小品 (大人の本棚)
ローベルト・ヴァルザー 飯吉 光夫
みすず書房 2003-10

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