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zoom RSS 『賜物』 ナボコフ

<<   作成日時 : 2011/06/14 00:00   >>

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失われた祖国を求めて。

1920年代のベルリン。革命のためロシアから亡命してきた青年貴族フョードルは最初の詩集を出版したばかりの駆け出しの文学者だ。母と姉はパリで暮らしている。世界的な鱗翅類学者の父は数年前に中央アジアに探検旅行に出発したきり消息を絶っている。父の死は予感されているものの家族は希望を捨てておらず彼の帰還を信じている。フョードルはベルリンに暮らす同じ亡命ロシア人たちのサロンに顔を出したり、貧窮のために家庭教師をしたり(かなり気ままな教師だけれど)下宿先の娘ジーナと(プラトニックな)逢瀬を重ねたりしながら時間を作っては創作に耽っている。母に勧められて父の伝記執筆を試みるもうまくいかず、あるきっかけから今度は19世紀の思想家チェルヌィシェフスキーの評伝執筆に取り組むことになる。この思想家を批判(というより愚弄)する内容となったフョードルによる評伝は一部の慧眼の士を除いて亡命ロシア人たちから顰蹙を買う。とはいえ彼の名は広く知られる結果になった。そしてジーナと初めて二人きりで過ごす夜を迎える場面で小説は終わる。

著者は小説を要約することを軽蔑したというが、たしかにこの小説を上のあらすじに還元してしまってはこの特異な小説もほかの「芸術家小説」と変わらなくなってしまうだろう。著者はこの小説において執拗にロシアについて述べ続ける。ロシアの風土、ロシア文学の作家たち、ロシア語。幼年時代の出来事と土地の記憶、プーシキン、ゴーゴリをはじめとする偉大なロシア文学者たち、ロシア語における詩形や韻律に関する注釈、そしてチェルヌィシェフスキーに代表される功利主義的思想家の否定。亡命により失った祖国への凄まじい執念がこの小説の根底にある。『賜物』はバイリンガル作家ナボコフがロシア語で執筆した最後の小説であり(執筆言語を英語に切り換えたのちに『ロリータ』が発表されるだろう)訳者によると「ロシア語の超絶技巧を極めるものになった」。突然に人称が入れ替わり、唐突に時間は切り替わり、挿入文によって込み入った文章、難解な隠喩、語呂合わせの言葉遊び、詩や小説内小説の挿入――これでもかと技巧が凝らしてある。

ナボコフはこの小説のヒロインはジーナではなくロシア文学である、と述べたそうで、この小説はロシア文学批評ともなっている。プーシキン、ゴーゴリ、トゥルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイといったロシア文学の巨人たちはもちろんのこと、その名をはじめて知ったロシア文学者への言及の多いこと。著者の分身であるフョードルは「熱烈に愛するか、あっさり放り出すか」、自分にとって作家はこの2種類しかないと述べる。彼の批評は厳しいもので多くのロシア作家たちが俎上に上げられやっつけられる。

冒頭近くからプルーストの長編に想を得たと思われるタイトルの詩が挿入されているので、この小説がナボコフ版『失われた時を求めて』であると知れる。過ぎ去り二度と戻らぬものへの愛惜、失われたものを取り戻そうとする執念――『失われた時を求めて』と『賜物』に共通する要素だ。プルーストの語り手がそうだったように、ナボコフのフョードルも、すべてを奪い押し流していく時の経過、移ろいゆく人生への反逆の手段としての「書くこと」の発見に至る。

そしていまやもう、彼女の姿も、息子についての話も、彼女の家で行われた文学の夕べも、アレクサンドル・ヤーコヴレヴィッチの精神病も――すべてが自分の役割を終えて、ひとりでにくるくると巻き上げられ、終わりを告げたのだった。それはちょうど十字に紐をかけて縛られた人生の包みのようなもので、末永く保存はされるものの、何もかも明日に延ばしても平気な、怠惰で恩知らずな手がそれを再びほどくことは決してないだろう。このすべてがそんな風に閉ざされ、魂の物置の片隅で失われてしまっていいものか、そんな風にはさせたくない、このすべてを自分に、自分の永遠と自分の真実に適用し、それが新たに成長するのを助けたいという、居ても立ってもいられないような狂おしい願望に彼はとらわれた。方法はある――ただ一つの方法が。


ただ一つの方法、それは書くこと(創作)だった。フョードルがのちに書くことになるのはきっとこの『賜物』とよく似た小説だろう(彼は伝統的なリアリズム小説の執筆をジーナに予告してはいるけれども)。プルーストの語り手が、『アレクサンドリア四重奏』のダーリーが、彼らの登場する小説をいずれ執筆すると予感させるのと同じように。

『賜物』は全部で5章から成っており、第4章がまるまるフョードルによる評伝『チェルヌィシェフスキーの生涯』となっている。ここでこの思想家はフョードル(すなわち著者)によって辛辣を通り越して愚弄されている。なぜここまでフョードル=ナボコフは彼を叩かなければならなかったのか。19世紀の功利主義を徹底的に攻撃する著者の意図は巻末の解説を読むことで理解できた。膨大な訳注と丁寧な解説がこの異形の小説を読む助けになる。

4309709621賜物 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)
ウラジーミル・ナボコフ 沼野 充義
河出書房新社 2010-04-22

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