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zoom RSS 『倦怠』 アルベルト・モラヴィア

<<   作成日時 : 2011/07/08 00:00   >>

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おまえがほしい。

富裕な家庭で育った語り手は35歳になる今も定職に就くでなく、趣味で絵を描いてその日その日を気ままに暮らしている。彼は幼いころから倦怠感に苦しめられてきた。この感覚は語り手によると他者あるいは事物とのつながりの欠如状態とでもいうべきもので、何かしたいと熱心に望みながら同時に何もしたくないと感じ、家にひとりきりでいるのはいやだ、けれども他人に会いたくはないという矛盾した気持を彼に抱かせる。現実感の欠如といってもよいので、彼には生きていることの実感がない。女遊びはそれなりにしたけれど未だ独身で、生活費は母親から貰っている。怠惰といってしまえばそうなので、こうした倦怠感が憂鬱を招き、憂鬱が無気力を生む、負の連鎖に陥っている。

ある日、語り手はアパートの階段で棺を担いだ人たちとすれ違う。隣人の老画家が死んだのだった。この老画家の家にはモデルと称して若い女たちがしょっちゅう出入りしていたが、そのうちの一人との性交の最中に死んだらしいという噂を語り手は聞く。彼女の名前はチェチリア。17歳で、ほっそりした幼い体つきと見えながら、裸になってみれば豊満な胸をしていた。語り手は何の気なしに彼女と関係をもつ。気まぐれな情事のつもりだった。チェチリアは何事にも無頓着で感情の起伏に乏しい女だった。会話は不毛なやりとりにしかならず、ときとして空虚ですらある。何を考えているのか読めない。しかも少女は技巧としてそうしているのではなく自然なのだ。会話したそばから内容を忘れ、想像力が皆無だから先のことは一切考えられない(現在しか考えられない)。チェチリアは自分と同じ倦怠に冒されながらそれを苦にするどころか意識していないのだ、語り手はそう考える。現実感覚の希薄なこの少女にやがて語り手はのめりこんでいく。ストーキングして女の行状を探り、べつに男がいると知って嫉妬に狂う。難詰するも女が別れを切り出せばひきとめる、哀願する、挙句は金を握らせて留めようとする。語り手は知っていた、老画家も同じようにチェチリアを所有せんと金を与え、そばにいてくれと泣きつき、その幼さと成熟が同居する体を狂ったように求め続けて破滅したことを。知っていながらその轍を踏んでいく。

語り手は女を所有したいのに彼女は決して誰のものにもならない。所有できないことの絶望が嵩じて暴力性を招き、会えば激しく彼女を抱き、果てるときに「売女め」と罵りながら、それでも彼女から離れられない。
私が彼女を抱けば抱くほど、彼女は私の手からはなれて行くのだったが、それはきっと、彼女を抱くことによって、なにか真剣な態度で彼女を所有するのに必要なエネルギーを私は浪費しているにすぎないからだった。

いっそ殺してしまえばもう裏切りに苦しまずともすむのではないか、そう思って彼女の首を絞めさえする。しかし殺してしまえば彼女は永遠に所有できない存在となってしまうだろう。永遠の不在によって彼を苦しめるかもしれない。幾度も所有への試みがなされ、ことごとくチェチリアはそれを挫いていくだろう。

この愛憎の果てについに語り手は情念の地獄からの脱却と、より静穏な愛の感情を悟ることになる。所有的な愛ではなく受容的な愛を。けれども何度も彼女との関係を改めようとして失敗してきた語り手がその観念を実行できるのかどうか。小説は曖昧さを残して終わっている。

「運命の女」としてのチェチリアの造形に感嘆する。寡黙、従順、そして奔放。技巧ではなく天然の媚態が男を狂わせる。愛する人を所有したいと望むのは不安定な自我が安定を望むからだろう。そしてそのことの不可能がいよいよ恋愛主体を刺激するのだ。語り手が性交に溺れていくのはチェチリアを精神的には所有できないことを理解しているからであり、交われば一時的にせよわがものとできるのではないかと空しい希望を抱いているからだ。それまで空虚だった日々が女への愛憎によって現実感を増す、しかしそれはもう一つの苦しみのはじまりでしかなかった。本作において性の主題はコインの表裏のように「倦怠」の主題と結びついている。性交がつながりの欠如感覚(これは孤独感ともいえるだろう)を克服する可能性をもっているがゆえに。他者との結びつき、その究極は性交ではないか。とはいえ本作における性交は不毛なもので、語り手のチェチリア所有は結局は失敗に終わるしかない。そうとしても人はみな他者を求めずには生きていけないので、この孤独の渇きをどうやって潤せばいいのか。所有など幻想でしかないといってみても、美しい女と出会えばわれわれは彼女をわがものにしたいと望まずにはいられない。求めても得られず。人間のこのかなしい性を冷徹に描いて本作は感動的だ。

4309462014倦怠 (河出文庫)
アルベルト モラヴィア Alberto Moravia
河出書房新社 2000-09

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