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zoom RSS 『神曲』 ダンテ

<<   作成日時 : 2011/07/09 00:00   >>

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怒りの叙事詩。

時は1300年。「正道を踏みはずし」、暗い森に迷いこんだ35歳のダンテのまえに、古代ローマの大詩人ウェルギリウスがあらわれる。ダンテの永遠の想い人であり今は天国にいるベアトリーチェに懇願され、彼は地獄を案内しようとダンテに告げる。尊敬する詩人に導かれ、ダンテは地獄をめぐり、続いて煉獄の山を経て、ベアトリーチェの導きによって天国を昇っていく。闇と光の果てに彼は何を見るのか。

本作はほぼ均等の分量の三部にわかれている。「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」。以下に内容を要約する。
「地獄篇」。詩人ウェルギリウスに導かれ、ダンテは地獄の門のまえに立つ。「われを過ぎんとするものは一切の望みを捨てよ」と刻まれた有名なあの門だ。門をくぐり、三途(アケロン)の川を渡し守カロンの船に乗って渡る。ダンテの地獄は噴火口状の穴になっており、九つの谷がサークルを形成して(圏谷)地底まで広がっていて、下層の者ほど罪は重い。ボッティチェリの『地獄の見取り図』がわかりいい。
画像

(中央やや下にあるのは絶壁、その下には十の濠があって、最下層の氷地獄(コキュトス)に悪魔大王がいる。この絵はダンテの地獄を忠実に再現している)

地獄をくだっていく二人の詩人はそれぞれの圏谷で地獄の責め苦にあえぐ人たちに会い、ときに彼らの話を聞く。地獄にはホメロス、ソクラテス、ユダ、マホメットといった有名人がいればオデュッセウスのような神話の英雄もいて、さらに当時のフィレンツェの勢力家、教会関係者、ダンテの師までいる。本作の世界観はキリスト教文化とギリシア文化の混合であり、渡し守カロンをはじめ、ケルベロス、ミノタウロス、ケンタウロス、ハルピュイアイといった怪物たちが登場する。地獄の責め苦も趣向が凝っていて、それぞれの罪状に応じて怪物どもに食われたり、火の雨を浴びたり、糞尿の沼で溺れたり、再生する体をもたされ鬼に何度も脳天から叩き斬られたり、頭まで氷漬けにされたりと凄惨極まる。ダンテの造形の才能がもっとも活かされたのが「地獄篇」であり、おそらく三部のうちでもっともとっつきやすい。恐ろしい場面に出くわせばダンテ同様読者も怖気づくが、そばにウェルギリウスがついていることで安心感をもって読み進められる。二人の詩人は地獄の最下層でブルトゥスとユダを食らう悪魔大王と遭遇したのち、その腋毛を伝って(!)地表へ出る。その先には島があってそこが煉獄の島だ。

煉獄の島に出た二人の詩人はそびえる煉獄の山に登る。ここからが「煉獄篇」だ。煉獄とは救われる魂たちが罪を浄める場であり、現世の者たちの祈りによってここの魂たちは天国へといたる。七つの道が断崖沿いに環状になって煉獄山の山頂まで続いていて、それぞれの環道で「高慢」「嫉妬」「怒り」「怠惰」「貪欲」「大食」「色欲」の七つの罪を浄めていく。峻険な山であってダンテは登攀早々へたばりウェルギリウスに叱咤される。地獄ではないのでほとんど怪物は出てこない。かわりに天使がしばしば登場する。ダンテと同時代の政治家や市民たちが多く登場し、政治や教会への批判といった時局的な面が濃くなり、これらになじみの薄い現代日本の一般読者にはだんだん厳しくなってくる。煉獄山の頂上は地上楽園(エデン)になっていて、ここでダンテはウェルギリウスと別れる。代わってベアトリーチェが登場してダンテは初恋の相手に再会して感激するも、もはや清らかな魂となっている想い人はいきなりダンテをおまえ呼ばわりしてその自堕落な生活態度を一喝したのち、天国へと導いていく。

十ある天国は無限の空間に広がっている。ダンテの造形の才能がいかんなく発揮された「地獄篇」と比較すると宇宙空間に突入した「天国篇」は物足りない。天国では情景の描写よりもそこで出会う聖者たちとの問答、神学的な論議に重点が置かれ読者は退屈するだろう。ダンテ自身、「天国篇」がはじまるとすぐに、力の及ばぬ読者はついてくるなと警告している。ここでは月(月光天)からはじまり地球をとりまく惑星の名を冠した天国を経て、神のいます至高天をめざす。天国の光は眩しすぎて人間の目では耐えられないため、途中でダンテは神の光を浴びて視力を強化する(キリストを見かけるが眩さのためダンテには見えない)。残念なのはダンテとともに管理人も再会を待ちわびていたベアトリーチェなのに彼女にはもはや人間らしさのかけらもなく、会話といえば神学的な説明に終始して、これでは「気取つた説教師か乾凋(ひから)びた自動人形(正宗白鳥)」ではないか。至高天でダンテはベアトリーチェと別れ、聖ベルナールに導かれて聖母を見、そこで三位一体の神秘にふれ、万物は愛によって動いていることを知る。

本作はキリスト教の教化の文学だ。ダンテの神学の知識はトマス・アクィナスに多くを負っているとのことだが(「天国篇」の解説)しょうじき管理人はカトリックの知的な神学へのアプローチには興味がないので「天国篇」は退屈だった。たしかに薔薇の花のかたちになって広がっていく至高天の祝福された人々をはじめダンテの詩的イメージによって構築された「天国篇」の清らかさは絶美だろう。多く挿入されているドレによるイラストがその美しさをより想像しやすいかたちで読者に提供する。しかしその美しさにも関わらず感動しないのは、訳者の指摘にもあるけれどダンテその人の信仰告白が表出していないからではないか。すでにそこにあるものとしてカトリック神学を前提に構築された天国はどこか味気ない。一切の悪が存在しない天国の清浄さは息苦しくもある。誤解を恐れずにいえば翼が生えた人間のかたちをした天使という造形も地獄の怪物と大差なく奇怪なものに思える。

ダンテは政変によって故郷フィレンツェを追われたのち本作を執筆した。ダンテはすぐれた政治家であって35歳で国務大臣級の要職に就いている。対抗勢力によって故郷を永久追放され、その後二十年近く流浪の生活を送る。政変を工作したとされる人物は『神曲』中でもっとも悪しざまに扱われていてダンテの怨みの深さが窺える。この点について訳者は次のように述べている。
ダンテの生涯の最大の狙いはフィレンツェの政権を担当する政治家となることであった。詩を書くために政治から遠ざかった、そういうような二律背反的なことはダンテにはおそらくなかったのではあるまいか。あったのは男盛りの自分が政治の機会を奪われたという強烈な怨恨であろう。

政治論者でもあったダンテは三巻本の『帝政論』を執筆していて、また宗教権力と政治権力の分離を主張した彼の学説は十九世紀のイタリア統一運動の際に利用されたという。

この追放者はキリスト者だったので彼の呵責ない「正義の怒り」は「地獄篇」でもっとも強く発揮されている。ここではホメロスやソクラテスといったキリスト教誕生以前の人間が洗礼を受けていないという理由で辺獄(リンボ)――ここには罰はないが――に置かれている。異教徒への攻撃は厳しく、悪魔大王の城は燃えさかるイスラム教寺院のイメージだし、マホメットとその娘婿アリーは第八の圏谷で鬼たちによって「頤から額の髪の生え際まで顔を真二つに割られている」(この部分はアラビア語訳『神曲』では削除されているという)。こうした異教徒への厳格さは、それが正義とされるがゆえにたちが悪い。
また政治家ダンテの怨みもキリスト者詩人ダンテによって作品中で晴らされる。自身を追放した者たちへの攻撃があるのはすでに述べた。彼は地獄や煉獄のみならず天国においても現世の政治、教会への批判を忘れない。こうした感情の表出が見られるのは面白いといえばたしかにそうなのだけれど、自身の敵へのダンテの厳格さを読んだあとで『神曲』が世界文学の最高峰のように讃えられるのを聞くと複雑な気持になる(これはドストエフスキーにもいえることかもしれない)。むろんそれは思想的な一面に過ぎないのであって、聖書や神話に取材してこれだけ豊穣な詩的世界を創造したダンテの詩人としての膂力には感嘆する。『神曲』はたしかにとてつもない作品だ。けれども、この詩人の独善性(それは時代的なものもあるだろう)やある種の狭量さがどうしても読んでいて頭を去らなかった。この点については「地獄篇」の巻末で訳者が解説を書いていて、それを読んで我が意を得た気持になった(「ダンテは良心的な詩人か」)。それはそうと、やはり天国は禁煙なのだろうか。

『神曲』は岩波文庫版および集英社文庫版もあるが、もっとも読みやすいのはこの河出文庫版だろう。訳注も充実しているし、多く挿入されたドレのイラストがイメージの助けになる。


4309463118神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)
ダンテ 平川 祐弘
河出書房新社 2008-11-04

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4309463142神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)
ダンテ 平川 祐弘
河出書房新社 2009-01-26

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4309463177神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)
ダンテ 平川 祐弘
河出書房新社 2009-04-03

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