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zoom RSS 『感情教育』 フローベール

<<   作成日時 : 2011/07/19 00:00   >>

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甘い生活。

18歳のフレデリック・モローは、セーヌ河をゆく船上で美しい人妻に心を奪われる。彼女の名前はアルヌー夫人。新聞社を経営する夫と二人の子どもをもつ貞淑な女だ。彼女の幻影がいつまでもフレデリックの脳裡から去らない。彼は法律を勉強するためパリに上り、夫人への憧れを秘めたままアルヌー家に出入りして恋愛成就の機会を窺う。望みは薄い、けれども狂おしいほどに憧れる女への想い。フレデリックの恋を同郷の親友デローリエはひやかす。彼らにはそれぞれ将来の希望があった。フレデリックは政界で、デローリエは法曹界でひとかどの人物になってみせる。二人はそれぞれの希望を夜通し語り合う。ときに些細なことから仲違いしても、すぐ元通りの仲に戻る。

夫人に接近するために出入りしていたアルヌー家の馴染みの客となるフレデリック。貞淑の鑑である夫人は青年の気持に気づいていながら気づかぬふりをする。アルヌーは儲けの機会をつねに窺う熱心な事業家だがどうもセンスがいまひとつで、やがて彼の事業は傾いていく。アルヌー夫人との距離が縮まらないフレデリックは高級娼婦のロザネットと知り合う。愛を求める青年はアルヌー夫人からは得られない歓びをこの女から与えられる。二人で旅行をし、ついには彼女は彼の子を宿す。二人が蜜月のような日々を送るうちにもパリでは政変の気配が濃くなっていく。

ときは1848年。二月革命が勃発し、第二共和制が成立する。フレデリックは興奮しながら幸福感に酔いしれるパリを行く。とはいえ市民たちの暴動は見苦しかった。彼らはチュイルリ宮に侵入し、野蛮に振舞う。こうした市民の姿にフレデリックは幻滅する。政治談議に明け暮れる社交界の人々のなかにあって彼の心は晴れない。未だ何者でもない独身者のフレデリックを置き去りにするように時は流れていく。ロザネットとのあいだに生まれた子どもはすぐに死んでしまう。アルヌー家は破産し、永遠の想い人は彼に行先も告げずに去ってしまう。フレデリックは資産家ダンブルーズ夫人との結婚を考えていたが、これも成立しない。怠惰に過ごすうちに政界に打って出る機会も逃した。アルヌー夫人が去って、ようやく彼は悟ったのだった。自身は華やかな女遍歴を経てきた、けれども本当に愛していたのは一人彼女だけだったのだと。もはや彼女のいなくなったパリに未練はなく彼は帰郷する。緑豊かな自然と変わらぬ風景が傷心を慰めてくれるだろうと期待して。故郷には老いた未亡人の母親がいて、かつて彼に恋を告白した娘がいた。あの娘はどうしているだろう――実家に向かう彼は途中の教会で見るだろう、まさにその娘と、親友デローリエが結婚式を挙げているのを。このとき1851年。パリでクーデタが勃発し、第二共和制はあっさりと終焉する。恋愛と社会変革というふたつの「教育」を受けるフレデリックの長い「修行時代」はこのとき終わりを告げるだろう。

ときはさらに過ぎ、中年となったフレデリックは仲直りしたデローリエと昔話をしている。かつてはあんなにも無邪気に、大胆に、将来の夢を語り合った。けれども今の姿はどうだ。フレデリックは職に就かず、アルヌー夫人の面影を胸に抱いたまま独身を貫き、資産を食い潰している。デローリエは妻に逃げられ、職を転々としたのちささやかな法律関係の職に就いている。現実はなんと理想とかけはなれたものになったことか。共通の友人たちのうちにはのしあがった者もいればおちぶれた者もいる。それらの消息を語り合ったのち、二人ははるか昔――まだ少年だったころに二人して娼家を訪れたものの、恐くなって逃げ出した滑稽な思い出に耽る。片方が思いだせないことはもう片方が補いながら。郷愁に満ちた思い出話は陽気な溜息とともにこう締めくくられるだろう――「あれがぼくらのいちばんいい時代だった!」

精緻に、冷静に、著者は物語を進めていく。フレデリック・モローはエンマ・ボヴァリーのような劇的な破滅はしない。ゆるやかな、けだるいような没落の身となるのみだ。どこかモラトリアム的な倦怠の空気は本作の全編に満ちていて(「弱さの権化」である主人公の優柔不断も手伝って)、無為のうちに日が一日また一日と過ぎていくことの甘さが終盤になってフレデリックに苦いしっぺ返しを食らわせる。何者かにきっとなれるはずという希望があって、そしてフレデリックはそうした望みを叶えられる素質を十分にもっていながら(彼は優秀な成績で高校を卒業している)何事もなせないままに老いていく青年の半生を読むにつれ、終盤の哀切が胸をえぐるような感動を読者に与える。フレデリックが本当に愛したアルヌー夫人は破産してパリを去ったのち、何年も経ってから再びフレデリックの前に姿を現す。あんなにも美しかった黒い髪――フレデリックとともに読者も口づけたいと願ったあの髪にはもはや白さが目立つようになっていて、彼女は貞節の道のためにずっと殺してきた青年(というよりは元青年というべきだろうか。しかしアルヌー夫人にとっては、フレデリックはいつまでも青年のままだろうという気がする)への想いを吐露し、自ら鋏で髪を切って一房を彼に渡す。「あなたを仕合せにしてあげたかった」という述懐がフレデリックの胸をさす。このときようやく女を抱けたのかもしれない、けれどもフレデリックは思いとどまる。叙述に禁欲的な著者は詳述しないが、年を重ね彼は悟ったのだろう、憧憬を憧憬のままにとどめておくことで恋愛は永遠化することができるのだということを(のちにイーディス・ウォートンがこのことを『エイジ・オブ・イノセンス』において描くだろう)。成就すれば恋は死んでしまうのだということを。あなたのために自分は一生独身でいる、フレデリックはそう告白して二人は別れる。「それっきりだった」と著者はこの再会の場面をそっけなく締めくくる。管理人の知るかぎり恋愛小説においてもっとも美しく感動的なこの場面は、ときに退屈させるようなこの長い物語の終わりに置かれねばならなかった。

かつてフレデリックの「目には未来はただ、いっぱいに恋をはらんだ果てしない歳月のつらなりと見えた」。でも実際には? 幻滅の連続でしかなかった。そうした日々のうちに少しずつ青年の特性はすり減っていく。

そうこうするうちに、強烈な欲望、感覚の精髄そのものが失くなっていった。同様に、知的な面での野心も少なくなった。何年もの歳月が虚しく流れ去った。頭をつかうようなこともさしてなく、心の動きも鈍くなり、ただ無為の生活に耐えるだけの毎日がつづいていた。


著者は「外科医のメス」でえぐるようにして容赦なくわれわれの主人公の没落を述べていく。けれども上に述べた最終場面、フレデリックが親友デローリエと思い出話に耽る場面の哀切はどこか甘い。悲痛さから遠く離れてかなしみがある。なるようにしかならない人生を、著者がやさしいような諦念でもって描いているからだろうか。それもあるだろうし、何者にもなれなかったフレデリックではあったとしても、彼にも「いい時代があった」ことをわれわれ読者はここまでの読書で知っているからでもあるだろう。生来の弱さが彼をいまある彼にしてしまったのだけれども、このロマンチックな青年が熱烈な恋心を抱いたり、親友と将来の夢について語り合ったり、革命に胸を騒がせてパリを歩いたのをこのとき読者は知っている。成功者とはなれなかったかもしれない、けれどもそのときそのときをけっこう楽しくやってきたのを知っている。そしてそういう時間を過ごせた彼は、結果的にはどうあれ幸福な人生を生きられたのではないだろうか。人生において結果こそがすべてとはいえないだろう。勉強するのはいい大学に入るため、いい大学に入るのはいい会社に入るため、いい会社に入るのはいい老後を過ごすため――目標が先延ばしになっていく、それが人生なのかと疑念をもってしまう管理人のような人間には(そして文学なんてものを必要とする少数の人たちもまた)、そのときそのときを享楽して生きたフレデリックの人生に甘美を感じるのではないだろうか。

涙がこぼれた読書をしたのは久しぶりだったのをここに記しておく。

430946324X感情教育 上 (河出文庫)
ギュスターヴ・フローベール 山田 ジャク
河出書房新社 2009-09-04

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4309463258感情教育 下 (河出文庫)
ギュスターヴ・フローベール 山田ジャク
河出書房新社 2009-09-04

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 『感情教育』は学生の時に読んで以来私の最愛の書。epiさんの言葉もとてもよい。勇気を出してまた読んでみようかと思います。
エヴァリスト
2011/07/19 22:07
>エヴァリストさん

この小説はどうしてこんなにも甘いのでしょうね。
epi
2011/07/21 09:07

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