epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『大いなる遺産』 ディケンズ

<<   作成日時 : 2011/08/04 00:00   >>

トラックバック 0 / コメント 0

人間の気高さについて。

19世紀のイギリス。テムズ河近くの村。両親を亡くして姉夫婦と一緒に暮らすピップ少年は墓地で一人の囚人に遭遇する。脅迫されて少年は囚人の脱走に協力する。忌まわしいこの出来事はやがて過去となり、ひょんなきっかけからピップは村の大きな屋敷へと連れていかれる。荒れ放題で廃墟のようなこの屋敷の主人ミス・ハヴィシャムは婚約者に裏切られた過去があり、それ以来長い年月、傷んだウェディング・ドレスを着、広間には腐ったウェディング・ケーキをそのままにし、屋敷中の時計は婚約破棄された時刻のまま止めている。怨恨感情から憎悪の権化と化している彼女は養女エステラをピップに紹介する。少年は少女に恋するが報われない。

ある日、ピップは突然何者かから莫大な資金援助を受けられることになり、「ジェントルマンになる」という望みを叶えるためロンドンへ旅立つ。友人と同居して勉強をはじめる。大金を浪費する。豪華な家具を買ったり、召使を置いたり。なにせ金はいくらでもあるのだし、彼が金持ちになったと知るやそれまで彼を侮っていた人たちはみな掌を返したように丁寧になったのだし、そうなってみれば自身が偉くなったようで悪い気はしない。けれども謎のままだった支援者が青年となったピップの前に姿を現したとき、この日々は終わりを告げる。ピップは資金援助を放棄し、支援者はやがて死に、莫大な遺産は国に没収される。エステラはつまらない男と馬鹿げた結婚をし、無一文になったピップは友人の助けで仕事に就き、イギリスを去る。11年後に彼は帰郷してなつかしい人たちと再会する。

小説の背景に階級の問題がある(少年ピップの夢はジェントルマンになることだった)。労働者階級の少年ピップが資金援助のために中産階級に成り上がると、周囲の人たちの彼を見る目が変わる。かつて親しくしていた義兄や幼なじみも敬語で話すようになる。少年時代、ピップはミス・ハヴィシャムの屋敷と自宅を比較して後者のみすぼらしさを恥ずかしく思っていた。義兄は字も読めない。資産家と労働者のあいだを行き来することで視野が広くなりそのために(ある意味において)幸福な小世界を失ってしまう。それが成長するということで、誰もが世界(家族の外部)の一端に触れることで経験する喪失と獲得の過程をピップもたどったに過ぎないのだが彼の場合はそれが極端かつ急激だったのは彼にとって不幸だったのか幸福だったのか(小説を最後まで読んだときに読者がどう感じるかで意見はわかれるだろう)。管理人は結果的には幸福だったのだろうと思う。しかし。

ピップはロンドンで派手な暮らしをするがそのときは楽しくても終われば空しさしか残らない。事情により金を失ってしまえば周囲はもう一度掌を返して侮りの目を向ける。変わらない愛情を示してくれるのは故郷の家族と親友だけだった。金を失ってピップは気づく、かつて無学であること、貧しいことを理由に恥のように感じていた義兄こそ本当の意味でジェントルマンだったのだと。不満をいわず黙々と仕事に打ち込み、愛する義弟が困れば当然のように助ける――この博愛の人によってピップは破滅から救われるだろう。義兄はピップから冷たくされていたにも関わらず、彼のことを「ずっといつまでも親友だ」と思っていたのだ。小さいころに抱いていた義兄への愛情と尊敬は、富の獲得によって失われ、富をなくしたとき再び帰ってきたのだ、そしてもう二度と去ることはない。幼いころにはわかっていたはずなのに、その知恵を、その感情を、取り戻すのにこんなにも時間をかけなければならなかったとは。

この小説には多くの要素が詰まっている。犯罪をめぐるサスペンスがあり、決してなびかない女への恋情があり、爽やかな友情があり、労働への諷刺がある。人間の本当の気高さについて読者に問いかけ、大いなる愛の貴さが(ささやきのような声で)うたわれる。(ミス・ハヴィシャムやエステラのような)社会的地位の高い人間が必ずしも立派な人間ではないこと、(義兄ジョーのような)労働者が必ずしも卑しい人間ではないことを著者は読者に示す。本作は感動的なメロドラマだ。一時はあんなにも恥ずかしく思えたわが家の台所が、年を経たのちには幸福を示す場所になっているというのがいい。こうした対比や反復の手法は本作のいたるところに用いられている(ともに庇護者の操り人形としてのピップ、エステラなど)。

それにしても読む前の予感と違ってずいぶんと気が滅入る読書だったのは意外だ。この小説は暗い。冒頭は沼地の墓場から始まり、そこにはピップの両親のほかに五人の兄が眠っている。この墓地でピップは囚人に遭遇し脅迫される。家に帰れば唯一の肉親である姉は暴力を振るう。義兄の鍛冶屋で働けば一生この生活が続くのかと絶望する。ミス・ハヴィシャムの屋敷は廃墟のようで、女主人はまるで幽霊だ。美しいエステラは養母の操り人形として育てられている。この屋敷には女主人の資産欲しさに欲深い親戚がいつもやって来る。自宅では姉が何者かに殴られて廃人のようになりやがて死ぬ。資金援助を受けたピップはロンドンに行くがそこでの暮らしに満足するわけでもない。支援者の正体を知ったのちには彼を匿う必要に迫られ、つねに監視の目を気にしなくてはならない。ピップは殺されかけたり、失恋したり、熱病で寝込んだりする。弁護士や故郷の俗物紳士の戯画的なグロテスクさ。イワン・カラマーゾフとスメルジャコフの「共犯」を予告するような二人の人物の「共犯」関係。全編を通してとにかく暗いという印象が強く残る。沼地の墓地からはじまったこの小説は廃墟の屋敷で終わりを迎える。一応はハッピー・エンドといえるのだろうけれど釈然としないのは最後の場面が曖昧だからか。最後の場面は読者によって解釈が異なるだろう(「訳者あとがき」によるとディケンズは別バージョンのエンディングも書いていて、こちらのほうがふさわしかったと管理人は思う)。なぜピップはエステラのような外見は美しいが中身はがらんどうな女にあんなに憧れ続けるのか、ちょっとわからない。こんなに魅力の乏しいヒロインもあまりいない。

有名な小説だけれど率直な感想としてはつまらなくはない、けれどももう一度読みたいと思うほどおもしろくはなかったというところ。好みや相性というものがある。

4309463592大いなる遺産 上 (河出文庫)
チャールズ ディケンズ 佐々木 徹
河出書房新社 2011-07-05

by G-Tools


4309463606大いなる遺産 下 (河出文庫)
チャールズ ディケンズ 佐々木 徹
河出書房新社 2011-07-05

by G-Tools

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『大いなる遺産』 ディケンズ epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる