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zoom RSS 『死の勝利』 ガブリエーレ・ダヌンツィオ

<<   作成日時 : 2011/08/17 00:00   >>

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腐乱の愛。

ジョルジョ・アウリスパ青年は年上のイッポリタと不毛な関係を二年続けている。女への執着は愛情というよりは肉欲ゆえであって、交われば激しい官能の歓びを得られるもののそれは一時的でしかなく、ことが済んだあとでは自分を縛るような女を鬱陶しく感じずにはいられない。イッポリタは人妻だがジョルジョへの恋ゆえに夫のもとを逃げ出して彼と一緒にいる。ジョルジョは彼女を完全に支配したい、わがものとして所有したいと望んでいるが、思いつめれば思いつめるほど、人間はみな孤独なのであり、肌に触れるようにこころに触れられるものではない、愛し合っているはずの仲であっても胸のうちまでは覗けない、相手が何を考えているのか知れたものではない、愛の合一など妄想でしかないのだと結論せざるを得ない。彼女は愛しているわ、と口にする。けれどもそれが本心だと誰にわかる。

もし理想的な幸福があるとするならそれは一人の女を完全に所有しているという感覚だろう、ジョルジョはこのロマンチックな夢を捨てきれない。生来神経質な彼は情人の表情や言葉や仕草をいちいち分析せずにはいられない、自分と別れたあとは金めあてにほかの男とすぐにいい仲になるのではないか。そもそも彼女は本当に自分を愛しているのだろうか、口先だけではないのか。兆した疑念は怒りになり、怒りは女を荒々しく求める。こうして空疎な交わりの一夜がまた過ぎていく。

肉親の金や不倫をめぐる諍いにげんなりしたジョルジョは海辺の田舎に隠れ家を見つけて、そこでイッポリタと二人きりの愛の生活を企てる。情人がローマから到着すると道にえにしだの花をいっぱいに敷いて迎える。甘美な日々の夢想。けれどもジョルジョは次第に、自分が支配しようとしていた女に逆に支配されつつある恐怖を感じる。美しい女はジョルジョを寝床へと優しく誘う、愛撫が官能を刺激する。女の虜となったジョルジョはこの女への愛/執着から解放され「新たな生」を生きようと望む。信仰心などもっていないにも関わらず新生への期待をかけて赴いた教会では、無知蒙昧な貧民たちによる迷信的な信心の発露と厚顔無恥な聖職者たちに人間の醜悪さしか見出せない。

ジョルジョはイッポリタが演奏するワーグナーを聴き、トリスタンとイゾルデのような「神秘的で甘美な最期」を夢想するようになる。女から自由になりたい、だが自分の死後この美しい女をほかの男に所有されるのは嫌だ。自分のものとしてあの世までもっていきたい。ジョルジョは情死の計画に憑かれるがイッポリタにその気はない。しかしとうとうジョルジョはある夜(その日は彼が唯一愛した肉親、五年前に自殺した叔父の命日だった)酔ったイッポリタを言葉巧みに外へ連れ出し、崖の上から無理心中を試みる。月明かりの下でイッポリタは必死で抵抗する、必死で叫ぶ、「人殺し!」けれども抵抗は空しく、もつれ合いながら恋人たちは崖下へと転落していく。それはジョルジョが夢見たトリスタンとイゾルデの甘美な死からは遠く、「仇どうしの取っ組み合いのように凶暴」な死だった。

むせるほどの頽廃。ジョルジョとイッポリタは小説の冒頭から倦怠期の恋人同士として登場する。二年という時間の経過により当初の熱狂は醒め、男も女も自分たちの恋愛が官能と直結した関係でしかないことに気づいている。もはや「死に体」となった愛に、けれどもほかによりどころがないゆえにしがみつくしかない男女男の所有欲とそれに無頓着な女。肉欲さえなければジョルジョはイッポリタからすぐに離れられただろう、しかしイッポリタの愛撫なしにはもはやいられないほど彼の身体は肉の歓びを求めていて、それを手放す気にはどうしてもなれなかった。気持が冷めているときには女の欠点ばかりが目につく。隠れ家での差し向かいの生活が二人を息苦しくさせてもいただろう。作中では幾度も死のイメージが反復され(小説冒頭の舞台は飛び降り自殺の現場だ)次第にジョルジョを死へと駆り立てていく。懐疑にとりつかれて狂いかけているジョルジョは夏目漱石の『行人』の主人公と通じる。「死ぬか、気が狂うか、宗教か」、それしか救いはなく、狂人となるには明晰すぎ信仰は遠かった。

陰鬱な物語だが典雅で絢爛な文章(訳者の功績だろう)が魅力的だ。ダヌンツィオは本作において「イメージと音楽性に満ちた散文」の創造を試みたという。濃密な美の世界に突如割り込むように挿入される聖堂巡礼の場面は醜悪な人間の饗宴とでも形容すべきもので、悪夢的な描写に圧倒される。この場面は本作の白眉だろう。愛の陶酔に満ちた情死のはずが、仇同士のように取っ組み合いながらの無理心中という結末は後味の悪さを覚えるとともに暗いアイロニーを感じさせる。トリスタンとイゾルデのように死にたいと思わないか、とかまをかけるジョルジョに、イッポリタはこの世ではそんなふうには死ねないものよ、と答えていたのだった。

4879842877死の勝利―薔薇小説〈3〉 (薔薇小説 3)
ガブリエーレ ダヌンツィオ Gabriele D’Annunzio
松籟社 2010-11

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4101010129行人 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社 1970-02

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