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zoom RSS 『タタール人の砂漠』 ディーノ・ブッツァーティ

<<   作成日時 : 2011/08/19 00:00   >>

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あなたの人生の物語。

若きジョヴァンニ・ドローゴ中尉は辺境のバスティアーニ砦に配属される。生まれ育った町から遥か遠い場所、険しい山道をこの道でいいのかと不安になりながら進んでいく。山奥でようやく将校を見かけ、人に会えた嬉しさで声をかける。将校は大尉で、ドローゴは上官に砦の様子を聞くがあまり愉快な答えは返ってこない。砦は北の王国との国境に位置しているがもう長い年月敵襲はなく、勤務の日々は退屈だった。政府は砦を等閑視しており、配属された者の多くは転属の権利を得るために規定の二年間をいやいや過ごしている。人里離れた辺境の、これといって楽しみのない砦に到着するなり、ドローゴはもう町に帰りたくなる。司令官と面会するなりその不満を口にすると、司令官は偽の病気証明書を軍医に作らせてやるからそれを口実に帰ればよいと言ってくれる。それならば経歴に傷もつかない。ただし次の検診は四ヶ月後だからそれまでは待て。不満は残ったが願いは容れられたのでドローゴは礼を述べて下がる。

しかし四ヶ月が経ってもドローゴは帰らない。そのころには砦の生活に慣れてきて、もしかするとここで戦闘が起こるかもしれないという漠とした期待を抱くようになっている。それに自分は若い。ここで任期を勤めてから転属願いを出したとしても遅くない。ドローゴは北の砂漠――かつてそこに住んでいた彼らにちなんでタタール人の砂漠と呼ばれている――を見つめるが、もう何十年もなかった敵襲の気配はいまも依然としてない。

来る途中で出会った大尉や司令官をはじめ、この砦に何年も勤務し続けている将校たちもいる。何が望みなのか、何の楽しみもない辺境の地で重要でもない任務に人生の貴重な時間を費やし、栄誉は得られず家庭ももてず燻るような日々を送る年配の将校たちには諦めの表情がある。彼らのようにはなるまいと思ったドローゴだったが、そのうちに政府は重要ではない砦の人員削減を実行し、同僚たちの多くは転属できるがドローゴは機会を逃してしまう。そして流されるようにそのまま日々を送っていく。まだ自分は若い、焦らずとも大丈夫だと自らを慰める。そうしているあいだにも時間はどんどん流れていく。

こうしてゆっくりとページがめくられ、もう終わってしまったほかのページの上に重ねられる、だが、今のところは読み終わったページの嵩はまだまだ薄く、それに比べてこれから読むべきページは無限に残っている。だが、中尉よ、それでもやはりひとつのページが終わり、人生の一部が過ぎ去ったことにちがいないのだ。


気づけばドローゴは中年になっている。元気をもてあまし広場で馬を乗り回して気晴らししていたのはつい先日のことのようなのに。休暇で故郷に帰っても、町での暮らしはもう自分には縁遠く思える。かつて愛した女はどうしているのか、かつての友人たちはみな出世してドローゴとは違う世界に住んでいる。そして砦への帰り道に彼は若い将校に声をかけられる。砦への道はここでいいのかと尋ねてきた彼は新しく配属された中尉だという。もう何十年も以前にまだ若かったドローゴが上官に声をかけたのと同じ場所で同じような場面が繰り返され、ドローゴは時の経過を実感する。たった一度きりの青春時代が無為のうちに過ぎ去ったのを自覚する。

さらに時を経てドローゴは砦の副司令官になっている。さいきんは身体の調子も悪い。あと数年で退役だ。ほかの人間はそうでなくてもこの自分の人生には何か大きな事件が起こるはずだ、若者らしいその夢は打ち砕かれた。愚かな夢想に一生を棒に振ってしまった、そう悔やむドローゴは病に倒れる。そのとき、ありえないと思われていた敵襲を告げるらっぱの音が砦に響く。とうとう願いが叶った。戦闘が、栄光の機会が訪れた。しかし瀕死のドローゴは戦場に立てず、援軍が登ってくる山道を正反対に、療養のため町へと降っていかねばならない。

若いときには無限に続くと思われる日々。未来は幸福へと至る道に見える。何か特別なよいことがきっと自分には起こるだろう。しかし期待とは裏腹にこれといった出来事は起きず、当然だと思っていた健康は少しずつ損なわれていき、頭髪は白さが目立つか薄くなるかしていく。肌には艶がなくなり、一年また一年と顔に皺が深く刻まれていく。一段飛ばしで昇った同じ階段を、手すりに掴まって一段ずつ慎重に昇るようになったのはいつからだろう。掬った砂が掌からさらさらとこぼれ落ちていくように、時間は彼から逃げていく。そうして人生の黄昏時にいつしか立っている、何もなせぬまま。ようやく願いが叶ったと思ったときには自分にはそれに耐える力はもはやなくなって。

生きているかぎり人は何かを期待せずにはいられない。何かを信じずにはいられない。そうと意識していない人でも生きている人はみなそうしている。小説の終わりでドローゴは死の床にいる。述べられてはいないがおそらく彼は死ぬだろう。そして死によってようやく期待し続けねばいられない生から脱却できるのだ。本作はなんと残酷で皮肉な物語だろう。ギリシア神話でパンドラは決して開けてはならないといわれた箱を開けてしまい、そこから飛び出した災厄は世界に散っていき、ために人の世は苦痛に満ちたものとなる。箱の底に期待(希望)だけが残るが、この期待こそがわれわれをもっとも残忍に嬲る災厄だとしたら。

ドローゴの人生の物語を、これは自分の物語ではないと断言できる読者は幸福だ。

4879841218タタール人の砂漠 (イタリア叢書)
ディーノ ブッツァーティ Dino Buzzati
松籟社 1992-01

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