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zoom RSS 『消去』 トーマス・ベルンハルト

<<   作成日時 : 2011/09/21 00:00   >>

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呪詛、えんえんと。

ローマでドイツ文学の個人教授をしている語り手ムーラウはオーストリア出身。大貴族の末裔でありヴォルフスエック城で暮らしていたが家族に嫌気が差して故郷を離れ、世界各地をめぐったのちローマに落ち着いた。家族は彼のほかに両親と兄、妹が二人。彼らは精神的なことがらに無関心で(家には先祖から伝わる五つの書庫があるのに彼らはそこへ一歩も入ろうとしない)、富と労働にしか価値を見出せない俗物たちで、正反対の資質をもった語り手は少年時代から彼らに違和感を覚え、だんだんと軽蔑と嫌悪の念を強くしていったのだった。家族たちもまた彼を嫌っている。小説は彼のもとに両親と兄の死を知らせる電報が届いたところからはじまる。

語り手の家族への嫌悪は根が深く、少年時代から現在までに体験した彼らの俗物性を病的といってよいほど執拗に暴いていく。異分子であった彼は、同じく異分子であった叔父を除いて家族から一切の理解を得られず、疎外感に苦しみながら生きてきたのだった。敵のように自分を憎み続けた母親、妻の浮気に気づいていながらいつしか無関心になってしまった惨めな父親、その惨めな父親に年をとるごとに似ていく兄、母親そっくりに兄を嘲る二人の妹たち。故郷の風景や空気や村人たちを愛していながら、そこを去らねばならなかったのはすべて家族が原因だった。彼らに会うと体調がおかしくなってしまうほどに語り手の嫌悪は強かった。

本作は語り手がローマで電報を受け取って帰省し、大規模な葬儀が営まれる三日間の物語だ。二部に分かれていて改行は一度もない。反復と間接話法を用いて偏執狂的なまでに家族への呪詛がえんえん続く。彼が少年時代からいかに緊張を強いられて俗物どものあいだで生きねばならなかったか、他人である読者にとっては些事に過ぎないようなことにも語り手はこだわり家族への攻撃の手は休めない。しかしこれは彼の言い分であってそれをどこまで信用するかは読者の自由だ。語り手の味方だった叔父はすでに亡く、両親と兄も同様。下巻になって二人の妹が読者のまえにようやく姿を現すが、彼女たちが語り手の言うとおりの俗物であったとしても悪人であるとは素直に認めにくい(「どんなに愛想のよい人も、しばらく観察していると、たとえ想像の中だけの観察であろうと、またその人が私たちからどれほど遠い存在であろうと、次第にいい人間から悪い人間に変わっていく」と語り手は述べる)。身内の死によって打ちのめされていただろうし、いまや莫大な遺産を相続した語り手に脅えているだろう点を差し引いてもだ。むろん彼の言い分は理解できる、ずいぶんと苦しんだだろう、しかし彼の側にも問題がまったくなかったとはいえないのではないか。喪主であるのに(オーストリアに喪主があるのか知らないが)弔問客の相手をするのは彼らが耐えられないほど俗物だから嫌だと自分はさっさと部屋に引っ込んで応対を妹たちに任せきりにし、不手際があれば彼女たちを怒鳴りつける。妹たちは嘆くのみ。兄の横暴さと妹たちの忍従という図式に語り手の語りに不信の目を向けることもできるし、資産(権力)を得た者に大人しく従う妹たちの卑しさを見ることも可能だろう。

家族への語り手の嫌悪は祖国オーストリアの嫌悪に繋がる。あらゆるオーストリア的なものに我慢がならないと彼は述べ、政治、宗教、文学をこき下ろす。訳者は「第二次大戦後のドイツ語圏に彼ほど何度もスキャンダルを起こした作家はいなかった」と巻末で述べていて時の大統領まで憤激させたという著者を連想させるけれども本作は基本的に創作であるという。語り手と著者の生い立ちはぜんぜん違う。

語り手は『消去』というタイトルの小説を執筆することを思い立ち、そのなかで自分の過去と故郷を清算しようと望んでいた。思わぬ事故のために消去は現実に可能なこととなり、彼は相続した資産をすべて手放し、念願を果たす。その資産のうちには幸福な少年時代――兄や妹たちと芝居ごっこをした――「子供用ヴィラ」も含まれていてこの建物に語り手は愛着を抱いていたが、もはや過去は戻らないのであり、失われた子ども時代を蘇らせようとしたところでそこには「ぽっかり口を開けた空虚」しかないのだと思いいたる。この苦い認識こそ、彼が消去を実行する最後の一押しとなったのではないか。

本作はネガティブな小説だけれど不思議と暗い気分にはならない。悪態をつきながら自己を貫徹し念願どおり消去を果たした語り手の姿に不思議なすがすがしさを覚える。これが訳者が述べている「ベルンハルトの文学の奇跡」だろうか(「わたしはいつだって、陽気な人間だった」とあるとき彼はインタビュアーに語ったという)。ネガティブを突き詰めるとポジティブに転じる、そんなこともあるかもしれない。
何であれ、過ぎ去ったものは、もはや「ぽっかり口を開けた空虚」でしかない、と私は自分に言った。だから決して振り返らないことだ。


語り手が執筆した『消去』とは本作であるだろう。はじめと終わりを読むと第三者(教え子のガンベッティ?)の姿が見え、語り手ムーラウの生没年も記されている。これはいかなる意図だろうか。語り手は執筆の途中で亡くなってしまったのか、それとも何か思うところがあって生前の発表を控えたのか。著者が本作をメタ構造にした理由に悩んでいる。

4622048698消去 上
トーマス ベルンハルト Thomas Bernhard
みすず書房 2004-02

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4622048701消去 下
トーマス ベルンハルト Thomas Bernhard
みすず書房 2004-02

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