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zoom RSS 『幼なごころ』 ヴァレリー・ラルボー

<<   作成日時 : 2011/09/24 00:00   >>

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忘れない日々。

子どもたちの物語を10篇収録する。はじめの「ローズ・ルルダン」を読み終えたときにもうこの短篇集が自分にとって特別な一冊であることを確信して間違えなかった。この短篇は、ある女優が著者らしき人物に寄宿学校時代の恋愛について語るという内容で、彼女が恋したのは年上の少女だった。これは叶わず彼女は恋心を胸に秘めたまま相手と離ればなれになってしまうのだが、ちょっとおしゃまな少女が片想いにどぎまぎするさまが微笑ましい。収録作品すべての作品に共通することだが、繊細なこころのうつろいを巧みに表現しているのに感嘆する。感情が、言葉の網に掬われている。

プルーストが絶賛した「包丁」もまた小さな恋の物語だ。休暇で家族と一緒に保養地にやってきた主人公のミルー少年(著者が投影されている)は、両親を含めた周囲の大人たちが「儲けだの損だの」「おぞましいこと」ばかり口にするのが我慢ならず、自分と大人たちのあいだに断絶があるのを自覚する。少年は羊飼いの娘に恋をして、彼女の手には包丁でつけた傷があった。恋心を自分でもてあまし、大人への反抗心もあってときに暴力的になりもする彼は、少女と同じ傷をもちたいと包丁を自らの手にあてる。休暇は終わり、手に包帯を巻いた少年は少女と別れる。ミルーは気づかなかったがもう一人べつの少女がいて、彼女は彼のことを想っていたのだったがそれが口にされることはなく、少年を乗せた馬車は動き出す。締めくくる父親の無理解な一言がこの小説の哀切を増す。

「偉大な時代」も素晴らしい。休暇中の二人の少年と少女が一人いて、彼らは飼い犬も巻き込んでごっこ遊びをしている。工場の経営者の息子マルセルが主人公で、ほかの二人は兄妹、こちらは工場長の子どもたちだ。はじめは鉄道ごっこだったのがいつしか戦争ごっこになり、三人とも同じ国だったのが内乱が起きて国は分裂し、和平と戦争によって三人の立場はくるくる変わり、そのうち新大陸発見に乗り出し(遊びの範囲が広くなり)、最後はおもちゃの兵隊を使った戦争ゲームの結果マルセル側は勝利し、帝国を樹立する。子どものころに友だちと暗くなるまでしたごっこ遊びの記憶が喚起されて胸が痛いような気持になる。この小説の終わりも「包丁」同様に苦いもの。

収録されているすべての作品は子どもたちの物語で、ここに登場する子どもたちは大人が都合よく描きだす無垢なだけの人形ではない。彼らは平気で暴力を振るうし、ときに残酷にもなる。美しさと醜さが同居する、われわれと同じ存在としてそこにいる。何をもってリアルというべきなのか、ここで描かれる少年少女たちの言動は誰しも多少は経験のあることではないだろうか、読めば忘れていたあのとき、あの夜の感情が蘇って呆然とするかもしれない。馬車に乗ったら目を閉じて300数えたら目を開けどこまで進んだかこころのなかであてる、夜ベッドに入って眠りに就くまでのあいだはまだ見ぬ理想の恋人との出会いを空想する――さりげなく述べられる一節がなつかしいため息を誘う、あたかも古い写真を不意に見せられたときのように。こうした視線をいつまでももち続けるのは作家としては強みだろうが生きていくうえでは邪魔になったかもしれない、ことに大人同士の交わりのときなどに。
ずっと昔から大人たちの会話を聞くと私は悲しくなり、自分が自分から遠ざかるような気分になる。私が喜んでつきあうのは、ひどく内気そうな男の子たちや、このうえなく優しい少女たちだけだ。自分の人生がそういう子供たちにとりかこまれ、彼らのまなざしの前で過ぎていくのだったら、と私は願う。
本作は私小説でも自伝でもない、と訳者は述べているけれども、しかし上の感情は著者の本音だったのではないか。

訳者による詳細な解説は本書理解の助けとなる。収録された10篇のうち、(大雑把にいうと)半分は少年の物語、もう半分は少女の物語だ。少年の物語は名前が変わっていたりはするが著者がモデルとしてあり、連作として読んだとしても違和感はない。配置にも意味があって作品は相互に響き合う、ときに主題は発展する。たとえば追憶。はじめの「ローズ・ルルダン」では少女時代は甘く回想される。
ああ! 幼かったころの、なんの変哲もない古い日々の色や音や形! 小鳥のさえずりでいっぱいだった長い夜明け、そのあとに聞こえたわたしたちの鐘の孤独な響き。口にのこる味のように、一晩じゅう眠りの底で花開いていた中庭のアカシア。日曜日の朝、授業のない長い一日を自分の前に感じながら、ひたすら彼女のことを考えていればよかったひとときの、新品のワンピースの制服の真新しい匂い……

同じ主題が終わり近い「ひとりぼっちのグヴェニー」では喪失感がより濃くなる。
私はなにも言わなかった。ふたりとも世間に近づき、そこからさまざまな考えを選びとったのだった。縁日市の屋台でなんの役にも立たないものを買うみたいに。彼女たちは彼女たちなりの高貴さを失ってしまっており、ふたりの言ったことから推測されるのは、仕事場のいざこざだの、恋文だの、デートだのといった話だった。すっかり終わりを告げ、忘れ去られた少女時代、しかし一種の飾りというか、プロテクターのように身につけている少女時代、腰も脚も太くなって、もう短いスカートをはくわけにいかなくなるまで取っておかれる少女時代……


珠玉の短篇集と呼ぶにふさわしい。「フェルミナ・マルケス」は素晴らしかったが、その後執筆された本作はさらに高い達成を果たしている。

4003750519幼なごころ (岩波文庫)
ヴァレリー・ラルボー 岩崎 力
岩波書店 2005-04-15

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