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zoom RSS 『チャパーエフと空虚』 ヴィクトル・ペレーヴィン

<<   作成日時 : 2011/10/10 00:00   >>

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夢の境界。

ロシア内戦時のトヴェーリ、雪の降る二月。語り手のピョートル・プストタ(空虚の意味)青年は詩人で、「好ましからざる新聞」に詩を発表したとして秘密警察に追われてペテルブルグから逃げてきた。並木通りを歩いていると旧友に声をかけられて、ついていくと彼も秘密警察の一員でピョートルは自衛のため応戦して彼を殺してしまう。そのあとで一人の男に出会う。彼の名はチャパーエフ(実在の人物で赤軍の英雄)。ピョートルは彼とともに戦いに身を投じる。

というのは夢というか妄想であって、実はピョートルは人格の分裂が深刻な患者として現代ロシアのあやしげな精神病院に入院している。治療法はターボ・ユングイズム療法で、これは患者がグループになってベッドに横たわり、一人がする妄想をほかの患者も共有していくというもの。ピョートルの妄想はロシア内戦だが、ほかの患者の妄想ではシュワルツェネッガーとの冒険や、タイラ商事のカワバタと酒を飲んだあとの切腹といったかなり荒唐無稽な内容でおかしい。この療法のためにピョートルの病気は悪化していく。夢と現実の境界を探る過程で、境界などあるのかという疑問に直面するのだ。

夢と現実の境界はどこにあるのか。なにが夢でなにが現実か。チャパーエフは荘子の「胡蝶の夢」に言及してピョートルを揺さぶる。舞台は戦時であるけれどもこの夢では戦闘場面は少なく、実在と非実在、自己、意識といった哲学的な問題をめぐるチャパーエフとピョートルの対話が多く比重を占める。ピョートルはチャパーエフに導かれるようにして認識を深めていく。ときにはわかるようでわからない、禅問答めいたやりとりになる。最後のほうでは幻想色がかなり濃くなり彼らは大いなる虹の奔流(絶対愛の仮想的川、略してウラル)に飛び込むという意味不明なもの。自己をめぐる探求の旅は最終的に空虚あるいは無に到達する。チャパーエフは言うだろう、「形というものはすべて無(プストタ)」、「つまりそれは、無とはすべての形だということを意味している」と。最終的に辿りつくのが無であるなら、そこではその無を指す言葉すら存在しない場所になってしまうだろう。

ピョートルは想いを寄せる女性兵士と会話する。
「戦争は心がすさむ。だけど本当に価値があるのはライラックの花を眺めることだ。弾丸が風を切る音や騎兵の野蛮な雄叫びや血の匂いが甘く混じった火薬臭なんて現実じゃない。全部幻で全部夢だ、そんな気がします」
「そうね。でも、問題はそのライラックの花自体、どれほど現実的かってことですけど。もしかしたらそれも同じ夢かもしれないし」

「醒めている」と思ったところが「醒めていると思っている夢」ではないとどうしてわかるだろう。少し違うけれどバートランド・ラッセルによる「世界五分前仮説」というのもあった。ヴァレリー・ラルボーの『幼なごころ』には、ラテン語は後代になって勉強のために学者たちによって作られた言語ではないかと疑う少年が登場する。

世界とは私の外部にあるものなのか、けれども外部とはどこを指すのか、考える私があるから外部もあるのではないか、では世界とは私のなかにあるのか。こうした問いに答えが出るとは思えなくて(というか言いようによってどうにでもなるだろう)、ピョートルの旅の終わりはだから曖昧なものになる。それを突き詰めようとするよりはそうした問いから脱却することのほうが健康的ではあるだろう。

茶番はたくさんだ。いかにして内面世界とやらをゴミ溜めに捨てて、思念や感情から解放されるかが僕の積年の課題なのだ。仮に内面世界に何らかの価値があるとしよう。美的価値でもいい。しかし、何も変わることはない。人の内面にあり得る美質には、だれもふれることはできない。それを持っている本人でさえ、ふれられないのだ。心の目でじっと見据えて、ほらあっただとか、そこにある、出てくるぞ、などと言うことができるだろうか。それを所有したり、それはだれにはあると言ったりする方法なんて、どこにも存在しない。


4903619044チャパーエフと空虚
ヴィクトル ペレーヴィン 三浦 岳
群像社 2007-04

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