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zoom RSS 『アウステルリッツ』 W・G・ゼーバルト

<<   作成日時 : 2011/10/12 00:00   >>

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仄暗い記憶の底から。

数十年前にロンドンから訪れたベルギーで、語り手は巨大なアントワープ中央駅に魅せられたようにメモやスケッチを熱心にとっている一人の男と出会う。彼はウェールズの建築史家でアウステルリッツといった。建築物とそれにまつわる歴史を憑かれたように語る彼と語り手は親しくなる。ロンドンに帰ったのちも二人の親交は続く。しかしどこか内向するような建築史家との関係は一定の距離を置いたものになる。聞けば彼は「建築物相互の類似性にかかわる研究」に没頭し、訪問した仕事場は「書庫か紙の倉庫のようで、床にも満杯の書棚の前にも紙束が山と積まれて」いる。

アウステルリッツは語る。建築物からやがて自身の来歴を。建築の歴史から一人の歴史へと話題は移る。
かつて彼にはべつの名前があった。4歳のとき移送され、ウェールズの牧師夫婦に育てられた際に与えられた名が。15歳までその名前を本名だと思って生きてきた。
優秀な成績で大学を卒業したのち研究生活に入る。博物館や図書館を毎日にように訪れて膨大な量の文献にあたり、膨大な文字を読み、新たに文字を生み出していく生活。けれどもあるときその生活が破綻する。文字を書くことも読むこともできなくなり、精神の変調に見舞われる。不眠の夜が続きわけのわからない不安に襲われる。彼はたまらず部屋を飛び出し、夜のロンドンを隅から隅まで歩きはじめる。そうして偶然訪れたリヴァプール駅で、かつてまだ幼いころ、自身がこの駅のベンチに腰掛けていたのを思い出す。その瞬間、彼は自身が意識して記憶を封印してきたことを覚る。忌まわしさゆえに記憶の底に埋め、そんなものは存在しなかったとでもいうように今日まで生きてきた。けれども抑圧された記憶は死んではおらずいま再び目覚め、彼を過去へと手招きする。精神の不調の原因は半世紀近くにわたって抑圧された記憶にあったのだ。

アウステルリッツは過去を探求する旅に出る。プラハで少年時代の彼とともに暮らした女性と再会し、彼女の口からことの真相を聞かされる。彼はユダヤ人であり、1939年にナチスの手を逃れるためイギリスに移送されたのだと。ほかに兄弟はなく、父親はパリへ逃れ、母親はテレージエンシュタットのゲットーに送られた。少しずつ蘇ってくる記憶。アウステルリッツの探索行は続き、陰鬱なテレージエンシュタットの広場でうごめく収容者たちを幻視する。幼かった自身が移送されたルートを辿るようにさらにマリーエンバート、ニュルンベルク、そして父親が消息を絶ったパリへ。オーステルリッツ駅周辺にはかつて収容されたユダヤ人たちから没収した品々の集積場があったがそれらの行く先は誰も口にしようとはせず、今は同じ場所に巨大なモニュメントのような新図書館が建っている。文字による記憶の集積所としての図書館のはずが、アウステルリッツには物々しい空疎な「バベルの塔」に見える。旧知の図書館員は彼に声をかける。
全体の設計といい、莫迦ばかしいまでの内部の規制といい、この新図書館の建物は、閲覧者を潜在的な敵として締め出そうとしているのだろう、とルモワーヌは言うのでした、とアウステルリッツは語った。ここは、かろうじて命脈を保っている過去とは一切の繋がりを絶ちたいという、日々露骨になっていく欲求を公然と顕示したものなのだと。


母親の写真は手に入れることができた。父親はグールの収容所に送られたという情報を得たので、近々そこへ行くつもりだと述べてアウステルリッツの長い語りは終わる。自らを防御するために本能的な記憶の埋葬が行われ、けれども記憶は朽ちることなく彼のなかで長い眠りに就いていた。ふとしたはずみにそれが溢れだし、彼を過去へと、自身の歴史を辿る旅へと駆り立てる。意識して彼は想起することを避け、ドイツについては知らぬようにして生きてきた。しかし死者が呼んだのだ。忘れるな、思い出せ、と。時は流れていく。人類史上に残る虐殺も、いずれ人々の記憶は日ごと年ごとに薄れてゆく。しかし個人の身に起きたことは彼が生きているかぎり彼にいつまでもまとわりつくだろう。肉親を奪われた悲しみは虫のように彼の骨を噛み続ける、静かにして耳を澄ませばその音が聞こえてくるようだ。

私たちには何がわかるのか、私たちはどうやって思い出すのか、そして何が、ついに見つけられぬまま終わってしまうのか。


扱われる歴史といい、悲しい記憶の想起といい本作は痛ましい小説だ(ゼーバルトは自身の作品について「ジャンルを特定できない散文作品」)と呼んでいるが、本作の主人公アウステルリッツは数人の人物をモデルにしているとのこと)。前置きなしで語りはじめるアウステリッツはおそろしいようだ、その内容が明晰であればあるほどに。彼は建築物のディティールにこだわり、細部までゆるがせにしない。巨大な建築物とて細かいパーツの集積から成っている。歴史もまた。断片を集めていくことでことの真相は明らかになっていくだろう。

著者はアウステルリッツの名にアウシュビッツの連想も込めたという。風化させてはならない記憶が、どの民族にも、どの国家にも、どの個人にもある。


4560047677アウステルリッツ
W・G・ゼーバルト 鈴木 仁子
白水社 2003-07-25

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