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zoom RSS 『アフロディテ』 ピエール・ルイス

<<   作成日時 : 2011/11/08 00:00   >>

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古代風俗。

プトレマイオス王朝末期、紀元一世紀のアレクサンドリアで、クリュシス(黄金の女)とあだ名される娼婦を知らぬ男はいなかった。類ないほどの美しい身体をもち、愛の快楽に耽り、七年のあいだ一人で寝たのは三晩しかない二十歳の女。その彼女を見かけて恋に落ちたのは、女王ベレニケの愛人である美貌の芸術家デメトリオス。彼は女に近づきわがものにしようとするも拒まれる。あらゆる女を虜にしてきた彼だというのに、クリュシスは彼の自惚れが我慢ならないといい、わたしが欲しいのなら三つの贈り物をしろと条件をつける。ある女が所有している鏡、同じく人の物である櫛、そして神殿のアフロディテ像の首に懸けてある七重の真珠の首飾り、これを持ってきたらあなたのものになってもよいという。それは犯罪の教唆だった。しかし恋に盲いた男はその条件を呑む。

所有者の留守中に侵入して鏡を手に入れる。所有者の女を殺して櫛を奪う。神殿に祭られている神像の首から首飾りを盗む。窃盗、殺人、神聖冒涜。この三つの犯罪を犯して三つの贈り物を手に入れるデメトリオス。あとはこれを女に渡せば彼女は自分のものになるだろう。そう思って寝んだ彼の夢にクリュシスが登場し、彼と彼女は眩暈がするような性交に耽る。彼の願いは夢のなかで成就した。目を覚ましたデメトリオスがクリュシスに会うと、すでに町の人々の噂話からことの成り行きを知っていた彼女は、自分のために犯罪を犯した男を愛するようになっていた。けれども男はもう彼女の愛を得たいと望んでいなかった。彼は女にいう、もう自分が欲しいと思ったものは夢のなかで手に入れた、だからさようならだ、と。いまでは立場が逆転し、男への恋に狂わんばかりのクリュシスは彼を引きとめようとする。それならばと今度は男が女に条件を出す。俺のために、三つの盗品を身につけてアレクサンドリアを歩けと。

犯罪を証する盗品を身につけているのを人々が見れば彼女は捕らえられ、殺されるだろう。とくに首飾りを神像から盗むという神聖冒涜は当時重罪とされていた。それでも彼女は三つの盗品を身につけ、灯台のテラスに姿を現す。その神々しいまでに美しい姿を見た人々は口々に叫ぶ、「アフロディテだ!!」と。彼女は捕らえられ、死刑が宣告される。面会に来たデメトリオスのまえで毒人参の汁を飲み干し、息絶える。デメトリオスは女の亡骸をモデルに不滅の生命を宿した彫像を制作する。

デメトリオスの欲望は生身のクリュシスをわがものとするよりも先に夢のなかで成就した。そうなってしまえばもはやクリュシスほどの絶世の美女であったとしても彼にとってはその他大勢の女と変わらない、欲望をそそらぬ、つまらない女でしかなくなる。そもそも彼は、女王ベレニケよりも彼女をモデルに制作した女神像のほうをはるかに愛する、そういう理想美の崇拝者だった。彼の理屈が、性交によってしか世界を見ることのできないクリュシスに理解されなかったのも当然で、それでも彼女は男への愛を証明するために、それが死に繋がるとわかっていながら盗品を身につけることを承知したのだった。恋の情熱とは畢竟奴隷になることだ、とデメトリオスは述べる。愛する者は愛される者の奴隷となって翻弄される――著者ルイスはのちにこの主題を反復して『女と人形』を書くだろう。『感情教育』のフレデリックや『エイジ・オブ・イノセンス』のアーチャーのように、デメトリオスもまた想像裡の美こそが本当だと信じて生身の女を放棄したのだった。女は死によってすら男の気を引けない(クリュシスの死の場面でデメトリオスはなんと冷淡でいることか)。生身の彼女は男にとって興味を引かなくなった。しかし彼女が息絶えた途端に男は彼女の不滅の美に打たれる。この畸形的な愛のかたちが戦慄を誘う。

基本的に本作はクリュシスとデメトリオスの恋愛物語だが、著者の「若くして大家にも比し得る域に達したそのギリシア文学の造詣の深さ」(訳者)によって、古代アレクサンドリアの風俗を見事に描いて読者を作品世界に没頭させる。町の景観、そこで生きる人々の生活、そして作中に濃く漂う東方的な物憂さ。気軽く男と女は交わり、豪奢な宴は酒池肉林の様相を呈す。12歳の少女とて一人の娼婦としてためらいなく逞しい男の腕に身を任せる。奴隷などは殺されたところで気にする必要もない。そうした野蛮でけだるいようなエロスが全篇に満ちて本作を魅力的にしている。序文において著者ルイスはこう述べている。
愛とそれにともなって起きるもろもろのことどもは、ギリシア人にとっては、最も徳性に富み、最も偉大さを豊かにたたえた感情であった。ギリシア人は、イスラエルの伝統がキリスト教の教義とともにわれわれの間にもたらした、淫らさとかふしだらという観念を愛と結びつけて考えるようなことは決してなかった。ヘロドトスは、ごく自然な調子でこう語っている(『歴史一巻、一〇』)。「ある種の野蛮な民族のもとでは、裸体をさらすということは恥とされている」。
この妖艶なエロスの物語には偽善的な道徳を奉じるブルジョワ社会への諷刺も込められている、訳者は解説でそう述べている。本作では少女売春やレスビアニズムも描かれるがそれらが微塵も湿っぽくなく、地中海世界の眩い陽光に照らされるように明るく扱われているのがいい。

ルイスは若年にして『ビリティスの歌』と『アフロディテ』によって文学的名声を得たのち(このときの栄光があまりに輝かしかったため文学者としては以後この高みにまで達することはなかった)、ジッド、ヴァレリー、マラルメ、ドビュッシーらと親交を結び、後半生は隠者のごとく書物の世界に引きこもって古代研究と性愛によるエロスの探求に没頭して55歳で世を去る。男色を含むさまざまな性愛を試し、それに霊感を受けて書かれたエロティックな文書は目方400キロにも及ぶ遺稿として彼の死後発見されたという。

4582762301アフロディテ―古代風俗 (平凡社ライブラリー)
ピエール ルイス Pierre Lou¨ys
平凡社 1998-01

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