epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『地上の見知らぬ少年』 J・M・G・ル・クレジオ

<<   作成日時 : 2011/11/13 00:00   >>

トラックバック 0 / コメント 0

無垢の生。

世界は美しい。それを証するために、はじめて地上に降り立った少年がいたとしたら彼の目にはどんなふうに世界が見えるだろうかと仮定し、断章形式で綴ったエッセイ。無垢の目は地上のあらゆるものごとに驚き、感嘆し、美を見出す。著者によるとこの少年とは彼自身であり、おそらくは読者自身でもあるという。彼は「あてもなくぶらつき、理屈抜きでものごとを見つめる人なのです」。空、雲、海、光、野菜といった自然だけではなく、彼は街の灯や貨物船といった人工物の美しさにも言及する。それらを述べる少年=著者の叙述はどこまでも繊細でどこまでも瑞々しい。

世界は美に溢れている。無垢の目はそれを捉える。けれども多くの大人たちはそうできない。「いたずらに複雑で頭でっかちな大人の世界」、「知識やら意識やら分析やらに妨害されて、いつだって混濁している」忌まわしい大人の世界から脱却して、読者は見知らぬ少年とともに既知のはずの世界が隠している未知の美をもう一度発見する。彼とともに眺め、走り、踊り、歓喜する。

明け方の空を見つめる。はじめは虚ろな淡い色、そして薄水色、やがて真珠色に染まり出した空が広がっていく。空が最も高くなり、痛いほど鮮やかにきらめく。日の光に輝く荒々しい空だ。まばゆいばかりに白い雲が渦を巻く。暑熱がいたるところに響き渡り、声のようなものがこだまする。それが身体の奥底で打ち震え、ぼくたちを大気に結びつける。
空はめまぐるしく姿を変える。その変化に合わせて、ぼくたちも時には薄暗く、時には晴れやかにならなければならない。


単純さは美しい。それは美に備わる力だ。獲得する力ではない。地上の美しさと同じで、ごく自然に人間に授けられているものだ。
光や樹木の美しさを前にした時には、知性も知識も必要ない。ただそこにいて眼を開き、耳を澄まし、感じ取っていればいい。感覚で捉えられる世界にある美しさは、規範や言語の彼方にある。世界とぴったり調和していて、過去も未来も持たない。


真っ赤なチューリップの花、六枚の花弁が互い違いに重なっている。生き生きとして、日中には開き夜には閉じる。花冠の中心に見えるのは、黄色に細く縁取られた大きな褐色の星。触角に似た何本もの長い雄しべ、螺旋を描く雌しべ、胚珠の柔らかな膨らみ。すべてを眼にしながら、ぼくは別の世界にいる。その世界では、生命がすみずみまでまなざしに晒され、すみずみまで美しい。


アニミズム的な世界観が詩的な文章で述べられる。訳者の功績も大きいだろう、気ままに本を開いてもどの頁にも読むと胸が熱くなるような、ふれられて嬉しくなるような美しい文章に出くわす。神経症的な現代社会とやらを遥か彼方に置き去りにして、読者は少年=著者によって本来神秘的なはずの世界に再び導かれる。かつて誰もがそのように見ていたはずの世界へと、余計な知識や知恵を手放して足を踏み入れていく。そこでは謎がのたうち、美が微笑んでいる。どこまでも青い空を高く高く昇っていく凧。遠く水平線上に霞む貨物船。優美なかたちをしたオリーヴの樹のたたずまい。光と影とがかわるがわる現れる人間の顔。冷たい岩の上に腰掛けて眺める星の輝き。枝から飛び立つ鳥の完璧なフォルム。読むことが溜息の連続になるような、幸福ででもどこか悲しくなるような――喜びに溢れた文章であるのに――どんなに賛辞を重ねても足りない気分になる、美しい、あまりに美しいエッセイだ。

1963年に23歳の若さで長編小説『調書』によってフランスの文壇に華々しく登場した著者の作品は、1970年代までは「閉塞した自意識を抱えて現代都市社会に生きる青年を主人公に、物質文明の息苦しい重圧に対する悪夢のような恐怖と絶望的な反抗を、執拗で単調な叙述によって描き出すものであった」と訳者は述べる。そののち訪れたメキシコでインディオと出会い衝撃を受ける。西欧近代的な認識のあり方とは異なる彼らの呪術的世界認識、それを1971年発表のエッセイ『悪魔祓い』で「本源的な文明」と呼んで接近する。世界とのつながりを失い、寄る辺なくさまようような現代社会の孤独の病理を癒す、というよりはそんな問題を問題としていないような別の文明との遭遇が作家を「根底から変えた」。これ以降、著者の作品世界からは「肥大した自意識がもたらす苦悩や、物質文明への反抗や呪詛といった初期作品を特徴づけていた要素は次第に薄らいでいく」(訳者)。代わって風が歌い、光が踊り、雨がささやくようなアニミズム的な素朴で繊細で強靭なもうひとつの世界が描かれていく。本書の評として最も適切なのは、訳者の「世界を両の手で抱きしめるような宇宙的官能性が充溢している」という文言だろう。主要恒星の赤道座標を列挙した断章の美しさは泣きたくなるほど感動的だった(本書327頁)。

ぼくは書きたい、他のものがなくなるように、醜さ、卑劣さ、俗悪さがなくなるように、言葉がもはや金銭の奴隷ではなくなるように、言葉がもはや壁や紙葉を汚さなくなるように。すべてが以前のように、まだ大地のおもてに言葉が存在せず、侮蔑などがなかった時代と同じようになるように書きたい。
ぼくは別の言葉のために書きたい。呪詛することも、憎悪することも、汚染することも、病毒をまき散らすこともない言葉のために書きたい。(略)ぼくは筋もなく結末もない自由な冒険のために、永遠に動物や植物や子どもたちしか出てこない、大地や水や空気の冒険のために書きたい。ぼくは新しい生のために書きたいのだ。


この先も幾度となく繰り返し読むだろう一冊と出会えた。

4309205356地上の見知らぬ少年
J・M・G・ル・クレジオ 鈴木 雅生
河出書房新社 2010-03-18

by G-Tools

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『地上の見知らぬ少年』 J・M・G・ル・クレジオ epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる