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zoom RSS 『ハドリアヌス帝の回想』 マルグリット・ユルスナール

<<   作成日時 : 2011/11/16 00:00   >>

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目を見開いて。

老齢の第14代ローマ皇帝ハドリアヌスが義孫のマルクス・アウレリウスにあてた書簡で自らの生涯を回想する、という形式で書かれた歴史小説。歴史的事実と著者による創作が入り混じっているが、綿密な調査に基いて書かれた本作に響く皇帝の声が虚実といった枠を超えて読者の胸を打つひとつの見事な肖像を形作っている。

ハドリアヌスははじめ野心的な兵士として出発し、数多の戦争に参加して武勲を立て功績を重ねる。彼が帝位に就くのは40歳を過ぎてからで、先帝トラヤヌスは後継者の選定を長引かせていた。皇后プロティナが口添えして、トラヤヌスは死の床でようやくハドリアヌスを後継者として指名する。皇帝となった彼は官僚制度を組織し、防備のための大城壁を築き、法律を整備するなど優れた政治手腕を発揮して帝国の発展に貢献する。妻サビーナとのあいだに愛はなく、彼は情熱の渇きを美男子たちによって癒す。生涯で幾人もの愛人をもったがとりわけ皇帝が愛したのはアンティノウスというギリシア人の若者で、ハドリアヌスは膝で眠る彼のうなじに手を置いてその金髪をまさぐり、若者の美しさに耽溺したのだった。しかしこの若者は献身のために死に、悲嘆に暮れる皇帝は亡き愛人の名をつけた都市を建設する。精力的に活動するうちに年月は過ぎ、いつしか老いを自覚するようになる。発作を起こして一命をとりとめる。後継者を選ばねばならない時期がきて、はじめて先帝トラヤヌスの迷いが理解できるようになる。養子に迎えたかつての愛人ルキウスはすぐに死に、今度は生真面目なアントニヌス(マルクス・アウレリウスの義父)を選ぶ。病の苦しさに耐えかねて自殺を考えるものの思い止まり、自らが生涯に為したことに満足しながら間もなく訪れるだろう死のときを静かに待つことを決意する。

1903年、ブリュッセルに生まれた著者ユルスナールは20代でこの小説を構想したものの中断して放棄し、そののち40代半ばになって再び執筆を開始、1951年に発表してフランスはもとより諸外国の絶賛を博した。女性初のアカデミー・フランセーズ会員にもなっている。著者が長い年月をともに生きたハドリアヌスは実在の人物であるとともに彼女自身でもあるだろう。処世に長けた知恵と美を憧憬する感性とを兼ね備え、実務能力に優れた政治家でありまた独自の倫理に則った快楽主義者であるハドリアヌス。ユルスナールによって描かれた皇帝の肖像に理想的な人格を見る読者は多いだろう。

それにしても不思議なのは、マルクス・アウレリウスは『自省録』のなかで自身の人格形成に貢献した人々にそれぞれ言及して感謝を示しているのに、そのなかに義祖父であるハドリアヌスが含まれていないことだ。このストア派の哲人には巨大な快楽主義者ハドリアヌスは理解できなかったためか。作中ではハドリアヌスが二人の気質の相違を述べている。
わたしの内に、そなたが教師たちに教えられるものとは反対の知恵を、またわたしの感覚への耽溺の内に、そなたの生き方の厳格さとは反対の生き方を(それはしかし平行するものだが)そなたは嗅ぎつけている。かまいはせぬ、そなたがわたしを理解するということは欠くべからざる条件ではない。世の中には二種類以上の知恵があり、いずれも世界には必要なのである。それらが交替し合うのはわるいことではない。

マルクスはハドリアヌスの偉大さを理解していた。ハドリアヌスは後継者アントニヌスにマルクスともう一人ルキウス・ウェルスを養子とさせたが、ハドリアヌスが逝去しアントニヌスが即位すると彼は自らの後継者をマルクスに定めた。しかしアントニヌスが死ぬとマルクスは義父より義祖父の遺志を尊重して義弟ルキウスとともに二人で皇帝の位に就く(のちルキウスは若くして病死する)。こうした事実を知るとマルクスの義祖父への沈黙はいよいよ謎めく。

フロベールはある書簡で「キケロからマルクス・アウレリウスまでのあいだ、神々はもはやなく、キリストはいまだない、ひとり人間のみが在る比類なき時代があった」(「作者による覚え書き」)と述べた。その言葉を愛読した著者による皇帝はまさしく比類なき理想的君主だ(トラヤヌスが頑迷な老人のように描かれているのがおかしい)。
人にはみな傾向がある。また人それぞれ目標があり、お望みならば野心もある。あるいはひそかな嗜好も、ごく明確な理想もある。わたしの理想は、感覚と目とのあらゆる明証にもかかわらず定義しがたい《美》という言葉に要約されていた。わたしは世界の美に責任を感じた。町が壮麗でひろびろと風通しがよく、街路には清水がまかれ、貧困や隷従のしるしによって、あるいは厚かましい富のふくれあがりによって、そこなわれていないからだをもった人びとがそこに住むことをわたしは望んでいた。また、学校の生徒たちが適切な学課を正しく暗誦することを、家庭の女たちがその行動のうちに母性的威厳と力強い安らぎをもつことを、体育場には競技にも芸術にも暗からぬ青年たちがしげしげと通うことを、果樹園がみごとな果実をみのらせ、畑がゆたかな収穫をもたらすことを、わたしは望んだ。そして《ローマの平和》が旋転する天体の音楽のごとくすべてのものの上にひろがりゆくことを、身分いやしい旅人さえも、わずらわしい手続きや危険なしに、最小限の平等と文化を保証されて、国から国へ、大陸から大陸へとさすらうことができることを、わが兵士たちが国境で永遠の剣舞をつづけることを、仕事場であれ、神殿であれ、すべてが故障なく事を進めることを、海には美々しい船の航跡が刻まれ、陸路には頻々たる馬車の往来があることを、よく秩序だった世界に哲学者も踊り子もみなその所を得ることを、わたしは望んだ。


皇帝は国家の官吏であってカエサルではない。


ハドリアヌスはローマ帝国のいわゆる五賢帝の3人目にあたる。

盛りはいつまでも続かない。やがて凋落のときが来る。病のために衰え、もはや寝台に横になるのも苦痛で椅子に座ったまま眠るようになるハドリアヌスを見るのは辛い。前述したように彼は自殺を考えるが思い止まり、「目をみひらいて」死に臨む決意をし、小説は終わる。終盤の死の観想に嘆息する。
人生は無惨なものだ。それはわかっている。だが、人間の条件からたいしたことを期待していないからこそ、まさにそのゆえにこそなおさら、幸福な時代、部分的進歩、再開始と継続の努力が、もろもろの悪や失敗や怠慢や過誤の膨大な集積をほとんど償うに足るほどのすばらしい驚異と思われるのだ。破局と破滅がきたり、混乱が凱歌をあげるであろうが、しかしときどき、秩序も勝利を得るであろう。戦争と戦争のあいだに、新たに平和がうちたてられ、自由とか人間性とか正義とかいう語が、ここかしこで、われわれがそれらの語に与えようと試みた意味を、ふたたび帯びるようになるであろう。


以下は五賢帝の5人目マルクス・アウレリウスの言葉。
ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。またよそへ行くとすれば、それは君のお望み通りだ。また死ぬとすれば、君の使命を終えたわけだ。以上のほかに何物もない。だから勇気を出せ。
『自省録』


ローマ帝国史の知識があればこの重厚な小説をもっと楽しめただろうと思うと少し残念になる。時を置いて再読したい。

4560092192ハドリアヌス帝の回想
マルグリット・ユルスナール 多田 智満子
白水社 2008-12-16

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管理人が愛読する一冊。
4003361016自省録 (岩波文庫)
マルクスアウレーリウス 神谷 美恵子
岩波書店 2007-02-16

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