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zoom RSS 『白鯨』 メルヴィル

<<   作成日時 : 2012/01/31 00:00   >>

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老人と鯨。

小説の語り手である青年イシュメールは財布がほとんど底をつき、陸での暮らしに物足りなさを感じて捕鯨船に乗ることを決意して海へ向かい、途中で同宿となり親しくなった銛打ちのクイークェグとともにナンターケットから出航するピークオッド号に乗り込む。船長の名はエイハブといった。怪物めいた白い巨鯨モービィ・ディックに片脚を奪われ、その復讐に狂気にも似た執念を燃やしている。ピークオッド号はナンターケットから出航したのち大西洋を渡り喜望峰を回って日本沖漁業を通過し、ファニング島近海に至る。この長い航海の果てについに一行は宿敵モービィ・ディックと遭遇し、人間と鯨は三日に渡る闘争を繰り広げるも最後は白鯨の攻撃で船は沈没し、語り手イシュメールただ一人を除いて船員はみな海の藻屑と消える。

以上がストーリーだが、本作はただピークオッド号によるモービィ・ディック追跡の航海が述べられている小説ではない。メルヴィルは本作に、自身がもつ捕鯨に関する知識のすべてをぶちこんだ。ストーリーはたびたび中断され、鯨に関する博物学的な記述が挿入される。たとえば鯨の種類について、その骨相学的な見解、白という色をめぐる考察、捕鯨に関する技術の紹介、鯨の肉の旨みについてなどなど。「幹から枝が生え、枝から小枝が生えるように、豊穣なる主題から、あまたの章が生まれる」とは作中の一文で、まさしく捕鯨という主題が幹となって多くの章が枝分かれして本作に詰め込まれている。捕鯨に従事していた著者の経験が活きているだろう。大まかにいうと『白鯨』はストーリーの章と鯨(または捕鯨)に関するやや学術的な章に分けられ、両者が混淆して成っている。

ストーリーを語る章とて単純ではない。通常の叙述形式のほかに戯曲形式で書かれている章がいくつもあり、そこで登場人物たちは内心を独白したりユーモラスなやりとりをしたりする。語り手であるイシュメールは小説の途中からだんだんと姿を見せなくなり(語り手が姿を見せない、というのは妙な記述だ)、下っ端船員である彼が知るはずのないことごとが読者に提供される。船長室での出来事やエイハブの独白などをイシュメールはどうして知りえたのか。このあたりの視点の変化――下っ端船員が神の視点を得る――も管理人が本作を異形の小説と呼びたくなる所以だ。本作の発表は1851年。すでに発表されていた『ガルガンチュアとパンタグリュエル』や『ドン・キホーテ』や『トリストラム・シャンディ』などと同様、小説とは「何でもあり」なのだということを教えられる。

『白鯨』はよく、人間(文明)対自然の対立を描いているといわれる。通い合うことのない命と命の衝突。たしかにそういう面はあるだろうがしかし本作はたやすくそんな二項対立の図式に還元できるような小説ではない。エイハブは脚を奪った敵への復讐心のみで生きている老人だが、彼が憎悪しているのは単なるモービィ・ディックなのではない、その背後にある運命、その不条理、そうした、いわば人間がそこで生きるしかない世界への報復感情が根幹にある。モービィ・ディックはいわばそうした世界の象徴にほかならない。

では白い巨鯨モービィ・ディックとは何であるのか。訳注によると1810年にチリ沖で「モチャ・ディック」と呼ばれる凶暴なマッコウ鯨が発見され、この鯨に関する記事をメルヴィルは読んでおり、これがモービィ・ディックのモデルになっているとのこと。とはいえこれだけでは大してモービィ・ディックについて知ったことにはならない。白い鯨であるという。そしてこの敵への復讐に燃えるエイハブ率いる船の名はピークオッド号。ピークオッドとは1637年にピューリタンたちに襲われてほぼ全滅したコネチカットのインディアンの部族名だ。訳注には「白人が北米で行ったインディアン大規模殺戮のはしり」とある。エイハブやイシュメール、一等航海士スターバックら白人とともに、ピークオッド号には未開の地の出身者や黒人、東洋人など雑多な人種が船員として乗り込んでいる。こうした多様な人種から成る船はまるでアメリカという国の縮図に思え、彼らは白人の船長に率いられて「白い」巨鯨討伐のため長い航海に出る。ピークオッド号は白人によって滅ぼされたインディアンたちを象徴しているのか。しかしこの復讐は、逆に白鯨の反撃に遭い、最後にはほぼ全滅するとはすでに述べた。メルヴィルの意図はどこにあったのか、錯綜した寓意は安易な解釈を拒んでいる。

本作を読んでとくに印象深かった点が三つある。ひとつは上述した複雑な寓話のような物語。二つ目はこれもすでに述べたが構成の奔放さ。そして三つ目は、冒頭近くで述べられる語り手イシュメールと南海の島出身のクイークェグとの友情だ。イシュメールは訪れた宿屋に部屋がなく、仕方なくこの銛打ちと同室になるのだが、人の頭を売って歩いている男だと宿屋の主人に聞かされ怖くなる。実際に会ってみればなるほど奇妙な習慣をもった異質な外国人だ。しかしイシュメールは偏狭な価値観に則って自分は文明人でありクイークェグは野蛮人だと決めつけて見下すような真似はしない。相手には相手の宗教があり、生活習慣があるということを寛容に受け入れる。こうして二人は親友同士となるのだが、19世紀半ばのアメリカの小説とはにわかには信じられないほど人種的偏見から自由なのに驚く(これは気持のいい驚きだ)。メルヴィル自身の、船員としての経験および見聞が影響しているのだろうか(モンテーニュにもこうした寛容さがあった)。

海洋冒険物語を期待すると読者は肩透かしを食うかもしれない。冒頭の鯨に関する言説の列挙を読めばすぐに本作が一筋縄ではいかない小説だとは予感できるだろうけれど。枝葉の薀蓄を楽しみながら白鯨追跡に手に汗握る、その寓意の真相は謎めいている。恋愛なし(女はほとんど登場しない)、心理描写もほとんどなしでもこんなに小説はおもしろくできるのかと感心した。

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