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zoom RSS 『死者の書・口ぶえ』 折口信夫

<<   作成日時 : 2012/02/11 00:00   >>

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鎮魂。

奈良時代。藤原南家の郎女(いらつめ)は父親から贈られた阿弥陀経の千部写経に取り組んでいた。彼岸中日、暖かだった一日が暮れようとするころ千部目の写経を彼女は終える。いつか外では雨が降っている。写経のうちに彼女の胸に去来したのは仏の俤。二上山の峰のあいだに、その人の髪が、頭が、肩が、胸が見えた。呼ばれるように憑かれたかのように彼女はひとり、二上山の麓へと向かう。そこは女人禁制の当麻寺の境内。罪障を償うまで彼女はそこに留まらなくてはならなくなる。
同じころ、二上山では浮かばれぬひとつの魂が現世をさまよっていた。反逆罪のために若くして死んだ大津皇子の魂は、ある女をいまも「思い続けて」いる。死んでいるあいだも、死から覚めたのちも。
郎女は大津皇子の魂と交感し、彼女の見たいとしい俤はいつしか大津皇子と重なっていく。罪障を償うために彼女は蓮糸で絢爛たる曼荼羅を織り上げ、それが皇子の魂を鎮める。

藤原南家の娘が発心して当麻寺に入り、曼荼羅を織り上げる「中将姫伝説」が本作の骨格としてある。けれども著者はあえて謎めくように本作を改稿しており人物の特定を曖昧にしようとしている。「した した した」、暗黒の墓のなかに垂れる水の音を聞きながら大津皇子が目覚める場面から本作ははじまるが、各章は時間を前後させて配置してあるため理解は容易でなく、複雑な章の配置と特定を避けるような記述の曖昧さが本作を迷宮のような小説にしている。擬音語がとくに印象的な著者独特の文体が眩暈のするような世界に読む者を誘う。(管理人には)意味のわからない語句も多くあった。それでも読んでいけば何が起きているかくらいはわかるようになっていて、足踏みするように時間をかけた末に最後の、郎女の涙の場面に至るとき不思議な充足感のようなものを感じる、難解でありとうてい一読したくらいでは理解できているはずもないとわかっていながらなお、ああよいものを読んだという気分になれる稀有な読書体験だった。本書の注解は「重要と思われる事項の説明に絞って」のそれに留まっておりより語句や人物についての詳細な注があればもっと素直に楽しめたかもしれないけれども歴史小説はあるレベルの歴史の素養が必要とされるのだから恨めない。率直な感想としては易しくはない、けれども不思議とおもしろい、そう思える類の読書だった(小説のタイプは異なるけれども似たような感じをナボコフの『賜物』を読んだときにも覚えた)。

併収の「口ぶえ」は著者十代のころを再現した私小説的なもの。

4003118626死者の書・口ぶえ (岩波文庫)
折口 信夫
岩波書店 2010-05-15

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