epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『あら皮』 バルザック

<<   作成日時 : 2012/03/22 00:00   >>

トラックバック 0 / コメント 0

死の舞踏。

19世紀前半のパリ。ラファエル青年は最後の金を賭博ですってしまい、自殺を決意して歩くうち一軒の骨董屋に入る。店の主人は青年に同情し、奥の部屋へと案内して、壁に掛かったあら皮を見せる。主人が言うには、このあら皮は魔法の品で、持ち主の余命と引き換えにあらゆる望みを叶えてくれる。望みを叶えるたびに皮は縮むが、それは持ち主の余命が縮んでいるのを示しているのだ。ラファエルは謎めいたこの皮を譲り受け、さっそく豪華な宴会に出たいと望む。すると友人たちが通りかかり、彼が望んだとおり宴会へと誘う。乱痴気騒ぎのあと、ラファエルは友人エミールに自分の過去を語り始める。
ラファエルの両親はすでに亡くなっている。三年間、彼は少ない遺産を切り詰めて学問的な著作の執筆に没頭した。下宿先の母娘は真面目な彼に好意を持ち、とくに娘のポーリーヌはひそかな恋心を抱いていた。しかしラファエルの友人ラスティニャックは禁欲的な暮らしを笑い、快楽の追求こそ人生だと説いて、ラファエルを社交界の花形フェドラ伯爵夫人のサロンへ連れて行く。若く、美しく、裕福な女主人にラファエルはたちまち恋をする。残り僅かな遺産を女のために浪費して彼女をわがものにしようとするも、すれっからしのフェドラは冷淡な態度を取り続ける。恋に破れ、最後の金も賭博ですってしまった彼は自殺を決意してパリをさまよっていたのだった。
宴会の最中、ラファエルは大金が欲しいと望んだ。すると翌朝、親戚が遺した莫大な遺産を相続したと知らせが入る。あら皮を見ると少し縮んでいた。願望が命を奪っていくことに恐怖を覚えたラファエルは、豪華な屋敷に引きこもって誰とも会おうとしなくなる。もはやフェドラへの愛も失せた。そんな彼のまえにかつての下宿先の娘ポーリーヌが現れ、しかも彼女も行方不明の父親が帰還したおかげで裕福になっており、互いに愛し合う二人は結ばれる。夢のような幸福の日々。しかし死の恐怖はラファエルの脳裡を去らない。科学者にあら皮の謎を解明させようとして失敗し、転地療養を試みるが効果はなく、体調は日増しに悪くなっていく。いまではあら皮は草の葉程度にまで縮んでいた。ラファエルはパリに戻り、ベッドに臥せて最後の望みを口にする、ポーリーヌの腕のなかで死にたい。望みは叶えられ、彼は愛する女に抱かれながら息を引き取る。

バルザックの登場人物たちの激しすぎるエネルギーには圧倒される。彼らはほどほどということを知らない。これと決めたら目標に向かって全精力を傾注する。なので読んでいて疲れる。ラファエルははじめぎりぎりまで出費を切り詰めて学究生活をしていたのが、フェドラに出会って彼女に魅了されるとこれまでの暮らしを放り出して、女の歓心を得るために奔走する。極端から極端への移行。華やかな社交界はラファエルがそれまで知らなかった魅力を放っていて、美しい衣装をまとった女たちや豪華な食事、芝居のボックス席といったものが彼の欲望を刺激した。女たちは言うだろう、人生は楽しまなきゃばかばかしいと。お金さえあれば人の心だって自由にできると。華やかな世界の虜となった彼を、ポーリーヌはかなしそうに見つめる。愛しているのに、彼女には彼を振り向かせる力がないから。そう、金とは力なのだ。人間は欲望し、金という力でもってそれを叶える。持たぬ者は欲望を諦めるしかない。しかしもし、命と引き換えに力を手に入れることができたとしたら。はじめは自殺を決意していたラファエルが、あら皮を手に入れた途端、生に執着するようになる。あらゆる欲望を叶える力を持ちながら、それを使うことを拒否するようになる。このラファエルの葛藤が本作の勘所だろう。

後半になって、裕福になったポーリーヌが登場すると悲劇性は増す。二人は結ばれるが、そもそもラファエルはむかしからポーリーヌの愛情に薄々気づいていた。それなのにフェドラの華やかさに目が眩んで愚劣な恋に身を賭したのであり、あら皮の魔力で余命が削られていく境遇となったころに本当に自分にとって大切な人が誰であったか知ったところで遅い。幸福な日々のうちにも命はすり減っていく。どれだけ細心の注意を払っても人は生きているかぎり何かを望むのであり、あら皮が縮まない日はない。ラファエルは落ちぶれたとはいえ貴族の出であり、学問の才能があり、裕福で美しく、何より彼を愛し尊敬してくれる女がそばにいる。それなのに死の鉤爪は彼を掴んで離さない。「ぼくは生きたい!」、ラファエルの痛切な叫びだ。しかしその望みだけはあら皮は叶えてくれない。

本作中の白眉は宴会場の朝の場面だろう。夜遅くまで大騒ぎした連中が朝の陽射しで目を覚ます。昨夜はあんなにも美しいと思えた女たちの髪型は乱れ、化粧は崩れ、表情はやつれ、目はどんよりと濁り、顔色は酔いの名残りで黄色くくすんでいる。
行列が通りすぎた後の往来で踏みつぶされている花さながら、死人のように蒼ざめている情婦を目にすると、男たちにはそれが前夜の女とは思えなかった。とは言っても、この横柄な男たちのほうがさらに醜いさまをしていたのだが。くぼんで隈のついた目は何も見ていないようであり、酒のせいで麻痺し、ひとを元気にするよりもむしろ疲れさせる浅い眠りのために茫となった彼らの顔を見れば、思わずぞっとしたことだろう。魂が飾りつけてくれる詩情もなく、ただ肉体の欲望だけがむきだしに表れている日焼けした顔には、何かしら獰猛で、冷たいまでに獣的なところがあった。この勇敢な競技者たちは、放蕩と闘うことには慣れていたとはいえ、衣装も白粉もかなぐりすてたこの悪徳の目覚めと、ぼろをまとい、冷たく、空疎で、精神の詭弁をなくしたこの悪の抜け殻を目にして、さすがにぞっとした。


「ぞっと」するのは彼らだけではない、読者もまた。このあとラファエルは朝食の席で自分が莫大な遺産を相続したことを知らされる。そのとき、彼に羨むような、妬むような目を向ける、やつれた、衰えた、ひからびた顔また顔を見る。彼はそこに人の顔を見ていたのではない、「死」を見ていたのだ、と著者は述べる。欲望に衝かれ、掴めばたちまち煙にように消え去る空しい快楽を追いかけて生きている憐れなうえにも憐れな彼ら――われわれ――は、みな死の舞踏を踊っている。儚い快楽を得ようと、醜さを、浅ましさを晒して踊っている。

あら皮という怪奇的な装置を用いてバルザックは人間の本性を抉りだした。その気迫に息を呑む。本作には、バルザックを愛読していたドストエフスキー(彼によるバルザックのロシア語訳もある)との共通点も多い。節約生活を送り、屋根裏部屋で観念と格闘しているラファエルにラスコーリニコフやアルカージイを見る。しかしそうした枝葉の部分より、破滅するとわかっていながら奈落へと一直線に向かっていく人間を描いた作家であるという点で両者はよく似ているように思う。



4894341700あら皮 〔欲望の哲学〕 (バルザック「人間喜劇」セレクション(全13巻・別巻二) 10)
バルザック Balzac 小倉 孝誠
藤原書店 2000-03-30

by G-Tools

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『あら皮』 バルザック epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる