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zoom RSS 『狐物語』

<<   作成日時 : 2012/03/02 00:00   >>

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黒いいたずら。

12世紀後半のフランスで成立した悪狐ルナールの物語集。ルナールと狼イザングランの諍いを中心にしながら、当時の社会がユーモラスに描かれる。ルナールは常に悪巧みを実行する機会を窺っており、イザングランをはじめ動物たちを罠にかけては楽しむ。本作は悪漢小説のはしりでもあるのだ。登場する動物たちにはみな名前が与えられており、彼らは人間とも会話ができ、どうやら服も着ているようで、さらには馬を駆ったり決闘したり裁判したりもする。

本作は異なった時期に異なった作者によって作り足されながら成立していったとされている。作者たちは古典古代の文学や武勲詩や騎士道文学(アーサー王伝説など)に精通しており『狐物語』のなかに取り入れてパロディ化している。また当時の社会への皮肉もある。この時代にこういった知識や才能をもっていたのは聖職者以外にありえないと訳者は本書中のコラムで述べている。とはいえ「彼らの多くは僧侶であっても、平気で教義を茶化し、宗門を揶揄し、時には涜神に近いことも口にするはみ出し坊主であった」ようだ。本作の成立過程についてはヤーコプ・グリムにはじまってさまざまな研究者たちが自説を展開しているが未だ解決はしていない。しかし『狐物語』がイソップの寓話や古代インド説話、中世ラテン文学とつながりがあることはほぼ間違いないようだ。初期の挿話では、まずルナールの相手役が登場しルナールが相手を騙そうとして失敗して最後にはルナールが人間や犬に追いかけられるという展開になっていて、これは現代にも残るドタバタ喜劇の典型的構造だ。こうした作品構造は『狐物語』が最古ではなくさらに遡ってラテン文学のなかにその原型を見出せるという。人がおかしく笑いかつ心地よさを感じる物語の構造は昔も今も変わりないのだろう。

本書には『狐物語』の約三分の一にあたる15話を収録する(現存する写本をもとにした校訂本が数種類あるのだがそのあたりの説明に関しては本書の解説を参照されたい)。筋といっては上述したようにルナールの悪巧みとそれに巻き込まれた動物たちのドタバタ喜劇なのだが、これがとにかく笑える。本を読んでいて声を出して笑ったのはいつ以来だろうか。訳文はテンポが軽快で、かつやや古風な文体が笑える内容と相俟って真面目な滑稽感とでもいいたい雰囲気を出している。本作にはのちのラブレーを予告するような露骨な下ネタが満載だ(スカトロジーはない)。たとえば狼イザングランがルナールに騙されて農家に閉じ込められた場面――

(略)窓がばったんと大きな音を立てて閉まりましたので、百姓は目を覚まし、寝惚け眼ながらも、がばっと跳ね起き、女房と餓鬼どもを大声で呼び起こしました。(略)飼犬がそれを素早く聞きつけ、イザングランの金玉に噛みつき、ひねったり引っ張ったり、どついたりよじったりして、ぶらんと垂れ下がっている代物をそっくり食いちぎってしまいました。それでもイザングランは百姓の尻に噛みついたまま放しません。でも、犬めが金玉に食いついて放そうとしないので、痛みがますます募るばかりでたまらず、戦闘意欲を失いそうになりました。


最後の「戦闘意欲」がいい。このあと金玉をなくしたイザングランが家に帰って眠ろうとすると何も知らない妻のエルサンが言い寄ってくる。イザングランは身をよける、何せ金玉がないのだから。
「あら、どうしたの、あなた。機嫌でも悪くしたの」。「お前、俺にどうしろと言うんだ」。「いつものあれをやってよ」。「俺、身体の調子がよくないんだ。なんだかんだ言わずに、もう眠ったらどうだ」。「これが言わずにいられるものですか。あれをやってくださらなきゃ」。「何をだい」。「あれに決ってるじゃない。女がして欲しいものよ」。(略)
こうしてエルサン夫人がしきりにせがみますので、彼は女房にくるりと背中を向けました。しかし彼女は手を伸ばして来て、彼の一物が当然あるはずのところをまさぐります。ところが、腸詰状のものがありません。「あれまあ、あなた、あれをどうしたのよ。こないだまでちゃんとここにぶらんぶらんしてたのに。ちゃんとぶら下げてなきゃだめじゃないのよ」。「実はな、お前、人に貸してあるんだ」。「誰によ」。「ヴェールを被った尼さんにだよ(略)」。


このあとエルサンは尼さんがあれの味を一度しめちゃったらもう返してくれるはずがないじゃないの、ときわどく尼僧を諷刺している。

ルナールはこのエルサンと姦通して「やりまくって」いてイザングランとルナールの諍いにはこれが大きく関わってくるのだが、それにしても12世紀の物語にコキュ(寝取られ亭主)が早くも登場していたとは知らなかった。時代は下ってラブレーにおいてもコキュになることの恥辱、恐怖は前面に出てくるが(『第三の書』)文学的にコキュの主題は何が起源になっているのだろう。『オデュッセイア』中のヘパイストスとアフロディーテの挿話だろうか。

ドタバタの構造は心地よく読め、下ネタ満載の記述は笑える。後半にはルナールとイザングランの決闘の場面があり(両者とも武装する)この戦闘は迫力ある描写になっているのが意外だが、ここは騎士道文学のパスティーシュであるらしい。また当時裁判を扱った物語が好まれていたということでルナールの悪事をめぐる裁判の場面もあり、動物たちがそれぞれ生真面目な演説をぶるのがおかしい。収録されている挿話は続きものとして読めるようになっており最後はルナールの死? で幕を閉じる。それにしてもルナールが自分より力の強い狼のイザングランを騙せば、逆にルナールを騙し返すのは烏や四十雀であり、力の弱いものが自分より力の強いものを騙すという本作の構造はとてもおもしろいものではないだろうか。

解説によるとフランス語のルナールrenartはもともと固有名詞であり「狐」という意味はなく、本来の「狐」に相当する語はグピgoupilだったのだがいつの間にかルナールが「狐」になりグピのほうは廃語になってしまう。固有名詞が普通名詞に転じるほど悪狐ルナールの物語は当時の人たちから好評を博し、その名は人口に膾炙したという。


4003750144狐物語 (岩波文庫)
鈴木 覚
岩波書店 2002-05-16

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