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zoom RSS 『東京日記 他六篇』 内田百

<<   作成日時 : 2012/03/05 00:00   >>

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不気味なもの。

内田百閧フ後期の作品を7篇収録する。日常生活を営んでいたつもりが不意に気味の悪い、怪談のような世界に足を踏み入れている。現実か幻覚か。そして得体の知れない人間が醸すほとんど狂気のような不気味さ。

本書に収録された作品中唯一戦後に書かれた「サラサーテの盤」は、語り手の家に死んだ友人の妻がやってくる。生前夫がサラサーテ自奏のツィゴイネルワイゼンのレコードを貸したままにしていたはずだから、それを返してほしいという。いわれるとたしかに借りた覚えがある。しかし家のなかを探しても見つからない。そのうち探しておきます、と語り手がいうとあっさり帰っていく。何日かして見つかったので用事のついでに届けてやろうと死んだ友人の家に行く語り手。訪ねた先には庭があって睡蓮が咲いていて、きれいだなと言うと、夫が丹精したのだが死んでから咲きましたと女が応える。借物を返し、出されたビールを飲んでいると女は蓄音機にレコードを掛ける。流れてきた演奏の合間で不意に彼女は妙なことを口走る。

不穏さは冒頭からあった。幻聴めいた気配が漂い、語り手の顔を見た妻は「まっさおな顔をして、どうしたのです」と訊く。友人の妻は暗くなってから訪ねてき、子どもを外で待たせている。入れてやろうとしてもいやだと拒む。サラサーテのレコードをめぐってやりとりがあったあとで死んだ友人の一生が述べられ、いまの妻とは再婚だと読者に知らされる。陰気さを保ったまま小説は展開し、最後に女の口から狂ったような言葉が洩れる。20頁程度の分量に日常に潜む狂気のようなものが凝縮されてある。

こうした怖さは「青炎抄」中の「桑屋敷」にも見られる。桑畑の隅にある家に狂人の兄と二人で暮らしている「女先生」についての異様な思い出が断片的に述べられるこの短篇は彼女の自殺で終わる。その自殺も普通な死にかたではない。泣き続ける生徒を無視して自分のした滑稽話に笑い続ける「女先生」にも狂気は認められるので彼女の言動を読んでいくうち気がつくと息を詰めている。

随筆に見られるユーモアをこの作家の本領と思っていると――まさに管理人がそうだったのだが――小説に漲る緊張感を意外に感じる。まるで別人ではないか。何を怖いと感じるかは何をおかしいと思うかと同様に個人の傾向の問題であるだろうが、「白猫」といい「青炎抄」といい「サラサーテの盤」といい、こんなに怖い――気味の悪い――小説はあまり読んだ記憶がない。「恨めしや」と出てくる血まみれで髪の長い女の幽霊などより(典型的な幽霊をイメージしている)生きている人間の、それも意思の疎通がはかれない狂気に憑かれた人間のほうがどれほど怖ろしいかしれない。

一方で「長春香」や「柳檢校の小閑」のような情のある作品も収録されている。ドイツ語を教えていた娘さんが関東大震災で亡くなり、語り手が彼女を探して、焼死体のごろごろ転がる焼野原と化した本所石原町を歩きまわる「長春香」の淡々とした筆致に漂う哀切は、昨年の震災と重ね合わせて今読むとなおのこと強い印象を残す。師・夏目漱石の「文鳥」にも通じる趣があるが位牌を闇鍋に入れるというのは常軌を逸した奇行だ。盲目の老音楽家の淡い恋心を一人称で述べる「柳檢校の小閑」はそのほのかな想いが微笑ましく、けれどもそれ以上に盲人の感覚世界を精妙に描きだしているのに感嘆した。周囲の音や気配を盲目であったらこう感じるのかもしれないと思わされる。

ほかに「東京日記」「南山寿」を収録。


4003112725東京日記 他六篇 (岩波文庫)
内田 百けん
岩波書店 1992-07-16

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