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zoom RSS 『弓と竪琴』 オクタビオ・パス

<<   作成日時 : 2012/03/12 00:00   >>

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詩論。

メキシコ出身の詩人がポエジーについて考察する。ポエジーは詩にのみあるのではない、と著者は述べる。ポエジーは絵画や音楽や舞踊にもあるのだと。そのポエジーとは「認識、救済、力、放棄」であり、「ポエジーはこの世界を啓示し、さらにもうひとつの世界を創造する」。人間は彼であると同時に他者を身内に抱えている。そのことの発見と啓示による認識によって彼は内なる他者と合一し、本源的な状態である彼自身に回帰する。かつて宗教がその役割(分裂した自己の結合)を果たしてきたが、近代以降の社会では言語の二重性(それは人間の二重性――自己と他者――と重なる)を超えて導く詩人によってなされるだろう。著者はノヴァーリスの言葉を引用する。「宗教とは実践的な詩に他ならない」、「詩は人類の本源的宗教である」。

こうした詩人の企ては革命家のそれと一致する(「世界を変えうる作用としての詩的行為は、本質的に革命的なものであり、また、精神的運動なるがゆえに内的解放の一方法でもある」)。詩人の使命とは「聖職者と哲学者によってゆがめられた、ことばの原型を回復すること」であり、また「神と教主に「ノー」と言い、人間に「イエス」と言う運動の声となること」である。詩によって自己と他者の分裂を認識した人間はこれを超越しようと試みる。詩を生きようとする。それは彼自身が詩になることでもある。ポエジーは自己と他者に分離した人間を結合し、自身でありながら他者に、世界になろうとする願望の成就へと彼を導いていく。

難解な書物であってとてもパスの詩論を理解したとは思えないけれども、おそらくは以上のようなことを述べているのだと思う、たぶん。ポエジーの探求についてパスが本書で言及する文化圏は西洋に留まらない。ソフォクレスやカルデロンと並んでウパニシャッドや荘子や芭蕉が登場する(パスは『奥の細道』をスペイン語に翻訳している)。ドイツ・ロマン主義やシュルレアリスムと東洋思想が同時に登場する詩論であり、圧倒される「綜合」の書物だ。それを可能としたのは1914年にメキシコシティに生まれ、その後スペイン、アメリカ、フランス、スイス、インド、日本に赴いた経験だろう。とくにインド大使として赴任して彼の地の東洋哲学、タントラ美術、古代インド神話を研究した結果、本書は西洋を脱してより普遍的な内容になっているのではないか。これゆえに日本人が――しかも翻訳で――読んで意味があるのかと疑問に思うような詩論になっていない。

パスの根幹にはメキシコ人であること――さらには人間であること――の孤独の問題がある(彼は『孤独の迷宮』と題したメキシコ論を著している)。孤独とは他者と断絶された状態であり、断絶されているからこそ彼は他者を求める。断絶と合一への希求、二つの面をもつ孤独に囚われた存在。それがパスにとっての人間だ。詩論である本書が最後には生きるための哲学書のように変化していくのは詩語の孕む二重性――語とイメージ――が人間の抱える二重性と重なるからだろう。訳者は巻末で述べている、
(略)オクタビオ・パスにとって人間とは、孤独でありながら、連帯あるいは共生の力を秘めた、そして自己でありながら同時に<他者>でもある、すぐれて弁証法的な存在である。そしてこのような人間の本質を照らし出すのが、他ならぬ詩語による詩的体験であった。それはAという現実のひとつの契機と、Bという現実のもうひとつの契機を、AとBそれぞれの独自性を保ちつつ、A=Bと結びつけることによって、新しい現実、つまりイメージを発生させる詩語が、人間の本質と相通じているからである。


パスは詩的体験を詩語によるそれと並べて「愛」と「聖なるもの(宗教的な)」を挙げている。そのどちらもが体験者に内なる他者の知覚をもたらすだろう。詩が生のすぐ近くに引き寄せられる。そして最後には生とは詩を生きることだと述べられる。エピローグとして置かれた「回転する記号」の章は――上述したが――生きるための論考、それも生きることに前向きにさせてくれる論考が述べられ読むと元気が出てくる。とはいえこの感動的な章を味わうには難解なそれまでを読まなければならず、本書のエピローグはまるで恵み、読書の恵みのようだ。「われわれのすでに始められた詩は、存在である」とハイデガーの言葉を引用したあとでパスは述べる。
人間は未完のものである。もっとも、その未完性において完全でありうるが。それゆえ人間は詩を、イメージを作り、その中で、決して十全には成就されることはないが、自分自身を完全に表現しようとするのである。彼自身が詩である――彼は常に、完全な存在となる継続的な可能性の中に置かれた存在であり、そうすることによって、自らの未完性の中で自らを成就しているのである。


本書は詩論であると同時に元気が出てくる哲学書でもあり、詩集でもある(詩集『鷲か太陽か?』よりも詩的な美しさがあると管理人は思う)。ポエジーについて述べるパスの美しいパラグラフがいくつもある、同時に詩であるがゆえの難解さもある。松浦寿輝氏が巻末で述べているとおり(この解説は全体として辛辣な内容だが)、読めば「健康的」な功徳が得られるだろう書物だ。健康的、大いに結構ではないか。


4003279719弓と竪琴 (岩波文庫)
オクタビオ・パス 牛島 信明
岩波書店 2011-01-15

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