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zoom RSS 『ドストエフスキー伝』 アンリ・トロワイヤ

<<   作成日時 : 2012/05/01 00:00   >>

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フョードル・ミハイロヴィチの波瀾の生涯。

盗人、殺人者、聖職者、司法官――。起源を16世紀に遡るドストエフスキー家の歴史は、1821年に生まれる作家の作品世界を予告するような善と悪の混沌の歴史だった。モスクワ慈善病院に勤務する医師の家に次男として生まれたドストエフスキーは、横暴な父親に複雑な愛憎の感情を抱きながら育つ、内向的な性格ではあったが、怒りっぽい、わんぱくな、ときにずるいような一面をもつ少年として。庭に隣接した病院に入院中のみすぼらしい身なりの患者たちに恐怖よりも関心を寄せ、父の領地の農民たちに惹かれる。粗野で純朴なロシアの農民への情愛と信頼は終生彼の脳裡から去ることはなかった。母親の病死、ペテルブルグの陸軍工兵学校への入学、文学への傾倒、そして農奴たちによる父親の殺害。この知らせを受けたとき、衝撃のあまりドストエフスキーは癲癇の発作を起こす。生涯にわたって彼を苦しめる持病の、これが最初の発作だった。仕送りが足りず、もう少し欲しいと父親に手紙を送っても、吝嗇な父親はまともに取り合わず、金の不足から息子は父親に恨みを向けていた。この感情が父親の殺害と暗合をもっているような恐怖はのちに罪の意識に転じる(この問題は『カラマーゾフの兄弟』で扱われるだろう――殺される父親には作家と同じ名前が与えられて)。

勤めに就くも文学への憧れは募るばかりで、背水の陣を敷く心で退職して『貧しき人びと』を書き上げる。当時の文壇の大御所ベリンスキーは原稿を読んで感動し、「いずれ君は偉大な作家になるだろう」と青年ドストエフスキーを祝福する。一夜にして文壇の寵児となるも、気難しい性格が災いしてサロンでうまく振舞えずにトゥルゲーネフらに嘲笑され、その後発表する作品も好評を得られない。気晴らしのつもりで訪れた政治サークルは他愛ない集まりであったのに当局の目にふれ、秘密組織の革命分子として逮捕後に死刑を宣告され、あわや銃殺というところで皇帝の「恩赦」によって一命をとりとめ、シベリア流刑となる。監獄で初めて下層の人々と近く暮らし、彼らと自身とのあいだに埋めることのできない溝があるのを肌で感じる。出獄後は兵卒としてセミパランチスク要塞に勤務、ここで知り合った人妻と恋に落ち、彼女の夫の死後、結婚する。ドストエフスキーのほうは情熱を抱いていたが、妻となるマリヤは飲んだくれの夫から逃れたい気持が強かったのであり、ドストエフスキーより若い神学生のほうを思っていた。10年ぶりにペテルブルグに帰還すると世間はドストエフスキーのことなどすでに忘れていた。40歳に近くなっていたが、もう一度ゼロからやり直すつもりでペンを執る。監獄での体験をもとにした『死の家の記録』、メロドラマ仕立ての長篇『虐げられた人びと』の発表、病床に就いた妻の枕元で中篇『地下室の手記』を執筆する。借金がかさみ、その返済のための締め切りに追われる暮らしが続く。妻と兄を続けて亡くし、兄の事業の借金と彼の家族の生活を背負いこみ、女学生に熱を上げ、借金取りから逃げるようにして向かった外国では賭博に夢中になって金を失い続ける。負けがこめばこむほどいよいよ賭博にのめりこむ。凡人であれば悲観するしかないような境遇にありながら創作欲は衰えず、『罪と罰』を書き上げ大きな反響を呼ぶ。

悪質な出版業者との契約のために書くことになる『賭博者』を通じて二番目の妻、26歳年下のアンナと出会い、この結婚がドストエフスキーに幸いする。アンナは秘書的な天分をもっており、ドストエフスキーの乱れた生活を立て直し、借金取りを追い払い、出版社との金銭の交渉も担当する。妻の指輪までも質に入れてルーレットにのめりこんでいたのが、ある夜、金をすって救いを求める心でキリスト教会に入ったつもりがユダヤ教会に入ってしまい、強い衝撃を受け、以後きっぱりと賭博から離れる。『白痴』、『悪霊』、『未成年』と長篇を発表するにつれ作家としての名声が高まっていく。雑誌『作家の日記』を刊行して国粋主義的な思想を展開し、自身の仕事の集大成として『カラマーゾフの兄弟』を発表。プーシキンの記念式典でこのロシアを代表する詩人への熱烈な愛情溢れるスピーチをすると聴衆は大感激し会場は歓喜の渦となる(不仲だったトゥルゲーネフさえ彼を抱擁した)。こうしてドストエフスキーは同時代のトゥルゲーネフやトルストイと並ぶ、あるいはそれ以上に偉大な作家としての名声を博す。肺気腫を患っていた彼はそれから間もなく自宅で喀血して昏倒し、逝去する。葬列は3万人の人々に見送られた。

トロワイヤによるこの評伝はドストエフスキーの人と作品の優れた点を認めながら、また欠点(あるいは限界)も指摘する、冷静なもの。生涯と並んで作品の解説も述べられていて、トロワイヤによるドストエフスキー論としても読め、作品論がアクセントとなって読者を飽きさせない。こうして生涯と作品を並べることで、この作家が作品のなかに自伝的な要素をたびたび書き込んでいたのだと知れる。ドストエフスキーの小説を読んできて、この作家の生涯について少しは知っているつもりだったが、こうして誕生から死までを通して読んでみると、その生涯がいかに波瀾に満ちていたか、苦難が多かったか、そうした逆境にあってもしぶとい生命力で生きのびようとしていたか(自身は「猫の活力」と呼んだ)、ただただ感嘆するしかない。書きたいことはいくらでもある、と手紙にたびたび書かれていて、その情熱というか執念というか、「文学の吹き出物」と揶揄されたこともあったが、こんなにも書くことに憑かれた人だったのかと今さらながら発見する。同時代のほかの作家より原稿料が安いことを気に病み愚痴り、借金を返済するために締め切りに追われながら馬車馬のように書き、その作品が世界文学の名作として後世まで残り、現在も多くの、新しい読者を獲得し続けている。ドストエフスキーがいてくれてよかった、と思っている読者は多いだろうし、管理人もその一人だ。ロシア人でなく、キリスト教徒でもなく、21世紀を生きる人間であっても(管理人は自身を20世紀の人間とどうしても思ってしまうのだが)『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』に感動できるのは、ドストエフスキーの描いた世界が国境や時代を超える普遍的な――ある意味、幻想的な――ものだからだろう。トロワイヤはユーモラスにこう述べている。

ドストエフスキー文学の小説の主人公たちは、とどのつまり本質的なロシア気質といえるものであり、そのアヴァンチュールたるや、ロシア以外の国では受け入れられない、といった早計な判断をする者もいたようだが、これはとんでもない見当ちがいもいいところだ。それからまた十九世紀のロシアが、ヒステリーや癲癇持ち、肺病病みであふれていたなどといった、誤った考えはもってもらいたくない。第一、ロシア国民にしても、ドストエフスキーの小説のなかに描かれているのが、自分たちだとは思ってもいないのだから。それどころか読者も批評家も異口同音にこう評している。「こんな人物は、わが国ではみかけられない」と。

彼の普遍性を支えていたのは知性ではなく心だった、とも述べている。

日本語で読めるドストエフスキーの評伝がどれくらいあるのか知らないが、小説家でもあるトロワイヤによる本書は楽しく、読みやすい評伝の部類に入るのではないだろうか。これまでに少ないとはいえ小説を読んできて、けれどもそのうち生涯まで知りたいと思えた作家はそれほどいなくて、だから伝記を読みたいと思う程度には関心をもてる作家がいるのなら彼の作品を何度も読むようにするほうが、無縁の作家のものを一度読んで読んだつもりなるよりもはるかに実り多い読書ができるのではないか――ことに楽しみの読書としては――と最近は思っている。


4122015758ドストエフスキー伝 (中公文庫)
アンリ トロワイヤ 村上 香住子
中央公論社 1988-12

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