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zoom RSS 『ジェルミナール』 エミール・ゾラ

<<   作成日時 : 2012/05/03 00:00   >>

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貧しき人々。

不況の嵐が吹き荒れる1880年代、フランス北部の炭鉱町モンスーに仕事を求めてエチエンヌ・ランチエ青年がやって来る。空いたポストに入るかたちで彼は雇用され、生まれて初めて地中に深く潜る。採炭は過酷な労働だった。ランプがなければ真っ暗な、湿気でじめじめする狭い空間で、不自由な姿勢のまま長時間肉体を酷使しなくてはいけない。危険な仕事でもある。落盤、浸水、酸素の不足、地中のガスによる爆発。命がけで働き、しかしその代価として支払われる給金はあまりに安い。エチエンヌは炭鉱の古株マユと知り合い彼の家に下宿するが、大所帯一家は狭い家に押し込まれるようにして暮らしている。炭鉱に長く勤めた父親は身体の奥まで炭が入っているといってことあるごとに黒い痰を吐き、マユの妻は稼ぎ以上に口が多い厳しい暮らしを嘆く。義父と夫のほかに上の子二人――長男のザカリと長女のカトリーヌ――も炭鉱で働いているのだが生活費は足りない。悲惨な暮らし、しかしマユの家に限った話ではない。炭鉱労働者の大半が似た暮らしを送っている。もともと厳しい状況だったのが折からの不況でさらに悪化し、会社は賃金の引き下げを労働者たちに通達する。エチエンヌは自分たちを搾取する資本家には従えないとしてストライキを呼びかける。長く不満を溜めていた労働者たちは彼のもとに集まる。けれども会社側は譲歩せず、ストライキは長引き、ためにますます貧乏はひどくなり、飢えに苦しむ労働者たちの心は荒んでいき、事態はエチエンヌの思惑を裏切る展開を見せはじめる。

ゾラは、ある家系と第二帝政時代(1852年〜1870年)の二つの歴史を同時に描く小説群を『ルーゴン・マッカール叢書』として書き継いだ。当時のフランスのさまざまな階層を、さまざまな生活圏を描くこの試みはバルザックの『人間喜劇』の先例に倣っているが、ゾラ独自の方法として人間を「遺伝」と「環境」の二要素で規定し、本作ではエチエンヌが身内に潜む暴力性に脅える描写が――それが小説の重要な鍵とはなっていないものの――幾度か見られる。彼が置かれた貧しい炭鉱労働の世界は、彼の意識を社会変革へと向けさせる。フランスでは1860年代から炭鉱労働者たちによるストライキ等の抗議運動があり、ゾラはそれらの資料を集め、また現地に赴くなどしたのち執筆を開始する。小説のはじめのうちは炭鉱現場での労働の描写がよくわからず読み進められるかと不安になったが、登場人物たちの極貧の暮らしぶりが明瞭になり、彼らがそのために人生に自棄になるのを読んでいくうちに、怖ろしいものを見たいような、同時に同情を寄せるような心になった。

いや、たしかに、こんな暮らしはおもしろくない。昔は徒刑囚が罰としてやった仕事で、まるでけだものみたいに働き、自然に順番がきてというよりずっと多く仕事でくたばっているんだ、だのにさ、夕方の食卓には肉が出さえしねえ。(略)日曜がくると、くたくたに疲れて眠る。楽しみといえば、酔っ払うか、女房に子供をこさえるかだけだ。


この不幸な呪わしい生活はまだ終わらないのか? 亭主に平手打ちをくらって追いだされ、あたし同様死にかけている父親に一杯のスープを求めることもままならず、迷子の犬みたいに泥道に行きくれるなんて、もう我慢できない。けっしてよくなることはないのだ、それどころか物心がついて以来、悪くなる一方だった。


炭鉱労働の実態。前述したがそこでは男も女も、いや少年少女たちも肉体を酷使し、炭と泥で真っ黒になって働いている。働くのに邪魔だとして女たちはときに下着姿になり、それを男たちが卑猥な言葉でからかう。こうした環境にいる人たちにモラルを求めるのは難しいだろう。男たちは少ない金を割いて酒を飲み、家に帰れば妻を殴る。狭い家のなかに母親が小さい子どもたちを怒鳴る声、ひっぱたく音が響く。小さいころから親たちのしていることを見ている少年たちは、年頃になると情欲に駆られて廃坑へ少女を連れ込み――彼女たちとて何をするのかは家で見て知っている――性交する。夏になるとその場所はまぐわう男女でいっぱいになる。やがて娘が子を孕むと男は彼女と結婚し、酒を飲んだりよその女を抱いたり妻を殴って年をとっていく。貧困は解決せず、親から子へ、さらに孫へと継がれていく。こうした悲惨な状況を変えるためにエチエンヌは立ち上がったのだ。はじめは無知だった彼が労働者の権利に目覚めて学んでいくうちに、純粋な動機がやがてぼんやりとした権力欲に傾いていく過程が興味深い。エチエンヌの演説を聞いて人々は喝采する、不当な賃金引下げにはストライキで応じる、しかしそれが長引くと彼らはだんだん抑制が効かなくなり、ついには暴徒と化してしまう。エチエンヌには彼らを制御できない。労働者たちは軍隊と衝突、流血の惨事となったのち鎮圧される。彼らは会社に屈し、ストライキに失敗した恨み怒りはやり場を求めて指導者であるエチエンヌへ向けられる。彼は落胆する。理想は挫けた。そのうえ愛するカトリーヌも失ってしまう。

偏狭なイデオロギーに貫かれた小説かというと断じて違って、労働者と対立するブルジョワたちもしっかりと造形され、彼らには彼らの苦しみがあることが述べられる。炭鉱の支配人エンヌボーの惨めなコキュぶり、満たされない情欲への憧憬は胸を打つ(不倫のベッドを殴りつける場面がいい)。人にはみなそれぞれ苦しみがある、食べるパンがないのに苦しむか、同居する甥と姦通する妻に苦しむか、人は他人の境遇を羨望して生きている。隣の芝はいつだって青くみえるのだ。エチエンヌの情熱に対しては、革命がなったところで新しいシステムのなかでまた人は人を食いものにするだけではないのか、という指摘がされるだろう。けれどもそう悲観しなくてもいいのかもしれない。ブルジョワ側の人間であり、エチエンヌと対立して彼を嫌っていた技師ネグレルが、物語の終盤、落盤事故で炭鉱に閉じ込められたエチエンヌを必死になって救出したのちこの二人が抱き合う場面を読むと、人間を、その善性を、無条件に信頼したいような気持になる。

ストライキの失敗と落盤事故。すべてを失ったエチエンヌが炭鉱をあとにしてパリへ向かうところで小説は終わる。すべてを失った? いや、まだ希望が残っている。労働者たちは資本家に敗北したが、そしてストライキは労働環境の改善に役立たずそれによって失くしたもののほうが多かったのだが、それでもエチエンヌは諦めていない、絶望していない。希望は芽生え、いつか社会変革の理想は実現する――小説はその予感を残して力強く終わる。骨太な社会小説として読むのもいいだろうが悲痛な恋愛小説として読んでも大きな満足を得られるだろう。終盤は途中で読むのを止せない。読了後、とても充実した気分になった。


4122021146ジェルミナール〈上〉 (中公文庫)
エミール ゾラ 河内 清
中央公論社 1994-07

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4122021154ジェルミナール〈下〉 (中公文庫)
エミール ゾラ 河内 清
中央公論社 1994-07

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