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zoom RSS 『ホーソーン短篇小説集』 坂下昇編訳

<<   作成日時 : 2012/05/04 00:00   >>

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深層の魔。

ナサニエル・ホーソーンは1804年に、マサチューセッツ州セーラムに生まれた。17世紀末、多くの犠牲者を出した魔女裁判が行われた土地であり、先代のジョンはこの裁判の判事を務めている。厳格で潔癖なピューリタンによるこの事件は、作家の母方の先祖が犯した近親相姦事件とともに作品に影を落としている。弟と交わる罪を犯した二人の姉は、胸にI(インセスト)を書いたビラを貼られて鞭打ちの晒し者にされたという(下の姉は妊娠していた)。本書に収録されている13篇の多くに、宗教的な罪の意識と抑圧されたエロスがちらつく。血と地の記憶がおぞましくも美しい夢となって紡がれる。

そのホーソーン文学の特徴がもっとも顕著なのが「ヤング・グッドマン・ブラウン」だろう。若い農夫グッドマン・ブラウンと新妻フェイス(信仰の意)が別れの接吻を交わす場面から小説ははじまる。美しい妻は夫の耳元に唇を寄せると悲しげに囁く、お願いだから今夜は出かけないで。わたしのそばにいて。冒頭からエロチックな情緒を醸すこの短篇は魔女の集い(黒ミサ)を扱う。グッドマン・ブラウンは夜の森へ入り、老いた農夫と道連れになって深くへ踏み込んでいく。引き返そうとしながらも決心はつかず、そうするうちに彼の視界を町の人々が次々に通り過ぎていく。そのなかには司祭の姿もあった。それを見てグッドマン・ブラウンは衝撃を受けるが、彼は自身を奮い立たせる。「上には天の摂理があり、下には信仰(フェイス)がある限り、俺は断固として悪魔に抵抗してみせるぞ」。森の奥深く、黒ミサの場に着いたとき、多くの人たちと一緒に妻もそこにいた。フェイスさえも。ではこの地上は「悪のみ」であり、善などありはしないのだろうか。
この短篇には清らかなエロスや、魔に魅入られる恐怖や、罪悪感などが凝縮されてある。悪夢的なイメージが展開したあと、後日談めいたかたちでこの夜以降別人のようになってしまった農夫の生涯が簡略に報告される。寓意が強く難解だが、信仰心喪失の物語だろうか。憑かれた人の狂気の物語とも読める。異常であったのは彼らではなくはじめから彼一人であったと。

その寓意もまたホーソーン文学の特徴であるだろう。「牧師の黒のベール」では、温厚な牧師がある日から突然顔を黒のベールで覆って素顔を隠し、生涯それを払わず死の瞬間まで通したという物語であり、常軌を逸したようなこの不気味な物語を読み解くには黒のベールが何であるかを各読者が考えねばならないだろう。これは読み終えて不快な気分になった。
「大いなる岩の顔」や「デーヴィッド・スワン」は幻想的な昔話のようでいい。とくに後者は本書中でもっとも好く。若者が草原の木陰で眠っていると富裕な老夫婦が彼を見つけて起こそうとするが去り、次に美しい娘が彼を見つけて起こそうとするが去り、最後に悪漢二人が彼を殺そうとするが去り、こうして「富」と「愛」と「死」がすぐそばまで迫ったのに当の本人は眠り続け、何も知らずに目を覚ますと通りがかった馬車に乗って出かけていく――しかも彼が眠っていたのはたった一時間だった――という筋で、人生の不可思議を、ままならないことを示して哀切を誘う。

本書の白眉を選ぶなら「ウェークフィールド」になる。ある日、用事で出かけるといって男は妻を家に残し、それから20年間戻らなかったが、あるときふらっと帰ってきてまた以前のように二人で暮らす、というだけの物語。20年のあいだ彼ウェークフィールドが何をしていたかというと、別人に変装して隣町で暮らしていた。ときどきそっと妻の様子を覗きに帰ってくる。一度は帰宅しかけたのだが、自宅の扉を開くところで悪いことをしたかのように慌てて逃げ出している。ボルヘスはこの短篇をカフカの先駆として絶賛している。訳者は、カフカならば彼を帰宅させなかっただろうと書いている。管理人も同感だ、そうしてカフカならばホーソーンが――翻訳にして――20頁弱費やしたところをその半分以下で済ませただろう。ホーソーンは少し書きすぎ(説明しすぎ)ている。そのせいでせっかくの不穏な筋の凄みが失われてしまっているのが惜しい。ウェークフィールドにとっては20年も1日と違わないとしたら、などと書くのは明らかに余計だ。これをもっと曖昧に書いていたら、読んだ人間の頭がおかしくなるような傑作になったのではないかと思うと悔しい(ホーソーンに怪奇を書く気がなかったとしても)。出勤の途中で、ウェークフィールドのように前触れもなく失踪して今も行方不明の勤め人がバブル期にいたという話を聞いたことがあるが――真偽は措くとして――、こういう「魔」が差した人の話は深淵を覗き込むような、心を不安にさせるものを孕んではいないだろうか。

初めてホーソーンを読んだのだが、これまでに読んだ作家のうちで高いところに位置づけたい一人になった。ピューリタン的な潔癖が裏返って生じたエロスが、美しい悪夢の底でかすかに匂うような作風はとてもいい。寓意がもう少し理解できればもっと好むだろう。翻訳は回りくどく錯綜するような文体と独特の訳語によってかなり読みにくく感じたが、これは「清純で繊細なホーソーンの文章」の反映なのか。訳者のメモのようになってしまって意味が掴みにくい訳注といい、正直なところ愛着がもてない1冊なのだが、苛々しながらも全篇どうしても読まずにいられなかった。もう少し平明でいい気がする。

ホーソーンは「ホーソーン氏は頭が変になったので執筆を中止する」と新聞に載せて最後の作品を中断する。彼の死後20年経ってからメルヴィルはホーソーンの息子を訪ねて、「君のお父さんにはこれまで暴露されたことのない秘密があったよ」と話したが、その意味は謎だという。


4003230434ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)
ホーソーン 坂下 昇
岩波書店 1993-07-16

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