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zoom RSS 『ウルフの部屋』 宮田恭子

<<   作成日時 : 2012/11/21 00:00   >>

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病いの代償。

ヴァージニア・ウルフに縁深い三つの土地――少女期の夏を過ごしたセント・アイヴズ、作家として自立しつつあった時期に訪れたチャールストン、夫レナードの庇護のもと暮らしたロドメル――を軸に、その土地で過ごした時期にウルフに重大な影響を与えた人々との関係を絡めて三章に分け、彼女の文学と人に迫る。

ウルフは――このころはヴァージニア・スティーヴンだったが――早くに母を亡くしている。絶世の美女といわれた母ジュリアは、ともに子を連れた再婚者同士としてレズリー・スティーヴンと結ばれる。レズリーを愛してはいたが、若くして死別した前夫と「黄金の歳月」を過ごしていたジュリアは、悲しみを濃く漂わせるようにしてその後の人生を生きた。心の空隙を埋めようとしたのか、過剰なまでに奉仕的になり、身内に不調者が出ると、わが子らを放ってでも必ず赴き看護した――恵まれた容貌を著しく損なうまでに熱意をこめて(彼女はのちに看護の手引きを執筆するほどこの行為に習熟する)。看護者として、自らを痛めつけるように過酷に生きたジュリアは、ウルフが13歳のとき、娘が、母と接触する機会を殆どもたないうちに亡くなる。レズリーは自制心を失って妻の死を嘆き、喪の憂愁に包まれた家庭で、少女だったウルフは精神の不調に陥る。著者は、母親の早すぎる死がウルフに愛の欠乏を感じさせ、その満たされない思いから、彼女はその後ずっと母性を希求することになった、と述べている。異性との接触には極めて消極的だったウルフが「生涯愛しまた愛を求めた女性は複数に及ぶ」。母の死は彼女の感情生活に影を落とし、病いを誘発した。ウルフの一生はそのまま病歴であるだろう。彼女が少女期から苛まれ続けた「母の喪失」という精神的圧迫から自己を解放できるようになるのには長い年月が要った――40代になって『灯台へ』を書くまで。亡き母親のおぼろげな記憶を想像によって補いながら作品に昇華することで、喪失感をようやく拭えた。晩年の回想記で彼女はこう述懐している。
四〇代になるまで――『燈台へ』をいつ書いたか見れば日日をはっきりさせることも出来るのだが、気楽に書いているのであえてその労は取らない――母の存在が私につきまとった。

愛した母を「つきまとった」といっている。書くことが、母親の呪縛から逃れる唯一の手段だった。自分を恐れさせるものを捉えて文字にすることで彼女は狂気を――ひとまずは――乗り越えた。

ウルフと仲がよく、優れた画家として尊敬していた姉のヴァネッサ・ベルは、チャールストン・ハウスで(夫に半ば公認されて)愛人と一緒に暮らしていた。彼らブルームズベリー・グループの人間関係は複雑怪奇で、異性または同性が結ばれては離れしながら、微妙なバランスを保って成り立っていた。やがてヴァネッサは愛人グラントとのあいだに女の子をもうける。夫婦と愛人の男は協議して、生まれた子アンジェリカを不義の子ではなく夫婦の子と偽って育てる。アンジェリカは成長してから真実を知って衝撃を受け、両親をひどく怨んだ。彼女は若くして困難が予想されるような結婚に飛び込んだのち家庭を破綻させてしまうのだが、彼女の、母と二人の父への怨恨感情に支配されたような結婚生活から、知的に洗練され、自由人を標榜していたブルームズベリー・グループの、奔放で欺瞞的な別の一面が窺える。
ヴァネッサはロジャー・フライと一時期恋愛関係にあったが、やがて解消する。フライは1910年末、セザンヌをイギリスに紹介した「後期印象派展」の企画者だ。彼はセザンヌの真価を見抜き、その偉大さは「色彩のヴェールの背後に潜む堅固なるもの」を捉え、先鋭的なフォルムとして描くところにある、と評した。このセザンヌ論はウルフに(姉ヴァネッサにも)強い影響を与え、彼女は目に見える現実の深奥にあるヴィジョンを捕捉することを意識するようになる。生来、現実の背後の真相を捉える直観力、想像力に恵まれ、幼いころから幾度もの幻覚を体験している彼女は、かねてより無意識に、不安定から守ってくれるような確固たる実在を希求しており、フライのセザンヌ論は半ば必然的にウルフの創作手法となっていった。うつろいはかなく消えてゆく相を「ダイヤモンドの恒久性」でもって作品に固着させようとするウルフの格闘がはじまる。「堅固な物体」のような短篇が書かれていく。

そしてロドメル、マンクス・ハウス(修道僧の家)。夫レナードとこの家を購入した際、ウルフはここを終の棲家とするつもりでいた。本書の表紙写真、マンクス・ハウスの庭に、互いに支え合うようにして立っている二本の楡の木――いまはもうない――を、ウルフは自分たち夫婦の頭文字をとってL&Vと名づけ、死んだらその下に埋めてほしいと望んだ。
レナードは厳格さでもって妻をよく支えた。彼女の健康に配慮し、幾度か起きた発作や自殺未遂事件にも寄せる愛情は揺らがなかった――ナイジェル・ニコルソンによると、二人のあいだに殆ど性関係はなかったにも関わらず。ウルフは病いの人というイメージを抱いていたが、レナードは妻の体調について、一年のうち350日は健康に過ごしていると述べ、作家エリザベス・ボウエンは、ウルフを「笑いと動きの人」として回想している。ボウエンはウルフの死後まで彼女の精神病を知らなかったという。周囲の人々はウルフが病気を抱えていることは察していたものの、彼女が人生の大半の時間をいわゆる正常な状態で過ごしていたということは、イメージを覆す事実として知ってよかった。
おそらくウルフの精神病は遺伝的な器質(係累に精神疾患の人が複数いる)が環境因(異父兄による性的虐待? や母の早すぎる死)と絡まりあった末に生じたのだろう。しかしまた、この病いがウルフの創作に必須だったのも事実で、彼女は病いを霊感として利用しながら執筆し続けるというジレンマを生きた作家だった。『ダロウェイ夫人』も『灯台へ』も『波』も、そうした苦闘の末に勝ち取られた成果だった。著者は述べる。
自分の心を支配できない状態――抑鬱も、狂気の前段階も、狂気自体も――は、自ら選び招き寄せることが出来ないのはもちろんだが、ウルフにとってそれは、創造の――受身的――戦略となっていたのである。

ウルフ文学は「狂気の代償」として得られた文学だった。

ウルフと病いの関係が本書全体を貫く主題だ。病気は、ウルフを論じるうえで避けられない問題だろう。たとえば短篇「ラピンとラピノヴァ」(ちくま文庫『ヴァージニア・ウルフ短篇集』所収)で示されるような、乱れがわずかにでも生じれば全体が音を立てて崩壊してしまいそうな繊細さと張り詰めた緊張感は、作家の極度に研ぎ澄まされた精神を証する。その鋭敏な感覚は病いと密接に繋がっていた。ヴィジョンを捉える目はときに幻覚を引き起こした。彼女の病いを創作の源泉と見抜き、根治ではなく共生を志向するようなレナードの看護について述べられる3章は、妻の才能に惚れ込んだ夫の複雑な胸中が推し量れてやるせない。レナードが、ウルフを病気から本気で守ろうとしたのなら、彼は妻に書くことを禁じただろう。執筆時の極度の緊張と集中、そして刊行後の批評を気に病む弱さ――彼女は賛辞よりも批判のほうを強く気にした――が彼女の病気を昂進させたのだから。しかし彼は、発作が起きたとき以外は妻に書くことを禁じなかった。書くことが妻にとってどれほど重要事であるか――おそらく命と等しく重要だった――を理解していたから。妻を愛し、自身の学問的野心よりも彼女の健康を優先する人生を生きたレナード。しかし、それほどの夫の想いを越えて、ウルフは1941年、入水自殺を遂げてしまう。「あなたはわたしに完全な幸福を与えてくれました」――彼宛ての遺書に、そう記して。


4622045494ウルフの部屋
宮田 恭子
みすず書房 1992-02

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エッセイ「病むことについて」で、ウルフは病者こそがすぐれた観察者であると述べている。彼女自身についての解説と読める。
4622048353病むことについて (大人の本棚)
ヴァージニア ウルフ Virginia Woolf
みすず書房 2002-12

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