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zoom RSS 『喜ばしき知恵』 フリードリヒ・ニーチェ

<<   作成日時 : 2012/12/01 00:00   >>

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着飾れ、踊れ、笑え。

1869年、ニーチェは24歳の若さでバーゼル大学の教授(古典文献学)となるも、10年後の1879年、健康の悪化を理由に退職する。本人によると頭痛・嘔吐をはじめとする身体の病気はあくまで二次的なものであり、真の病いはバーゼル大学教授職に就いたという「失策」による「自己喪失」だった。本然とは異なる職に就いて「異常な力のまったく無意味な濫用」をしてしまい、「埃まみれの知識のがらくた」によって自分が駄目になったことが病根であったと。大学退職後は季節ごとに南スイス、北イタリア、南フランスなどに移り住む療養生活に入り、思索と著述に没頭する。本書の原版『喜ばしき知恵 第二版』は5年前に公刊した初版に1章とパロディ詩を加えて1887年に刊行された。

ニーチェが本作を執筆したのは主としてイタリアのジェノヴァだった。寒く暗いドイツを離れ、ゲーテやスタンダールが愛した陽光の降り注ぐ国で徐々に健康を取り戻しつつある彼が快癒の希望と回復の喜びを述べる本作には――ニーチェ作品において初めて告知される「永遠回帰」の思想(「私たちが、もう一度生きようと欲し、しかも永遠にかく生きようと欲するような仕方で生きること」――遺稿)を含め――快方に向かいつつある病者の高揚が溢れている。本作の執筆期間にまるまる含まれる主著『ツァラトゥストラ』において、「歌え、もはや語るな」と書いたニーチェは本作でそれを実践している。

管理人がニーチェに初めてふれたのは渡邊二郎編『ニーチェ・セレクション』(平凡社ライブラリー、2005年)というアンソロジーであり、初めて読んだ作品は丘沢静也訳『ツァラトゥストラ』(光文社古典新訳文庫、2010年)だった。物騒さを孕みつつ口にされることの多いニーチェという人に近づくのを恐れての遅い接近だった。渡邊氏はニーチェを、「生きる勇気を与える思想」家として見る。その意図で編まれたアンソロジーを読んで作者に抱いていた偏見が少し払拭され、その影響があって、管理人はいまも、ニーチェをそのような思想家として見ている。舌鋒鋭く過激な主張を展開する彼は、自身苦しみ多き生涯を送った人であり、「超人」も「永遠回帰」も「運命愛」も、すべて自らの怨恨感情を克服するために生まれ、彼自身が誰よりもそれを必要としていたのではないかと推測するとき、「危険な思想」の背後から、生身のニーチェが見える気がする。

ニーチェの示す「生きる勇気」とは具体的にどのようなものか。ニーチェは本作において、キリスト教とその道徳を厳しく非難し、新しい道徳を打ち立てる。キリスト教のせいで世界は醜悪で下劣なものになったといい(223頁)、そこから生まれた道徳は個人の幸福より社会の都合を優先する集群道徳であって、個人は社会のために奉仕する歯車になりさがっている(「道徳性とは、個々人の中に潜む集群道徳なのである」――208頁)という。しかし、己を信じる人間は愛して信じない人間は裁くような神の「条件付きの愛」(230頁)を信仰するなどは、もはやわれわれの趣味が許さない(224頁)。そもそもキリスト教などは、雷雲が垂れ込め、昼なお薄暗いユダヤ的な風景のなかでのみ成立可能な宗教ではなかったか(228頁)。われわれが認識する善も悪もキリスト教によって生まれた偏見に過ぎず(277頁)、その道徳のせいで、キリスト教登場以前の古代ギリシアと比較すると人間の生は歪められてしまっている。罪の感情など存在しなかった古代ギリシアで、もしキリスト教の教えを説いたとしても、ギリシア人には笑いや苛立ちの種にしかならなかっただろう。「奴隷ならそう感じるかもしれない」と彼らならいっただろう(225頁)。「汝なすべし」と命じるキリスト教的道徳は耐え難い生を耐える必要から人々に受け容れられてきた(369頁)。人間が自分自身を統治し、命令する意志をなくすほどに弱くなったからこそ切望された(373頁)。しかしこれからは、「汝は、汝のあるところのものになれ」(ピンダロスの詩句)を新しい道徳としようではないか(280頁)。来世の栄光のために現世を生きるのか。現世は来世のためにあるのか。そうではない、来世など捏造であり、生には「認識の手段」といった程度の価値しかなく、だからこそ生きることは真実で、望ましく、神秘的でありうるし、この自覚をもってこそ、われわれは勇敢に生き、喜ばしく笑うことができる(331頁)。死の思想ではなく生の思想こそ考える価値がある(288頁)。同情ではなく同喜を(352頁)。万事、「お前はこれをもう一度、さらに無限回にわたって欲するか」と問われたとき、イエスと答えられる生きかたをするために人生を愛そう(355頁)。そして生の奴隷としてではなく生の主人として、神へと流れ出すことなく(295頁)、豪胆に生きよう。「自己決定の喜悦と力、意志の自由」をもち、その自由とともに、「あらゆる信仰や、確実さへの希求に別れを告げ、あるがままの姿で、細い綱や可能性に身を支え、深淵に臨んでさえも自在に舞踏する」人間(374頁)として生きよう。

現実を直視し、仮象に逃避することなく勇敢に生きよ。端的にいえば、それが本作から管理人が読みとったニーチェ思想の要約になる。しかし誤解もあるかもしれない。ニーチェは作中で、自分の思想は「例外」かつ「危険」であり(147頁)、誤解されるだろう、理解されないだろうと繰り返し述べ、理解されないことを意図しているのだとほのめかしてさえいる(443頁)。管理人は、人間心理の鋭い洞察が凝縮されたアフォリズム形式の第一書、第三書を楽しく読むという読みかたをしており、またニーチェを読む前提条件であるキリスト教についてなど、誕生から死までその一生がキリスト教と密接に関わってきた歴史をもつ人々の感覚など殆どわからないのだから、読解には偏りがあると思われる。しかしそれは措いても、上記のニーチェ流「人生指南」に勇壮な魅力があることは、多くの読者の否定しがたいところではないだろうか。命令は撥ねつけ、自分の意志にこそ価値を置く自律的な生きかたをニーチェは説く。その根幹に、彼自身の苦しい人生体験があったことを思い合わせれば、彼を「生きる勇気を与える思想家」と見ることの充分な根拠となる。ニーチェ思想には弱者を切り捨てるような誤解を招きやすい非情な部分があるのだが(101頁、144頁)、それも彼の生涯と重ねることで、そうした激烈な調子で自己を発奮させる必要に迫られていたためではないか、と推測するのは能天気に過ぎるだろうか。ニーチェの思想はナチス・ドイツに利用されたが、その咎を負うべきは兄の思想を理解できなかった妹エリーザベトであり、ニーチェ自身は反ユダヤ主義を嫌悪していた、ということは知っていていいかもしれない。

ただし上のごとき強者の論理を実践できるかと問われたとき、われわれはどう答えるだろう。およそ思想問題は一般化することのできないものであるから管理人個人として考えてみれば、これらは実践するのではなく、あくまで参考程度に留めるというか、気概だけはどこか胸の片隅に留めておくというか、そういった微温的なレベルでしか受容できない。けれどもそれでいいのかもしれない。『ツァラトゥストラ』において主人公に、弟子が師を疑い、彼を越えていくことをこそ望ませたニーチェであってみれば、彼の思想を何の批判もなく受け容れるのではなく、懐疑しつついずれそれから自由になろうと欲する読者をこそ望んだだろうから(「俺のことは忘れろ。自分を見つけろ」――『ツァラトゥストラ』)。奴隷の道徳を批判したニーチェに囚われて新たな奴隷になってはいけない。本作においても、ニーチェは古代ギリシアを賛美しつつ、その世界すら越えねばならないと述べている。ニーチェの真意は新たな教祖になることではなく、読者一人ひとりが改めて人生の意味を問うことにあった。

風土と思想の関係や身体への言及があるのは、転地療養中の作品という成立事情のためだろうか。ニーチェは「序文」で、自身の健康が回復したことの歓喜を爆発させている。丘沢氏は運動をするようになってからニーチェの面白さに気付いたと書いていたが、管理人も同様に、定期的に山を歩く習慣をもつようになったいまになって、ニーチェの身体への言及に刺激を受ける(「われわれ哲学者には、人びとがやるように魂と肉体を分離するなど許されていない」)。

われわれは書物に囲まれ、書物に尻を叩かれてようやく思考を始めるといった連中とは一線を画す。われわれはいつも、外気の中で思考する。――歩いたり、飛び跳ねたり、登ったり、踊ったりしながら。一番好ましいのは、寂寞たる山顛や海辺で思考すること、道そのものさえ思索に耽る、そんな場所で考えることである。書物や人間や音楽に価値を問うためにまず尋ねるべきは、こういう問いだ――「それは歩くことができるか? それにもまして、踊ることができるか?」

思想は頭脳の問題と捉えがちだけれども、人間の活動であってみればそれは身体とも密接に結びついているのであり、心身の健康の程度が、彼の思想に大きく影響するというのは自然なことだろう。

上で本作の要約を記述したが、矛盾を恐れず韜晦的に語るのを身上とするニーチェであれば、こうした断片的な知識は読む導きにはなったとしてもそれで書いた人間の何かが掴めるということは殆どない。訳者も、「名言集」「箴言集」的にニーチェを読むことの危険性を指摘している。各人が自らニーチェに向かい、断片ではなく文脈から読む努力をしなくては、その過激さも勇壮さも遂に遠いまま終わってしまうだろう。ニーチェの思想が万人のためのものかどうかはわからない。管理人としては、苦境にあってなお生きることを欲する人こそがニーチェをよく理解できるのではないか、と考えるが、これは時代遅れな、ロマンチック過ぎる解釈になるだろうか。


4309463797喜ばしき知恵 (河出文庫)
F・ニーチェ 村井 則夫
河出書房新社 2012-10-05

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ニーチェの生涯については本書の解説のほかこのアンソロジーも参照している。こちらは、ニーチェの生涯をコンパクトに述べたのち、「人生について」「神の死とニヒリズム」「力への意志と超人」「運命愛と永遠回帰」の4章で思想を紹介し、最後に編者による解説「ニーチェ――生きる勇気を与える思想」がまとめるという構成になっている。管理人はこの本でニーチェ思想のアウトラインを掴んだ。

4582765513ニーチェ・セレクション (平凡社ライブラリー)
フリードリヒ・ヴィルヘルム ニーチェ 渡邊 二郎
平凡社 2005-09

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
私自身、古典を読むのが好きで、ニーチェの本も読んだことがありますが、こちらの本はまだ読んだことがありませんでした。記事を読みながら読みたくなったので、さっそく読んでみたいと思います。
ベンジャミンフランクリン大好き人間
URL
2013/04/23 20:30

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