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zoom RSS 『高慢と偏見』 ジェイン・オースティン

<<   作成日時 : 2012/12/15 00:00   >>

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第一印象。

イギリスはハーフォードシャー州ロングボーン村の地主ベネット氏には5人の娘がいて、上の娘たちは適齢期を迎えるが結婚の相手はいまのところいない。夫人は早く娘たちを片付けたくてやきもきしている。そんな折、近所の屋敷にビングリーという、裕福な若い独身男が引っ越してくる。色めき立つのは娘たちよりもむしろベネット夫人だ。ベネット家とビングリーは交際し、長女ジェインの美貌は、年収5000ポンドといわれるこの青年の心を捕らえる。ビングリーには信頼する友人ダーシーがいて、彼はビングリー以上の金持ちで美男子で良家の出身だが、その高慢さはベネット家のみならず、村の人たちから顰蹙を買う。次女のエリザベスは彼から容姿について失礼なことをいわれて、なんていやな男だろうと腹を立てて彼を嫌う。けれども、聡明で、優しい心をもったエリザベスに、ダーシーは徐々に惹かれていく。彼女のほうでは高慢なダーシーは大嫌い。しかしやがて彼の本当の姿、美徳を備えた紳士としての姿を知るにつれ、エリザベスは、第一印象から生じた偏見で彼を判断していたのを自覚する。

18世紀から19世紀にかけてのイギリスの田舎を舞台にした、恋愛というよりは結婚をめぐる小説。訳者は、オースティンの人生観は18世紀的な「道徳的かつ現実主義的人生観」だと解説している。これは簡単にいうと、「お金のために結婚するのはよくないが、お金がないのに結婚するのは愚かなことだ」というほどの意味だという。地に足のついたこの人生観はそのまま本作の内容を要約する。情熱(というより愚かさか)の虜になったようなカップルはさんざん周囲に迷惑をかけた挙句不幸になり、尊敬を基盤とする愛情から結婚するエリザベスは幸福になる。誰かと誰かが結ばれる、ただそれだけの話なのにとにかく楽しく読めるのは、多くの方が指摘するとおりオースティンのユーモア精神と、計算されたプロットによるのだろう。

「私は笑うことが大好きなんです。(略)人間の愚かさやばかばかしさや、気まぐれや矛盾がおかしいんです。そういうものを見たらいつでも笑ってやります」。
これはエリザベスの台詞だが、同時にオースティン自身の言葉でもあるだろう。著者は、意地悪すぎるくらいに登場人物たちの滑稽さを浮き彫りにする。ベネット夫人やコリンズ牧師、キャサリン・ド・バーグ夫人のなんという愚鈍さ、おかしさ。彼らの言動にはときに声をあげて笑ってしまう。しかもそれを説明するのではなく、あくまで人物の言動で伝えるところにオースティンの非凡さがある。彼女は書簡で自作について次のように述べている。

「彼は言った」や「彼女は言った」をもっと多くすれば、会話がもっとわかりやすくなったかもしれませんが、私はそういう頭の鈍い人たちのために書いているわけではありません。


(私の小説は)幅五センチの小さな象牙に、極細の筆で書いたようなもの

オースティンの、芸術家としての矜持が窺える。生きる喜びとしての笑いがあり、知的に嘲りを含んだ笑いもある。オースティンが扱うのは後者であり、読んでいてときどき苛立つのは、管理人にユーモアの理解力が乏しいせいだろうか。

このユーモアだけが本作を読ませる原動力ではない。オースティンはまた「完璧な作家」(E・M・フォースター)として見事なプロットで読者の関心を引っ張っていく。モームだったか、オースティンの小説には何も事件が起きないのに頁を繰るのを止せない、と書いていたかと思うが、これは大袈裟であって、本作では後半に大事件が起きる。各挿話は有機的に結びついて発展していき、伏線も回収される。オースティンのユーモアはよく指摘されるが、緻密に組み立てられたプロットについてももっといわれていい。モームの有名な評言は誤解を招きやすいように思う。

物語の背後には、著者が自ら述べているとおり観念の問題がある。優れた人格を備えた殆ど完璧な人間のダーシーなのに、彼は高慢な態度のために周囲から誤解され、自身でそれを拭おうとしない。エリザベスは彼の態度にはじめは嫌悪を抱くものの、幾つかの偶然によって彼の本当の姿を知ったとき、自分の賢さに自惚れて得意になっていたが、実際には高慢に見えた第一印象を引きずって正しい判断ができずにいた愚かさを自覚する。第一印象というのはこの小説を読むうえでの鍵言葉といえる。エリザベスをはじめベネット家や村の人たちは、とんでもない食わせ者のウィッカムという美青年が、明朗で愛想がよいという理由から夢中になる。後に彼の正体を知ってみな唖然とするのだが、人がいかにたやすく最初の印象に翻弄されるかを、オースティンはダーシーとウィッカムという、いわば対になる二人の登場人物をめぐって考察している。本作ははじめ「第一印象」というタイトルで書かれていた。

1813年、本作を「ある婦人作」として匿名で発表したとき、38歳だったオースティンは主人公エリザベスについて、彼女は「これまでの書物に登場したなかでいちばん魅力的な人物」であり、「彼女を好きになれない人がいたら我慢なりません」と書簡に書いた。エリザベスはたしかに賢く、度量の大きい人物だが、管理人はあまり好まない。彼女の洞察力が優れているのは認めるが、その機知は時に辛辣であり、一言多い人、という印象しかもてない。人を疑うことを知らないジェインのほうが好ましく、頭が空っぽな末娘のリディアもなかなか可愛く思えてしまうのは、管理人が女を見る目がない馬鹿な男だからだろうか。エリザベスと暮らしたら、いつきついことをいわれるかと緊張して一緒にいても安らげないと思う。この、一緒にいても安らげないと思う、という想像へと誘われること自体が、作家オースティンの偉大さの証明になっている。リアリティを備えた登場人物の創造――フォースターは『小説の諸相』で彼女のこの才能についてこう述べている。
オースティンの登場人物は、ディケンズの登場人物よりスケールは小さいが、より高度な有機体として作られているということです。オースティンの登場人物は万能です。実際のプロットが要求する以上の役割を要求されても、みんなりっぱにその要求にこたえるでしょう。(略)ジェイン・オースティンの登場人物は、みんなさらなる発展の可能性を秘めています。実際のプロットが要求する以上の生活を営む用意がいつでもできています。だから彼らはいつもあんなにも生き生きしているのです。(略)
オースティンは自分の登場人物に「分別」「高慢」「多感」「偏見」といったレッテルを貼りますが、彼らはそのレッテルに束縛されてはいないのです。

「平面的人物」しか創造できなかったディケンズと違い、オースティンが創造したのはみな「立体的人物」だった。「平面的人物」と比較して「立体的人物」には深みがある。だから読んでいてつい、彼らが現実に存在しているかのような錯覚に陥ってしまう。

以前『マンスフィールド・パーク』を読んだときはしかつめらしいヒロインに魅力を感じなくて途中で止してしまったけれど、著者曰く「きらきらしすぎている」本作は実に楽しく読めた。叙述が本当に素晴らしい。ドラマの盛り上げかたも見事だ。エピローグで、主人公二人についての直接的な言及をあえて避けるのが粋でにくらしい。映画やテレビドラマになって好評を博すのも物語の骨格がしっかりしているからだろう。オースティンの長篇はほかに5作あるが、一気に読んでしまうのは勿体ない気がするので続けては読まない。先の楽しみにとっておく。


4480038639高慢と偏見 上 (ちくま文庫 お 42-1)
ジェイン オースティン Jane Austen
筑摩書房 2003-08

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4480038647高慢と偏見 下 (ちくま文庫 お 42-2)
ジェイン オースティン Jane Austen
筑摩書房 2003-08

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
「高慢と偏見」の英語アプリを作りました。
高梨茂美
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2013/02/01 18:13

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