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zoom RSS 『望郷と海』 石原吉郎

<<   作成日時 : 2012/12/22 00:00   >>

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沈黙の底から。

シベリアで8年に及ぶ収容所生活を送った詩人のエッセイ集。著者は1945年にソ連軍に逮捕され、1949年に中央アジア軍管区軍法会議の臨時法廷で「戦争犯罪人」として裁かれる。判決は重労働25年。行き先は、ソ連の囚人たちがもっとも恐れるバム(バイカル―アムール鉄道沿線)の密林だった。氷点下40度にもなる過酷な気候の下、森林伐採に従事する。食事は日に一度だけ。栄養失調、不潔な環境、密告の横行、犬以下の扱い。死と紙一重の日々にあって著者を支えていたのは、自分は「犯罪者」ではないけれど誰かが背負わねばならなかった「戦争の責任」を背負ったのだ、という意識だった。スターリンの死後、特赦によって1953年に日本に帰国。しかし日本の現実は著者の期待を裏切るものだった。彼は、人々はきっと自分たちシベリア抑留者を、日本の罪を肩代わりしてくれた義人として理解し、迎えてくれると思っていた。「ごくろうさん」とねぎらいの言葉をかけてくれると思っていた。しかし現実には、人々は彼らの「責任」や「義務」などは認めず、せいぜい「運の悪い」、「不幸な」人間という程度にしか見ようとしなかった。「シベリア帰り」というだけで差別され、職を得られない。その現実に失望して自殺する元抑留者も出た。

著者はシベリア抑留体験から出発した詩人だ(詩作は39歳になってからはじめた)。本書に収録されているエッセイには、どれもシベリアでの体験が濃く影を落としている。それは強制労働の肉体的過酷さだけをいうのではない。その現場で剥き出しにされた「生」の極限的有様が、その後の彼に影響を及ぼしている。シベリアで何が起きたのか。「強制された日常から」のなかで、著者は自身の体験を、たどった人間性変質のプロセスとともに述べる。

それによると、1946年頃の入ソ直後に最初の「淘汰」があった。栄養失調や発疹チフスのために多くの日本人が斃れた。著者は、この死には精神的な要因が大きく作用している、と見る。斃れたのは、他者と争ってでも「生き残る」という「エゴイスチックな動機」に曖昧なまま対処した人たち、V・E・フランクルが『夜と霧』において「もっともよき人々」と呼んだ類の人たちだった。その後、生き残った人々に変質の第一段階がはじまる。空腹を抱えながら、糞便にまみれながら、ロシア兵の暴力に脅えながら日を送るうち、彼らは環境に適応していく。否、生き残るためには適応しなくてはならなかった。続いて第二段階、生存競争の激化が起こる。わずかな食料をめぐって同胞同士が憎悪し合い、他者を押しのけてでも生き残ろうとする。やがて状況が好転し、満足な食事を与えられるようになると第三段階に入る。それまで最大の関心事であり(当面の)生きる目的でもあった食うことへの執着が消え、関心の対象を喪失して考えることがなくなってしまう。日を追って健康になっていく肉体と、相変わらず荒んだままの精神が徐々に均衡を崩し、乖離する。余裕が生まれるにつれ、かつてのあさましい、エゴイスチックな自分の過去が痛みを伴って生々しく蘇ってくる。苦痛の記憶を取り戻していくのは苦痛そのものよりも苦しいことだという。

しかし著者は、人間性を剥奪するような抑留体験を告発することはしない。彼は、人間以下の扱いをされたのは事実だが、その扱いにふさわしい存在に落ちていったのは自分に責任がある、と述べる。どのような状況であろうと命を賭して自らの尊厳を守ることはできたのに、それを放棄して生にしがみついたのは自分の選択であり、そのことに他者は一切関わりないというのだ。この告発の拒否は、著者の詩の特徴である沈黙の問題と結びつく。彼は自身の詩は沈黙から生まれたという。過酷な体験は体験者にしか語りえないという自覚と、その体験によって変わってしまった自己の確認という二つの要素が彼のなかでせめぎ合い、その末に詩が生まれた。外国から日本語の国に帰国したとき、自分の言語を取り戻したという蘇生体験も関係しているか。ジレンマを越えて書くことにいたった経緯のうちには、死んでいった同胞たちの供養と、自分が生き残った(生き残ってしまった)ことの罪悪感も含まれているかもしれない。
詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、沈黙するためのことばであるといってもいいと思います。もっとも語りにくいもの、もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、ことばにこのような不幸な機能を課したと考えることができます。

「沈黙するための言葉」



本書は三部から成っている。T部はシベリアでの過酷な体験についての文章、U部は自身の詩についての解説や小説など、V部は帰国後の石原の日記からの抜粋を収録する。おそらくもっとも読みごたえがあるのはT部だろう。大量虐殺の最大の罪は、一人ひとりの死を見えなくしてしまうことだと述べる「確認されない死のなかで」、極限状態における人間の孤独を追求する「ある<共生>の経験から」、友人の記憶に託して人間の尊厳について問う「ペシミストの勇気について」、日常への順応と不安ゆえの無気力が反復される場としての収容所について考察する「終りの未知」などはどれも体験者の言葉として重い。しかし逆に、V部の日記はどうか。すでに40歳を過ぎた著者は、ここで「新しい自分」として蘇生することや、キリスト教への関心などを繰り返し書いているのだが、「人間いかに生きるべきか」という彼の自問を、読者一人ひとりはどう読むだろう。反復される自己嫌悪――裏返しの自己執着――に管理人は少々辟易した。たとえば、自分は仕事ができないが、仕事は人間としての評価とは無関係であるのだから、仕事ができないことに自信をもっていい、などという文章を読んでけしからぬと思ってしまうのは、管理人が資本主義にどっぷり浸かっている「無傷な世代」の一人だからだろうか。仕事をしたという自己満足に基づいた「建設的」な生活は虚偽であり、それに比べれば酒に飲んだくれて絶望しつつ眠るほうが真実だ、という文章はどうか。日記の抜粋部分は、書いたのがシベリア抑留体験者だと念頭に置かないと管理人にはとても読めた代物ではない。加えて著者の世界観はあまりにも陰鬱なもので、彼は、

私が理想とする世界とは、すべての人が苦行者のように、重い憂愁と忍苦の表情を浮べている世界である。それ以外の世界は、私にはゆるすことのできないものである。

と日記に書き、

無傷な、よろこばしい連帯というものは、この世界には存在しない。

「ある<共生>の経験から」


よろこばしい顔で語られる真実というものはない。

「ペシミストの勇気について」


とエッセイに書いた人間だった。人間が人間であることを否定される場から出発した石原の言葉は重く厳しい。しかしそれでは生はあまりに空しすぎないか。

日記を読んでいくと、あるいは著者は深刻なPTSDの状態にあったのではないかとさえ思えてくる。アルコールへの依存や、キリスト教への執着。性急に救済を求めて得られないことへの焦慮。死と隣り合わせの過酷な日々のあとで日常に放りだされた彼、抑留時と帰国後に二度の絶望を味わった彼が病いを発症していたとしてもおかしくないと考えるが、どうか。管理人としては、日記に自己嫌悪を書く暇があるなら行動せよ、と思うのだが(本人も、日記を書くことは積極的な姿勢でないと自覚している)、したいのにできない葛藤や苦しさがあったかもしれない。

繰り返しになるが石原の言葉は重い。そうして暗い。厳しい。担うものの重さに圧し潰されながらも、それに耐えて語ろうとする言葉に宿命づけられた属性だろうか。語るということは生きるということでもある。彼の言葉は、シベリアでの抑留体験から生じた虚無の実感と、それを越えようとする心との戦果としてある。



4622083566望郷と海 (始まりの本)
石原 吉郎 岡 真理(解説)
みすず書房 2012-06-09

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