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zoom RSS 『完訳 緋文字』 ホーソーン

<<   作成日時 : 2012/12/28 00:00   >>

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罪と罰。

1640年代のボストン。人々が見つめるなか、広場のさらし台に立つ一人の若い女がいる。名前はヘスター・プリン。衣服の胸に赤く刺繍されたAの文字をつけ、姦通の結果授かった赤子を抱いている。町の人々は責め立てる、その子の父親の名を明かせと。しかしヘスターは拒み通す。彼女を取り巻く群衆のなかには、はるばるヨーロッパからやって来た老医師の姿があった。彼の名はチリングワース、ヘスターの年離れた夫だった。町の牧師ディムズデールはヘスターを庇い、見せしめの刑罰は終わる。牧師こそ、情熱ゆえの過ちをヘスターとともに犯した共犯だったが、彼は自分の良心と社会的立場とのあいだに板ばさみになって、苦しみながらもどうしても己の罪を告白することができずにいる。ストレスから体調を崩した牧師を救ったのは、彼に妻を寝取られたチリングワースだった。牧師との親交を通じて、チリングワースは次第に姦通事件の真相に迫っていく。

当時のボストンは厳格な清教徒社会だった(「不正は徹底的にあばかれ、それが為政者と民衆のまえでさばかれる土地、ここ、わが神聖なるニューイングランドがそうなんですね」)。他人を監視し、罪を咎め、罰する社会。それは神の名においてなされるがゆえに性質が悪い。ヘスターはこの社会では驚くほど進歩的な女性で、自由を愛し、情熱を信じ、彼女自身が姦通をどれほど罪と思っているのか疑わしい。むしろ愛してもいないチリングワースと結婚してしまったことこそ過ち(「恥ずべき犯罪」)だと思っている。彼女は罪の象徴である緋文字A(姦通または姦通を犯した女を意味するAdultery/Adulteressの頭文字だと解釈されるが、著者自身は作中でAの意味を明示していない)を背負いながら、償うかのように人々に献身的に尽くし、やがて緋文字の意味は人々から忘れ去られ、違う意味(たとえば有能さAble)を与えられるようになり、村八分なのは相変わらずでも忌避されることはなく、遠巻きに密かな尊敬をすら得るようになっていく。
しかしながら、ヘスターの一生を形成した苦労の多い、思いやりのとんだ、献身的な年月が経過するうちに、緋文字は世間の嘲笑と顰蹙を買う烙印であることをやめ、悲しむべき何かの象徴になり、畏怖をおぼえながらも尊敬をもって眺めるべき象徴となりおおせたのであった。

緋文字はその役割を果たしていなかったのである。

罰を機会にヘスターは向上し、新生へと向かう。罪悪感に苦しむのは彼女ではなくディムズデールのほうで、彼は町の人々から聖者のごとく敬われる牧師であり、その立場と自らの罪の意識とのギャップが彼を一層苦しめることになる。姦通という罪と、それを秘匿して聖人面をして生きねばならないという欺瞞の罪と、二重の罪悪感が彼を責め苛む。そして姦通の真相を知ったチリングワースは嫉妬心から邪悪になって二人にまとわりつくようになる。

罪と罰と嫉妬が描くトライアングル。この三角形のなかを自由奔放に飛び回るのが「生きている緋文字」、不義の子パールだ。母親とともに村外れの小屋で暮らすこの少女は、自然と交感し、過たぬ無垢の目で物事の真実を見透かし、時に大人たちを導くような存在として設定されている。作者自身が「人間の弱さと悲しみの物語」と解説する本作の基調は暗いものだが、妖精のような少女はこの暗がりのなかにまたたく灯火のように思える。パールの登場場面には陽気さが漂い、その描写の背後に、家庭にあって子煩悩な父親であり子どもたちを注意深く観察していた著者の優しい視線を思わずにはいられない。ヘスターを緋文字に束縛する、ディムズデールに救いを与えるなどパールの果たす役割は大きい。

ヘスターが罰を機会に向上するとはすでに述べた。ではディムズデールの場合はどうか。小説の終盤で彼は自身の死を悟り、(文字通り)長く胸に秘めてきた罪を人々に告白する。人々はみな驚きをもってこれを迎える。ようやく良心の咎めから解放された牧師は、それまで彼を避けるようにしていた「緋文字の化身」であるパールの接吻を受けて絶命する。罪を犯した牧師となっては社会的な地位を失ったかもしれないが、より高次のべつの見かたからすれば彼は罪の告白によって向上したとも見える。彼もまたヘスターと同じ場所に、時間はかかったが最後の最後に到達したのだ。

チリングワースの場合は下降になる。彼は嫉妬心から邪悪になり、若い二人につきまとって復讐の機会を窺う。ヘスターの裏切りが彼を悪魔にしたのだといい(「だれがこのわたしを悪魔にしたのか?」)、牧師を嬲ることを画策する。罪の犠牲者であるのに、ホーソーンは彼を読者の同情を誘うどころか嫌悪させるように描いているのは面白い。彼は牧師が死んでしまったあと生きる目的をなくしてしまい、パールを遺産の後継者に指名して死ぬ。彼の憎悪が長い時間を経て愛と見分けがつかないような感情へと変質していくのを述べるホーソーンの洞察に感嘆する。

人生は過酷である、しかし戦意を失わない限り人間は敗れない。裁かれたのち強く生きるヘスターの姿を通じてホーソーンはそう訴えているのだろう。あるいは敗れないのは女である、とすべきか。不甲斐ない男性陣と比較するとヘスターの逞しさは際立つ。
なにもかも新たにやり直すのです! このたったひとつの試練のために、あなたは未来のあらゆる可能性を使いつくしてしまったのでしょうか? そんなことはありません! 未来は試練と成功とに満ちみちているのです! 享受すべき幸せがあります! なすべき善があります! あなたの、このいつわりの人生を、まことの人生と取り替えるのです!

「なにがあっても、殺されないかぎり強くなれるのよ」。クッツェーが『恥辱』で強姦被害に遭った女にいわせた台詞が併せて思い出される。苦難とは、試練とは、われわれをいまのわれわれ以上に向上させるための天の計らいであるのかもしれない。

読むまでは姦通を主題とした小説だと思っていたが、実際に読んでみると姦通は人生における試練(のひとつ)として設定されているに過ぎず、躓いたあと人はどう生きるべきか、それこそが主題の小説であると感じた(社会と個人の対立問題を意識して読んでも得るものがあるだろう)。躓いたならばそれを受け入れ、また立ち上がりうつむくことなく前を向いて生きよ、善く生きよ。『緋文字』はロマンスではなく――小説はロマンスの終わりからはじまっている――人生の書だった。


4003230418完訳 緋文字 (岩波文庫)
N. ホーソーン Nathaniel Hawthorne
岩波書店 1992-12-16

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オースターのこのエッセイによき「家庭人」だったホーソーンの挿話が紹介されている。
4102451080空腹の技法 (新潮文庫)
ポール オースター Paul Auster
新潮社 2004-07

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