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zoom RSS 『火の娘たち』 ネルヴァル

<<   作成日時 : 2013/01/04 00:00   >>

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夢は第二の生。

再読。ネルヴァルが生前最後に刊行(1854年)した作品集。プルーストに霊感を与えたことで名高い「シルヴィ」は管理人があらゆる小説のうちでとくに偏愛する、もしかしたら最愛かもしれない一篇であり、思い入れが強すぎるから大したことは書けない。

パリで無為の暮らしを送る語り手はある女優に憧憬を抱いている。この女優は、かつて語り手が少年時代を過ごしたロワジーの村で出会った貴族の娘アドリエンヌに似ており、彼は女優その人より彼女が喚起する少年時代の記憶に惹かれている。ある晩、彼は偶然手にした新聞で、ロワジーで祭りが開催されているという記事を読む。帰ってからも眠られず、夜更けに馬車に飛び乗ってなつかしい土地を目指す。その途中、語り手の脳裡に、ロワジーと結びついた二人の少女の思い出が去来する。
少年時代の語り手は叔父の家がある縁で村を訪れ、そこでシルヴィという少女と仲良くなる。「アテネ的」な顔立ちをし、黒い髪と黒い瞳をしたこの少女もまた語り手を好き、祭りのときは彼以外とは決して踊らなかった。二人で結婚式の真似事もした。親しい関係はその後も長く続くが、ある年の祭りで、語り手は村の人ではない金髪の美しい少女を見る。彼女はアドリエンヌといい、近くの貴族の娘で尼僧院に入っており、このときだけ特別の許しを得て祭りに参加していたのだった。語り手は「ふしぎな心の動揺を覚えながら」アドリエンヌに接吻し、彼女が「さわやかで心に沁みるような、それでいていかにもこの霧深い地方の娘にふさわしい、ほんのわずか曇った声で」古いロマンスを歌うのを聴く。天国にいるような心地になってすっかり魅了されるも、彼女は尼僧として生涯を僧院で過ごすことに決まっていた。
夜明けころ、語り手はロワジーに到着してシルヴィと再会する。彼女は相変わらず美しかった。心が荒んでいた語り手は(その理由は明示されない)彼女と結婚して田舎で暮らすことを夢想する。しかし彼女にはすでに婚約者がおり、望みは叶わない。二人は仲のよい友人同士として別れる。パリに帰った語り手は女優と親しくなるも、彼女は彼が愛しているのは自分ではなく自分によく似た別の女だと知って幻滅し、離れる。二人の女への想いが挫折した語り手は再び思い出の地を訪れ、今は母親となったシルヴィにアドリエンヌの消息をふと尋ね、彼女はすでに亡くなっていると聞かされて小説は終わる。

副題に「ヴァロワの思い出」とあるこの短篇は読者の郷愁を誘う。誰もが、とはいえないのかもしれないが、多くの人には、幼いころ、住んでいるところとは違う場所――両親の実家、または親戚の住む家、あるいは家族や友だちと出かけた土地――へ行き、そのときの印象が長く残った経験があるだろう。それと同じくらいの時期に、淡いような想いを寄せた異性もきっといるだろう(「性に目覚める」ようにして)。今は縁遠くなった(もしかしたら二度と行けない/逢えない)場所と人の記憶。生きるということは失い続けることだとすれば、過ぎ去った二つの記憶を結んで美しく再現するこの小説世界に読者は自らの過去を重ね合わせ、懐かしさや切なさを抱きながら普遍的な「思い出」と対面するのではないか。場所と人は郷愁を召喚する装置としてあり、時間が交錯する構成と霧深い舞台はともに夢ともうつつともつかない幻想的な境地へ読者を連れていく機能を果たしている。作品内で語り手の名がついに明かされないのは、読者を同期させる仕掛けと見える。

しかし語り手の過去(古代を含む)への憧憬は現実によって破られる。彼が思い描いていたような牧歌的な世界は近代化の波によって田舎から失われつつありシルヴィも変化している。「都会趣味の身なり」をし、古い民謡は歌わないという。何が悪いというのではない、時が経ったということなのだ。そしてその現実を受け入れながらも失われた過去を愛惜するのを止せない――その引き裂かれるような語り手の心情には同情を誘うものがある。
エルムノンヴィル! ゲスナーの詩からさらに仏訳された古代の牧歌がなおも花咲いていたその土地よ! 私の上に二重の光を放って玉虫のように輝いていた唯一の星を、そなたは失ってしまったのだ。青に、また薔薇色に、かわるがわる、アルデバランの変光星のように光を変えたその星は、アドリエンヌだったか、シルヴィであったか――それは私の唯一の恋の両半分だった。一方はけだかい理想、今一方はなつかしい現実だった。今となっては、エルムノンヴィルよ、そなたの影ふかい森も、湖も、「砂漠」さえも、私にとっては何になるだろう? オチス、モンタニー、ロワジー、あわれな近在の村々、僧院が今改築中のシャーリ、そなたらはあの過ぎた日のかたみを何一つのこしていない!


異教的であることも作品の重要なモチーフになっているだろうか。ロワジーの祭りは起源をドルイド教の儀式(「古代のみやびな儀式」)に遡るといい、エルムノンヴィルには(のちにパリへ移されたため今は空っぽな)ルソーの墓がある。この土地で暮らすシルヴィは「アテネ的」「古代のニンフ」と形容される(アドリエンヌは「尼僧」)。こうしたキリスト教とは異なる世界を志向するような点を、作品内時間の交錯と重ねるべきなのか、著者の東方への憧憬と関連づけて見るのが正しいのか、ネルヴァルについて多くを知らない管理人には判断できない。ネルヴァル自身も語り手と同じく少年時代をヴァロワで過ごしているが、彼と語り手をイコールで安易に結ぶのは危険だと訳者は解説する。これは他の作品についてもいえることで、ネルヴァルは自身の経験をずらしたりぼかしたりして作品に活かしている。作品は「夢の生」といったところか。こうした二重性が著者の精神に悪影響を及ぼしたとしても不思議でない気がする。


他の収録作品は「アレクサンドル・デュマへ」「アンジェリック」「ヴァロワの民謡と伝説」「ジェミー」「オクタヴィ」「イシス」「コリッラ」「エミリー」「幻想詩篇」。ミステリめいた古書探索がやがて個人の回想、土地の郷愁へと繋がっていく「アンジェリック」のユーモラスな雰囲気に、「夢と狂気の詩人」の違う面を知って新鮮な気持になった。通俗的かもしれないが「コリッラ」と「エミリー」は読みものとして単純に面白い。


4480038515火の娘たち (ちくま文庫)
ジェラール・ド ネルヴァル G´erard de Nerval
筑摩書房 2003-09

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