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zoom RSS 『「つながり」の精神病理』 中井久夫

<<   作成日時 : 2013/01/25 00:00   >>

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深淵の家族。

三部構成。主として、T部では患者と家族の関係について、U部では少年期から老年期までの精神病理について、V部では著者自身と精神科医療との関係についての文章が収録されている。書かれたのは80年代から95年の震災以前。

単純な知的好奇心以外に、なぜ精神病理について読むのかと問われたなら、本書中の著者の言葉がそのまま答えになるだろうか。「精神病という断面を見ることによって精神についての認識が深まる面がある」。無縁でないという自覚もある(今日、自分は精神病理と無縁だと断言できる人がどれほどいるだろうか)。

T部がいい。著者がたびたび引用するアメリカの精神科医サリヴァンは「精神医学は対人関係の学」と主張した。対人関係の相互作用(あるいは「間」)としての失調。社会において最小の集団は家族であり、それが病いのトリガーになるケースも少なくない。外部の人間からは見えない、家庭という「密室」のなかで何が起きているのか。「一つの家族を精神科医が理解することは、ひょっとすると、文化人類学者が一つの文化を理解することに相当するほどの事柄なのではあるまいか」。思春期の姉弟の、こんなケースがあった。姉が発症すると弟の病いは治まるものの、姉が治まると今度は弟が発症する交互発症の繰り返し。彼らの精神の深層で何が起きていたのか、真相は遂に明らかにならなかった。やたらと「お節介な」(「コメントの多い」)家族の存在。あるいは、家族間の「調停者」となった者にのしかかる精神的負担。こうしたものが病いの苗床になっている場合が少なくないと著者は指摘する。さらには「家」という、血と土地による強力な拘束。旧家の女性が結婚後初めて里帰りした際に、「何かの力」によって吸い込まれて屋敷から外へ出られなくなったというケースに、得体の知れない人間の精神の深淵を垣間見たようで慄然とする。

著者は、かつて起きた「金属バット殺人事件」についてユニークな見方をする。あの事件はマスコミが報道したような「家庭内暴力の典型中の典型」であったのか。著者は逆に、「むしろこれは家族内に暴力が存在しなかったがための事例」であり、「家庭内暴力の典型例ではけしてない」と述べる。家族それぞれの背景、事件を起こした少年が置かれた状況とその変遷、それらを詳細に検討した結果、少年の承認欲求の不満が偶然の作用によって破裂した事件と見る。むろん今となっては真相は藪の中だろうが、一つの見方として、こういう見方もあるのだと知って損はない。推理を重ねて事件当日を再現していく過程で、複数の偶然が悪いほうに向かっていくのが恐ろしい。

偶発事はすべての人間に「宇宙線のように降り注いで」いて、それを活用することが生の豊かさに繋がるという。もし、何もかもがあらかじめ決定されていたら、生きるのはなんと味気ないことか。何事も運、といってしまえば身も蓋もないけれど、たしかにわれわれ「明日をしらない」存在は、ハプニングによって豊かになり、それを活用したり活用しそこねたりしながら今日を生きている。

われわれのアプローチにはマスターキーはないだろうと思う。いくつかのものを組み合わせて解決していくこと、そして多くは偶然に支えられてやっているということ、しかし、偶然というのは活用しうるということ、思わぬところに良い芽が転がっていることがあるということ、悪い芽と思われていたものが、実はいい芽であったり、いいなあと思う芽が実はそうでなかったりするということ、さらには、良い芽だと思ってもそれを一〇〇パーセントのばしてしまってはいけない、八割くらいでとどめておく。


絶対がない以上、治療も、そして生にも、委ねる姿勢が求められる。というか、そういうふうにしか人はありようがない。

本書中でとくに感銘を受けたのは、老人問題を扱った「世に棲む老い人」(U部に収録)だ。歴史的観点から老いを考察、「比較的多数の人間が老年に達することが自明とされるのは、ごく最近の出来事である」とはじめる。安全衛生が保たれるようになって寿命が延び、それに伴って老年期の健康問題が注目されるようになった。老人を取り巻く社会環境も日々変化している。この章では労働と老人の精神衛生の相関性、老齢の心理的葛藤、老人との接し方などが述べられ、どれも示唆に富む。老人にも経験する可能性は開かれており(著者は、50歳代になって突然詩を訳す能力が開花して驚いた、と自身の経験を引き合いに出す)、能力の衰えを経験によってカバーできる部分があるという。認知症の原因如何とは別の次元の問題と断ってから、老人を脱社会化しないことの重要性を説く。

人生前半の課題は挑戦であり、後半の課題は別離であるというテーゼがある。おそらく正しいだろう。それは所有していたものとの別離だけではない。所有しなかったもの、たとえば若い時に果たせなかったことへの悔恨からどう別離するかということもある。もはや果たすことはないであろう多くのことへの別離である。


「一匙の楽観論」を忘れずに生きることが大切なのだろう。いずれ誰もが通る道でもある。四半世紀前に書かれた文章だと読み終えてから知って驚いた。まったく褪せていない。

多少専門的な内容を素人であっても読めるのは、文章の明晰さ、平明さによるのだろう、と先だって書いた(著者は診断書を患者がわかるように書くという)。それだけでなく、この「中井久夫コレクション」の場合は、章や巻をまたがって同じ話題になることがある。この反復も、内容理解を助ける効果的な役割を果たしていると管理人には思える。他者へのいたわりや共感の眼差しが、音読を意識して書かれている流麗な文章から透けて見える。

私の人生観はわりと単純で、善人と悪人というんじゃなくて、余裕のある人間と、余裕のない人間とがあるんだろうと。それは程度の差もあるし質もあるだろうけど、私はそう考え、そういう軸で人をみている。



4480093621「つながり」の精神病理 中井久夫コレクション2 (ちくま学芸文庫)
中井 久夫
筑摩書房 2011-06-10

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